みずいろの雨が降る
歌謡曲の事書こうと思いながら、時事問題っぽくなってしまったのは全て時間のせいヨ。クマは通常、こんなに長生きはしないクマ。落ち着きも、短期記憶もないクマ。ついでに風太君も亡くなったクマ。寂しいクマ。
小4の頃でしょうか。当時夜中(と言っても、8時ころですよ)にテレビを見ていたら、ブラウン管からきれいな、甲高い声の女性の歌が聞こえてきたのです。曲名は「みずいろの雨」、歌うは八神純子という女性で、いやあ衝撃的でした。番組は「ベスト30歌謡曲」。多分その前くらいから、さとう宗幸「青葉城恋唄」や渡辺真知子「迷い道」が聴きたくて、当時の自分としては若干遅めなその時間帯にテレビを見ていたんだと思います。月曜日だったら、「水戸黄門」や「大岡越前」が見たくて起きているのが普通でしたが、本来良い子はぼちぼち布団に入る頃合い。この年の2年前に祖父が亡くなって、その代わりというのではないけれど、この年に弟が誕生し、家の中が若干浮ついていた時期の事でありました。6月に弟が生まれてから、すぐに宮城県沖地震がおきまして、私は丁度学校帰り。地方の事ゆえ、帰りはほぼ4キロの道のりを徒歩。丁度近所の、完成直後の橋の上に差し掛かった時に、ぐらっときたのでした。いや、ぐらぐらか。当時、私の住んでいる地区ではひんぱんにダンプカーが走っておりまして、そんなもので急にぐらぐら来た地震が、橋の上をダンプカーが走ってきたため揺れたのだと思い、橋の欄干に掴まって耐えていたのだけれど、、どんなに周りを見渡しても車の影は無し。丁度同じ橋の上にいた近所の上級生のお兄さんが、「地震だぁ」といって走り出したのにつられて一緒に、自宅方向に向かって走ったことを今でも覚えています。いやあ、その後知った事ですが、宮城県内ではこの時、ブロック塀の倒壊で地元の町でさえなくなった方がいたとか。初めて経験した自然災害。驚きましたね。翌日、学校でどういう会話をしたかは全然覚えてませんが、その後数十年を経て福島県南相馬市鹿島区にいた時に、起こったのが東日本大震災。この時は母親の親戚の家にいたのですけれど、場所が丘陵地にある一軒家。この時はやっぱり急にぐらっときて、その後出していただいたお茶を押さえながら身構えていたのですけども、揺れが全然おさまらないどころか、何秒経っても揺れ続け、それどころか揺れがだんだん大きくなり、その家の居間にあった茶箪笥の大硝子が揺れに耐えかねてガチャンと割れて、中のカップ等が音を立てて割れ転がり、ついていた液晶テレビが放送が止まるが早いかテレビ台からり、転がり落ちそうになり、余計なことをと思いながらもお茶(熱かった)椀と同時に片方の手で押さえている間にも揺れは続いて、正直地震、と感じるより、場所柄、地滑りでも起きて家ごと下の方に流されているのでは、と考えていました。数分後、揺れがおさまっててホッとしたのも束の間、その家の家族に寝たきりの100歳になるおじいさんがいて。なかなか立てない母とその家の叔母さんに代わって安否を確認に行ったのですが、家自体が丈夫な造りで部屋は無事だったのだけれど、そのおじいさんは、初対面の私に向かって、「こんな揺れは生まれて初めてだ。」と仰ったのでした。その後、出先の事ゆえ、片付けを手伝うでもなく、這う這うの体で自宅に戻ったのですが、帰り道、国道6号線を帰る道すがら、その地方の古刹が崩れ落ちている現場やら、それを茫然として見守る地元の人やら、相馬市に差し掛かったあたりで橋げたがずれて誘導をしている自警団の人やら、松川浦に向かう車の列やらを横目に自分たちだけは自宅方面に急
いだのでした。途中つけていたカーラジオからは、「津波が来るかもしれない」というアナウンスがあったので、海沿い故にびくびくしながら、道路状況は、思ったよりは混んでなかったけれど。ならば混む前に、という考えの元、土地勘はあったので途中から裏道っぽい道を通って、可能な限り近道をして国道113号線にのってそこから山間部を通る道をひた走り、やはり途中であちこちの橋が隆起しているのをよけながら、それでも2時間ぐらいで地元に戻ったのでした。途中ガソリンスタンドでガソリンが、まだ何とか入れられそうだったけれどそれも失礼だよな、と見送ったのが今でも後悔している事です。その後地元ではガソリン配達網マヒによりガソリン不足になりましたし、それから、あの時国道6号線から松川浦に向かった人は、どうなったんだろうと思うたびに、あの時何かできたわけでは無いけれど、何かこう、もやっとするものがあったのでした。同地の民宿の中に母の同級生が嫁いでいたところがあったとは、その後に聞いた話です。その母も、100歳のおじいさんも、訪問した家の母の弟も、よく考えたら、宮城県沖地震の時に一緒にいた上級生も、皆亡くなってしまいました。地震が起こると、だから色々な事を考えてしまいます。できたことできない事、今更考えてもしょうがない事。家に帰りついて自宅は無事だったけれど、家にあった構築物の壁が崩れていて、その隙間からその前年に家に来た風太君が出てきたこと。その日から始まった電気が無い暮らし。ガソリンスタンドに並んだ日々。そんなことが思い出されます。・・・もとい。
八神純子さんは、そんなわけで自身の記憶と密接に・・・繋がっていることはありません。が、丁度そんな境目に聞いた歌の歌い手であります。まあ、さとう宗幸さんも渡辺真知子さんも、同じなんですけどね。ちなみに宮城県沖地震の4日前に生まれた弟は、ダミアンと呼ばれながら今でも生きております。育て方を誤ったとは思わないでもないですが、まあ、お互い様でしょう。私は熊ですが、こちらは恐らく猪です。歌下手だし。
だから地震は嫌いです。でも、地震と入力すると自身と出ちゃうんですよね。全くうちの入力システムは。判ってるじゃないか。




