またまた、演歌かな(というより、阿久悠は凄い)
故人を崇拝するつもりはありませんが、私の確か中学時代には、「殺人狂時代ユリエ」なる小説を上梓されていました。図書館で見かけたのに、当時は見かけただけにとどまったのが今でも残念です。文庫版でも探してみようか。
小学校の頃、最もよく耳にした歌は、沢田研二の「勝手にしやがれ」か都はるみの「北の宿から」、そして石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」でした。うち⒉曲はレコード大賞大賞受賞曲で、基本的にどれも大賞候補曲、ついでに全て阿久悠さんの作詞の曲です。同時期にピンクレディのほぼ全ての曲の作詞も手掛けていたわけですから、その芸風の幅が伺えるというものです、しかも阿久さんの詞はあまりに汎用性が高かったため、ともかく多くの替え歌等が歌われました。子供たちの間でも。ピンクレディの各曲も、子供たちが自主的に作ったもの以外にも替え歌が小学館の雑誌を中心に、替え歌特集のようなものがよく掲載されていたものです。「おおかみがいもをむく」のは基本中の基本で、「しんじられないことばかりやるの」なんて、今にして思えば少々アレな感じがするものもありました。信じられない娘、って誰でしょうね。ついでに何するんでしょう。考えすぎてはいけない。ただ、感じるんだ。くま。そういう年齢になって、汚れてしまったのさ。もしそこまで当時考えていたら、そんな子供はがっかりだ以上ですね。「勝手にしやがれ」もその情景が浮かぶのはある程度世の中を知ってからでしょうが、私なんかはつい最近まで誤解していたところがあります。背中に耳があるんかいとか。ただの戯けだわな。「北の宿から」だって、家には機械式の編み機があった関係で、手編みというのが良くわかりませんで、寒いところでセーターを編むという行為が何を意味するのか解りませんでしたし、ただ単純に「暖かいとこでやればいいじゃん。」なんて身もふたもない事を思ってみたりしたもんです。ついでに北の旅館にそんな設備を持ち込むなんてとか、歌の世界観を全否定するようなことを思ったり。本当にモノを知らないにも程がある。それとも昔からツッコミ体質なのか。「津軽海峡・冬景色」は言うに及ばず。鴎はたまご形のおかしを食べるものですよ。そういえば、銘菓鴎の卵はちょうどその時期に三陸に家族旅行で行ってお土産で買ったのが最初の出会いでした。津軽じゃないな、そういえば。遊覧船にのって船内で売っていた海藻入りのパンをちぎって窓から手を出すと、奪うようにくわえていかれるという恐怖体験をしたもんです。その時船内で流れていたのは「涙の連絡船」ではなかったか。都はるみさんの歌だし、三陸関係ないじゃん。「あんこ椿は恋の花」だったかもしれませんが、いずれ場所的には問題あるし、都はるみには違いない。「好きになった人」でないだけ良いのだろか?ただ、なにぶん古い記憶なので正確かどうかはわかりません。言えることは、当時東北地方では都はるみが大人気だったということぐらいです。テレビなら圧倒的にジュリーだったんだけど。「時の過行くままに」以降はどの歌も人気ありましたから。「サムライ」とか「ダーリング」とか「憎み切れないろくでなし」とか。男はピンクレディよりは秀樹かこちらでしたね。一部ひろみも混ざってましたけど。「男の子女の子」はそれほど影響力がありました。歌いやすかったし。それ以外なら、クールファイブでしょうか。内山田洋と、がつくんですけど、前川清の暑苦しいボーカルが、すべてを忘れさせてくれます。ついでに東北だけに、新沼謙治も人気でした。「嫁に来ないか」大ヒットしましたヵら。ちなみにこの歌も作詞が阿久悠さんです。本人はずうずう弁の激しい喋りをする方でしたから、都会的な阿久さんが作詞していたとは最近「嫁に来ないか」のEPを入手するまで思ってもみませんでした。本当にすごい作詞家です。だって、八代亜紀の「舟唄」もそうですよ。「雨の慕情」もそうなんですから、しかも狙ってレコ大取りに行ってるし。当時の日本人に恐らくDNAレベルで刷り込まれているんではないかいな。ちなみに熊の場合もそんなものクマ。
同時代の作曲者なら筒美京平さんが凄かったです。阿久悠さんとのコンビなら尾崎紀世彦「また逢う日まで」が凄かったですが、御三方とももう故人。時の流れは速いというよりは、もうそういう年齢なんだな、この熊は。何か今回は凄くメジャーな述懐だ。自重自重。




