季節は大勢も変える
本当に、何でそんな記憶があるんだろう。誰かがCDで、持ち込んだのかな。私もこの頃にSONYのD-100持ち込んだし。許可とるのが大変だった。皆、雀荘とかパチンコとか行ってたのに、無駄な外出もせずに持ち込んだメリタのカップ用コーヒーサーバーでコーヒー飲むのぐらいが楽しみだった若い熊ですもん。
さても1987年。以前浜田省吾の「J-BOY」出た時にまつりが起こったと書いたのですが、同アルバムは1986年発売。あれ、記憶違いか?でもその頃に「マネー」とか聞かせてもらったんだけどなぁ。「あしもとにびっぐまねぇ、たたきつけ」られたいものだ。あれ、『CLUB SURFBOUND』あたりだったのかな?浜省は「悲しみは雪のように」以外はほぼ興味なかったからなあ。月刊明星の歌本でシングル発売当初に見て、浜省って「風を感じて」ぐらいだろうにと思っていた私が、割と大きな扱い受けてるなあと思ったことは覚えています。その数年後、ドラマ「愛という名のもとに」の主題歌としてあんな大ヒットになろうとは思いもしませんでしたが、あれ、勘違い?狭い空間だったから狭い流行だったのだろうか。それともこっちの方のムーブメントを勘違いしていたのか。BOØWYの『サイコパス』これが9月の頃。同室だったKさんに「DAKARA」の流出版のテープをきかせてもらった頃の話です。後に12インチシングルでも発売された曲ですが、その頃、スタジオ流出ものとして我が寮には広まっていました。まあ以前の曲なのですが。そんな事お構いなしに『サイコパス』は、「マリオネット」、そして「季節が君だけを変える」を擁して大ヒットしたアルバムです。私のいたところでも日がな一日(授業のない日は)どこかの部屋でかかっていました。私もその頃は薫陶よろしく、でもどっちかと言うと3rd『BOØWY』聞いてましたね。「ドリーミン」から「ホンキートンキークレイジー」のA面曲は、それこそテープが擦り切れるほど。『サイコパス』はまだまだ素人だった私にゃ荷が重い。『BEAT EMOTION』すらまだ聞き始めだったのだから仕方ないよね。その後すぐに解散が報じられて、『LAST GIGS』が話題になったけれど、あのアルバムには一つ嫌な思い出がある。何と言うか、素人が口を出すのは良くない系の話です。ちょっと調子に乗りやすかったからなあ。この熊は。
その頃に熱中していたのは、個人的には崎谷健次郎。1STアルバムの『ディファレンス』を中古でCD見つけて、「KISSの花束」の稲垣潤一との違いに茫然としたものです。「ルール・オブ・ラブ」は英語詞だったし。その翌年出た『Realism』を引っ提げて行われた「THIS TIME」ツアーを電力ホールに見に行って、そのまんま秋に行われた、題して「THIS TIME」オータムツアーも見に行って、新曲あんまり出てなかったのでそれほど曲目に変化が無かったのが(失礼)残念ではありました。好きだった曲は、『Realism』収録の「HALF MOON」。それともちろん、「もう一度夜を止めて」。当時はかなり聴いてたけれど、1990年の火事で焼けちゃってから、そういえば新作を買わなくなったんだった。『ただ一度だけの永遠』までは買ったんだけど。多少空しくなったし。BOØWYの『LAST GIGS』も買ったけど同じ理由で手をつけられなくなって。だから、そこできっぱり手を切っておけば、とは思わないではない。でも現在、真空管の音もいいなと思っているアナクロ熊は何も言う権利は無いとも思う。絶滅確定。でも、真空管って、いいよ。それを通した音を聴くだけでも。火傷には注意するクマ。スイッチの切り忘れも良くないクマが、通電しておいた方が良い傾向にある気がするクマ。ほとんど病気だね。
そんな事ばかりしていた野良熊でしたから、その時の同室の方々には頭が上がりません。でも皆、自分の都合ですべて過去の事なのさ。なんて勝手な熊だろう。まああくまでクマだけど。




