第84話 露骨な恩とやんわりとした指図
「ご機嫌麗しゅう、王妃様」
私が応接室に顔を出すと、エインフィリア公爵夫人が席を立ち一礼する。
「本日は、お招きいただき光栄ですわ」
「座ってちょうだい」
敢えて返事をしなかった事に、彼女は果たして気が付いたか。
少なくとも表面的には気にしている様子はないけれど、内心では「直接的な会話を避けるような私」に少なからず気分を害したかもしれない。
でも、そうだとしたらそれでよかった。
「先日の慈善事業、お疲れ様でした。ここ数日は、久しぶりにゆっくりとできたのでは?」
「そうね。ただ、私にも腹心ができました。お陰であの慈善事業も思ったよりは楽させてもらっていたわ」
「そうはいっても限度があるでしょう? 同じく慈善事業を行う他の夫人や令嬢たちと比べれば、考えるべき事もやるべき事も、多かった事と思いますわ」
彼女の労いを無難に流そうとしたら、厭に食い下がられた。
普通は目上の相手――それも、特別親しいような間柄ではないような相手に、こんな食い下がり方はしないのだけど……私がその事に気づくと思っていないのか。
それとも無意識的なのか。
……いや、無意識という事はあり得ないわね。
エインフィリア公爵夫人は、商売における交渉に慣れていらっしゃる方だ、まったく同じとはいかなくても、対貴族のそれに近しい経験である以上、この手の事には敏感であるべきだし、そうでなければエインフィリア公爵家の夫人としての役割は果たせないだろう。
となると、十中八九自覚的ね。
自覚的にこのような事をするという事は、戦略的にそうする必要があるという事だろう。
私はそこに一つ、心当たりがある。
――おそらく今回私が呼び出したのと同じ理由なんじゃないかしら。
「幸いにも、私の傍にはアランがいますから」
「あぁ、たしかに彼は有能な類に入るのでしょうね。しかし一人ではどうしても目端が利きにくい事もあるでしょう。特に、彼は元々城の経理に関わる文官だったのでしょう? 今までしていなかった類の仕事に関しては、やはり勝手や注視のしどころが分からない、というような事もあるのではないでしょうか」
なるほど、アランの仕事を侮るのね?
いいわ。
今日の賭けを始めましょう。
「……あぁ、そういえば事業の貴族向けの寄付返礼品、職人の不手際で制作作業が滞りそうになったところを、フォローしていただいたと報告を受けているわ」
わざとらしい前振りに乗る形で、まるで今思い出したかのように告げると、彼女の目の奥に、ほくそ笑むような気配を見せた。
注意して見ていなければ、きっと見逃してしまっていただろう。
そんな、ほんの一瞬の変化。
しかしそういうものが見える事をある種期待していた私は、その一瞬を見逃さなかった。
「たしか、職人が一部の布を切らしてしまったせいで制作作業が進まなかったところを、融通してくださったとか」
「あの程度の事、造作もないですわ。早期発見できた事もありますし。我が家の伝手と私と職人の間にある人間関係があれば――」
「まるでエインフィリア公爵家の伝手と職人との良好な人間関係があればこその助け舟、とでも言いたそうですけれど」
謙遜を装った自画自賛が続きそうだったので、私が横からぶった切る。
この言葉に続くのは、間違いなく彼女がこちらに示したがっている認識の否定であり、彼女を刺すような物言いだ。
喧嘩を売っている自覚はある。
むしろその気で口を開いた。
一つ目の賭けは、これによって彼女が逆上するか否か。
結果は私の勝ちで、真顔になったほんの一瞬を除けば、笑顔で「まさかそのような事、思ってもいませんでしたわ」と言う。
よかったわ、明確に決別という形にならなくて済みそうで。
まぁでもあちらも、今私を真正面から敵に回すのは、本意ではないのだろう。
今、私の対抗馬となり得る側妃は、私の半分ほどに影響力が落ちている。
彼女がまだ二カ月は社交場に出てこれないだろう事と、彼女が私に何もしかけてこれていない事、そして何よりも私の事業が成功し周りへの心証を上げたせいで。
「……そういえば、王妃様は皆を招いてのお茶会などはしないのですか?」
不穏な空気を避けるためか、それとも今のはただの牽制だと思っての事か。
話題を変える事で今の刺し言葉を流してしまおうという気配を感じた。
「最近社交場は今までにも増して、王妃様の話でもちきりなのですよ。そのため私もよく聞かれるのです、王妃様にお茶会のご予定はないのかと。皆、私が王妃様の『マタニティドレス』の製作と販売を任せていただいている事を知っているので」
にこやかに告げられた「皆自分に聞いてくる」という類のその言葉は、自分の広い人脈や影響力の誇示のようにも、それを示す事により私をけん制してきているようにも思えてならない。
もしこれが一種の被害妄想であったとしても、表向きは優しい助言のように見えて、いい顔の裏に策略が巡らされている。
これこそが、社交というものだ。
私たちにとって、この手の騙し合いや牽制のし合いは日常の一部。
そういう類の駆け引きをする相手でも、信用できる相手というものは存在する……のだろう、きっと。
でも。
いや、だからこそ。
「何故私が、そのような事をしなければならないのかしら」
私は微笑み、そう尋ねた。




