第81話 側妃と正妃 ~ロスディン辺境伯視点~
俺にとって女は駒である。
俺の美貌に狂わない女はおらず、皆俺の薄っぺらい甘言を信じる。
俺自身は俺をどうしようもない奴だと知っているが、それでも不思議と相手が何を欲しているかを見抜く目だけは冴えていた。
俺が唯一自分自身を褒める事があるとすれば、間違いなくこの小賢しい先読みの力だと答える。
男の心も見透かす事ができるが、女の方が操りやすい。
だから女を選ぶ。
それ以上でも、以下でもない。
口では砂糖のような言葉を吐きながら、俺の心はいつも渇いていた。
俺は、ただの一度も他者を好いた事がない。
それは、ミーナに対しても同じだった。
「こんにちは、ロスディン辺境伯。私はミーナ。この国の正妃になる女よ」
既に、今の正妃が婚約者として公の場で公表された後の事だった。
ミーナは開口一番にそう言って、俺にスッと手を差し出した。
「だから敬いなさい。媚びへつらいなさい。私のために動き、私の心を考え、私の願いを叶えなさい」
当時のミーナは、まだ側妃としてすら名が挙がっていなかった。
にも拘らず、既に上に立つ者の風格が感じられた。
面白い、と思った。
色褪せた世界で、彼女の鮮烈で苛烈で不敵なその言動は、唯一色鮮やかに映った。
この女の話に乗れば、何か面白い景色が見れるような気がした。
だから俺はその手を取った。
それからの付き合いだ、ミーナとは。
彼女が求めれば、体を重ねた。
彼女が求めれば着飾らせ、彼女が求めれば耳障りのいい言葉をしたし、諜報じみた事もした。
表には明るみにならない、完全に秘匿の関係性。
本心からミーナを愛していれば少なからず不満に思ったのだろうが、幸いにもまったくその手の情は湧かなかった。
むしろ、そうである事が俺にとっても自然だった。
ミーナの目的が「正妃になる事」ならば、間男の存在など邪魔にしかならない。
目的を成すための邪魔が入らない事は、むしろ俺にとっても好都合だった。
ミーナは今までの女と比べて群を抜いて我儘だったが、その分メキメキと成果を積み上げ、側妃になり――気付けば地味な正妃とは対照的に社交界に咲く大輪の花として、本当に正妃に迫るところまで来ていた。
正妃に特段思うところはなかった。
悪意もなければ悪気もなかった。
ただ、俺が見てみたい景色が見れるかもしれない。
その道の上に障害物として正妃がいた。
ただそれだけだった。
俺は、正妃を排除するのは簡単だと思っていた。
実際に、うまく行ってもいた。
しかし、ある日を境いに何かがズレた。
ミーナの計画は悉く失敗し、後手に回った。
対照的に地味だった正妃は、気付けば陰りつつあるミーナを追いやり、社交界で燦然と輝く存在になっていた。
ミーナは言った。
「何があったっていうのよ! あんな奴じゃなかったのに! あの女はずっと地味で、何も言い返さなくて、何を言われても微笑を崩さないような、弱い女だったのに……!」
その言葉を聞いた時、俺は「おや」と思ったのだ。
――何を言われても、微笑を崩さない。
それはおそらく事実なのだろう。
ミーナは自己顕示欲が強い女だ。
もし自分がやり込めたと、相手が傷付いたり悲しんだ様子を見せたと思ったら、それを面白おかしく笑いの種にするような、そんな女だ。
そんな女が言う『何を言われても、微笑を崩さない』は、本当に常にそうであったのだろう。
そんな女が本当に、ミーナが語るように『弱い女』なのだろうか。
ほんの少しだけ、気になった。
正妃が何を言われても微笑を崩さず言い返さずに、ただ耐えていたその理由が。
そして、今彼女が耐える事を止め、躍進しているその理由が。
会ってみたいようで、会いたくなかった。
だって、会えば、顔を見れば、言葉を交わせば、きっとすぐに紐解ける。
紐解ければきっと他と同じように、つまらないものに成り下がるのだ。
女はすべて、手のひらの上。
そんな、退屈で暇つぶし程度の小さな娯楽に成り下がるのが勿体なくて、今まで彼女と対峙する事を、意図的に避けていた節がある。
王妃様の慈善事業が盛況だった事を祝い労う宴。
王城で行われたその催しには、多くの貴族が参加していた。
こういう場には顔を出す。
それは、面白そうなものを見逃さないためと、今回はお腹の中にいる子どものせいで身動きが取れないミーナの代わりに情報収集をするためだ。
そういう場では、俺は存在感を消す。
そんな難しい話ではない。
皆の死角を縫うように移動するだけ。
こうする事で誰にも話しかけられず、つまり誰の邪魔も受けずに会場内の会話を盗み聞き、表情を盗み見る事ができる。
こうしている時に誰かに声を掛けられる事は、ほぼない。
子どもの頃はあったけど、もう成人して何年も経つ。
今更見つかるようなヘマなしな――。
「こんにちは、ロスディン辺境伯」
その声は、どこにでもありそうな声だった。
呼ばれて振り返るのは女性に対するマナーのようなもので、俺の体に染みついた処世術だ。
だからその時も、特に何も思わずに振り返り――思わず僅かに目を見開いた。
その人物が意外だったのが、一つ。
しかし彼女の姿を視界に納めて、初めて自分が彼女の目に映っている事を――つまり、見つかってしまった事を自覚したのが一つ。
それらが俺を驚かせたのだ。
そんな俺に気付いたのか、対照的に声の主の瞳が笑みの形に細まる。
「自己紹介は必要かしら」
「――いえ、王妃様」
表情こそ笑みの形を作っているのに、目の奥が笑っていない。
そんな女が目の前にいた。
その風格に、跪く。
臣下に取る礼が、思わず出る。




