雨雲は去りました、が。
緊急銃猟はともかく、災害対策は急務でしょうね。東日本大震災、いや阪神淡路大震災以降、かなり進んでいるとは思いますけど、次が、ことに東京近辺であったらマヂでヤバそうですよ。最近のネットの無法地帯化はなおさら。情報に混乱させられる姿が見えます。何らかの規制は、必要なんだろうけど、自由と無秩序をはき違えてはいませんかね。手綱とるなら今のうちですよ。もう遅いけど。
千葉県には同類がいないそうです。確かに私は、浦安くらいにしか出没たこと無いですが、それももう30年は前の事。国技館の帰りに一日だけでしたけど、当然東北の片田舎とは比べるべくもない。とんでもなく広い駐車場に唖然としたものですが、そういえばあれ以来、ねずみぃらんどにも行ってないなぁ。海なら尚更。その頃から地面を固めすぎだとは思ってましたけど、地震の際の液状化もありましたが、今回は大雨被害。風によるゴルフ練習場構築物の倒壊も記憶に新しいところ。便利?な世の中も、自然の驚異の前にはもろいところがあります。普段からの心構えと準備は怠らない事です。だから助かるわけでもないとは思いますが、せめてもね。安心感は欲しいところです。
でも、そうですね、何故かこんな日に思い出すのが松山千春「銀の雨」です。シングル「かざぐるま」のB面、ヒット曲でもなければ、A面「かざぐるま」、当時のチー様としては(まだデビュー直後、2枚目のシングルですが)、売り上げがかんばしくなく、オリコンTOP100にも入らなかったそうですが、ファンにとっては割かし人気のある歌です。「まどのそとは ぎんのあめがふる」という歌ですが、かざぐるまが結構地味な歌ですから、伸びやかな歌声は変わらないんだけど、聞いた当初は、感想としては「地味」。もっともそれは松山千春作品全体に流れるDNAみたいなもの。それでも心に響くのがチー様の歌。次の「時のいたずら」、「青春」あたりからご自身のラジオもあってか、恩人である竹田さんの尽力もあってか、レコードが売れ始めて、「季節の中で」でブレイクしたというのが後に知った事。私それまでは、そもそもレコードも良く知らなかったし。そう思えば今の自分が信じられない。「季節の中で」買ったのは、阿呆な兄貴だったし、そいつが松山千春のLPずっと買ってたし。その兄貴と共同(という名目で)で、松山千春のシングルで初めて買ったのが「夜明け」、「季節の中で」の次の次のシングル。その前の「窓」は良い歌なのだけど、これもまた地味な歌。B面の「卒業」は当時、よく名曲と呼ばれていました。「だけどいま ゆめがある ささやかなゆめだけど あしたがあるから」そう、その通り。明日があるから大丈夫ですよ。必ず復旧はします。日本の場合。そう信じることも大事です。悲観してばかりではよい事が起きる兆しも見えなくなりますよ。・・・クマらしくもない。
松山千春で雨と言うと、独力で初めて買ったシングル「人生の空から」収録の「雨の夜」も良い歌、何だけど、このあたりからチー様はスタイリッシュに変わろうとしている兆しがありました。特にそんな事は望んじゃなかったけれど、1stアルバム『君のために作った歌』や2nd『こんな夜は』、何なら3rd「足寄より」あたりと、『浪漫』くらいからを比べると、微妙に何かが違っている。売り上げ的には、もうスーパースターでしたけれど、さらに後の『大いなる愛よ夢よ』くらいになると、ブラザーズの長兄、谷村新司ばりの大きな愛を歌いたがっているように感じてましたから。そんなもので、私個人としても、「夢の旅人」まではシングル購入してたけど、「Sing a song」からは買わなく、いえ、買えなくなりました。何か変な宗教に足を踏み入れているような妙な感覚。同時期のさだまさしさんにもちょっと感じた危うさがありました。もっともこっちは莫大な借金の影響もあったかもしれません。でもさださんはこの時期「長崎小夜曲」とそのB面である「北の国から」がまた抜群に良い曲でしたけど。谷村さんは、「愛の誓い」とか良い歌多かったし、柏原芳恵に「花梨」書き下ろしたりしてましたけど、なぜもっと売れないかな、とは思っていました。そういえばチー様は「タイニーメモリー」を、やはり柏原芳恵に書き下ろしてましたっけ。この時期くらいに小田和正もイルカの「FOLLOOW Me」プロデュースしてましたっけ。色々それまでの流れが変わってきていた時期ではありました。日本の都市計画も、この頃から変わってきてましたね。浦安にあんなのできたのもこの時期だし。もう少し不便な?生活も慣れておかなければ、思わぬしっぺ返しに遭うかもクマ。まず緊急銃猟を見直すクマよ。
まあ基本的に、人間は自分が良ければそれでいいクマ。そのしっぺ返しは今にくるクマ。そうならないように今からでも備えるのが大事クマよ。




