第86話 呼び出しの理由
手紙にて、兄から呼び出しを受けて執務室に出向いた。
要件が記載されていないどころか匂わせさえしていなかったので、一瞬「『忙しい』と言って断ってしまおうか」とも思ったけど、すぐに「もしかしたら手紙に書けないような用事なのかもしれない」と思い直して、足を向ける事にした。
わざわざ執務室に出向けば、いつものように室内には多くの文官がいる。
それを、最早通常となりつつある「兄妹水入らずで話したい」という気持ちの悪い方便で追い払った兄は、最後の一人が部屋を出ていき扉を閉めたところで、やっと執務机から――城に出入りしていた商会の選定資料から顔を上げた。
「大成功した慈善事業の裏で、粛清を行ったようじゃないか」
「そのような事が聞きたくて、わざわざ呼び出したのですか」
突き放したような私の物言いに、兄は少し驚いたような顔になった後で微笑を浮かべる。
「兄としては――この慈善事業の裏の目的に少なからず手を貸していた身としては、気になるのは当たり前だろう?」
「そちらが勝手に手を出してきただけですけれど」
まぁでもそれを「どうせ手を出してくるのなら、利用してやろう」と思ったのは私。
手を出す以上、現時点で私の邪魔をしても何らメリットはないと踏んで、彼の合理主義を信用した配置にしたのも、私だ。
そもそもある程度の情報が兄の方に漏れるのは、想定済みではあった。
「知っているかい? 王城に出入りしていた大商会が事業を大幅に縮小し逃げ、側妃の愛人や協力者の令嬢が軒並み立場を失くしたのを」
「あの男が側妃の愛人かどうかは、私には分かりかねますね」
「ここには他に目もないんだ。事実を口にしたところで、何の問題もないだろう?」
「口車に乗るつもりはありません」
側妃とロスディン辺境伯との間に肉体関係があったのかは知らないが、興味もない。
むしろ、深堀して事実を知ってしまったら面倒な事になりかねない。
何故なら。
「側妃が今身ごもっている子ども、アレの出所は一体どこなのか」
呟くような兄の声は、まるで私の思考を先読みしたかのようなタイミングで発せられた。
そう。
事実を知ってしまったら、あの子どもの出自が分かってしまう。
そうなれば、時戻り前と状況が変わってしまう。
現時点ですでに私の行動で状況が変わり、その影響か、あの時には起こりえなかった事が起きている。
愛する家族を守るために起こした直接的な行動で変わるのなら、仕方がない。
だってそれは、その時せねばならない事だから。
でも、それ以外――どうでもいい事で時戻り前と状況を変えてしまったら。
少なくとも、私が自分の『未来を知っている』というアドバンテージを捨てるには、側妃の子どもの出自という情報は、あまりにも軽すぎる。
「お前は、正当であるべき王族の血筋を『些事』だと思うのか」
訝しげな兄の声が聞いてくる。
なるほど、今日私をここに呼んだのは、これが理由か。
ストンと腑に落ちて、同時に安堵した。
「私にとって、王族が正当な血であるかどうかは『些事』です」
「子どもたちがいずれ継ぐ立場だろうに。側妃の子どもなど、間違いなく障害になるだろう」
つまり、今のうちに事実を握っておいて、今すぐ潰すか、そうでなくとも、いつでも潰せるように準備をしておくべきだ。
そう言いたいのだろう。
兄の目が、私の心の奥底を見定めるようにこちらを見据えてきている。
それはとても静かな色だったけど、同時にひどく冷めていて、私に「自分の思い通りに事が運ぶのでなければ切り捨てる」という決定事項を、まっすぐに突き付けてきているようだった。
この男はきっと、自分の目に余程の自信があるのね。
私のすべてを見透かす事ができると、信じて疑っていない。
昔からずっと、時戻り前も、この男は結果主義だった。
その彼からすれば私の事なんて、自分の思い描く未来――スイズ公爵家と自分の地位の維持どころか、この国の実験さえ握りたいという野心を後押しするコマくらいの認識なのだろう。
――そんな貴方だから、貴方は私の『家族』足り得ない。
「私の一番は、子どもたちよ」
揺るぎない真実を告げた。
どちらとも取れる言葉を告げた。
あとは、この男がこの言葉をそのままの意味で受け取るか、自分のいいように受け取るか。
もしくは私がこの言葉を選んだ理由を見透かして、私が彼に対して警戒心を抱いているという事実を察するか。
まだ選択に迷っていると、錯覚するか。
どちらにしろ、彼には私が側妃の子どもの出自を疑っているという言質は、取らせなかった。
「私は、子どもたちの命と尊厳を脅かす人間を決して許しはしません。それが、誰であっても」
「例えば、それが俺であっても?」




