第80話 間違い ~ターム男爵令嬢視点~
「なんて事をしてくれたんだっ!!」
お父様の声に、私は思わずビクッと肩を震わせた。
「我がターム男爵家は、家格に違わず小さな領地持ち。貴族の中でも特に貧乏――下手をすれば爵位があるだけの、この地の代表者というだけの、平民たちとそう変わらない生活をしている人間に過ぎない! 金もなければ、地位もない。影響力もない。だからこそ、王妃様の手伝いをして繋がりを作ってくるようにと言ったのに!!」
そう言って、テーブルの上にある物を感情のままに払い落とす。
乗っていた茶器が紅茶で床を汚しながら、ガシャァァァンッという音を立てて割れた。
それでもまだ怒りは収まらないようで、執務室の出入り口で立ったまま身を硬くしている私を振り向き睨みつけた。
「何故王妃様の邪魔をした」
「だ、だって、『その方がより強固な人脈を築ける』って」
「王妃様とか?! 私がいつそれ以外との人脈を作れと言ったのか! ……噂になっている。お前がロスディン辺境伯に誑かされたと。あの女たらしに誘惑され、毒牙にかかったと!!」
「それは! 私はあの方と社交場で幾らかお話をしただけで、《《まだ》》それ以上の関係には!」
言ってから、自らの失言に気が付いた。
私には婚約者がいる。
もう五年も前からそういう関係の、子爵家の当主である幼馴染が。
彼はいい人だ。
優しくて、私がどんな話をしても楽しそうに聞いてくれる。
穏やかな人で、喧嘩なんてした事もない。
そのおおらかさは、どこか普段のお父様に似ていた。
そのお父様がここまで荒れているのが、私に向かって声を荒げているのが、恐ろしかった。
こんなお父様なんて見たことはなく、しかし何故こんなにも起こるのか分からない。
私は、お父様の言いつけ通り、社交場で人脈を築くべく頑張った。
最初は王妃様の慈善事業を手伝い、王妃様や一緒に炊き出しを手伝う夫人や令嬢たちとの間に友好関係が築ければいいと思っていたけど、そんな私に夜会でロスディン辺境伯がこう言ってきたのだ。
「王妃様は、すぐに失脚される。公には知られていない事だが、王妃様よりも側妃様の方が陛下のご寵愛を受けている。その証拠に、側妃様は今ご懐妊なさっている。側妃様のお子がお生まれになったら、形勢はひっくり返るだろう」
そういう噂がある事は、知っていた。
社交場にいれば誰もが面白おかしく、その手の話をしていたから。
しかし、誰かの話す噂話より、この人の柔和な笑みから発せられる言葉の方が、信じるに足ると私は思った。
思って、しまったのだ。
その時は。
ロスディン辺境伯の優美な立ち居振る舞いとお綺麗な顔と、絵本の世界から飛び出してきた魔法使いのような言葉に、私は惹かれた。
「君を、成功者の世界へ連れて行ってあげよう。今よりもずっと裕福で、せっかくの綺麗な指先がこんなふうに荒れてしまわずに済む。美味しい物を食べて、綺麗なドレスで着飾れる。ご両親の生活も楽にしてあげられる。そんな未来へ」
その手を取った。
夢のような未来叶えるための手段が、王妃様の炊き出しに対する妨害工作なのだと言われた。
辺境伯に喜んでもらえる事を、褒めてもらえる事を、その先にある、魔法使いが王子様に変身し自分を攫ってくれる未来を、私は思い描いてしまった。
……でも、それの何が悪いというの。
少し妨害しただけじゃない。
この気持ちだって、胸に秘めるわ。
それなら誰も傷つけない。
お父様の望んだとおり、有力な人脈も――王妃様が失脚した後に側妃様との繋がりもできる。
それは我が男爵家にとっては、それこそ夢のような事だ。
なのに。
「我が家は今後三年に渡り、社交界からの締め出しが決定した」
「で、でも、側妃様が王妃様に代わり王城内の権力を握れば!」
「そんな未来が何処にある! 今回の王妃様の慈善事業に、陛下は全面協力をした。騎士たちを貸出し、人員を貸した。最近の社交界でも陛下は皆の前で、王妃様の成功を湛えていたそうだ! それを知らぬ者は、今やこの国にはおらん!」
「そんな……」
例の工作がバレ、騎士たちにとらわれ、三日の牢獄生活と聴取の上で家に戻ってきて以降、私はあらゆる外出を禁じられていた。
そのせいで、社交界の事など知る由もない。
お父様は足を運んだのか、もしくは聞いただけなのか。
分からないけど……ちょっと待って。
我が家は貧乏だ。
毎年社交界のマナーで新調しなければならない盛装にかかる費用をねん出する事に
毎年苦心していたけれど。
「それなら今後の三年間、少しは金銭的な余力ができるのでは――」
「何を言っている!」
お父様の怒号が飛んだ。
「社交付き合いを止めれば、他領との関係性が消える。数少ない我が量の特産物を交易する先に困る。すなわち、領民たちの生活に支障が出る!! そうでなくても今回の件で、我が家とは距離を置こうという動きが強まっているというのに、そのフォローもできない状況なのだぞ!」
叩きつけるようなその声に、私は俯きギリッと奥歯を噛む。
「そんな……私、そんなに悪い事なんてしていないのに」
「『悪い事はしていない』……?」
「だ、だって私は別に誰かに直接危害を加えた訳でもなければ、社交界を追われるような罠にかけた訳でもない! ちょっと意地悪しただけで――」
「自分のした事を『ちょっとした意地悪』で片付けられると思っていただけで、十分に罪深い!!」
弁明も真正面から跳ねのけられて、私は思わず呆然とする。
視線を落とした。
自らの手に。
令嬢と呼んでいいような優雅さも、美しさもない、硬くなった皮膚に荒れた手。
社交界だって、得意だった訳じゃない。
それでも頑張ってこれたのは、私たちを慕い頑張ってくれている領民たちがいるからだ。
熱に浮かされて薄れていた彼らの顔が、走馬灯のようにブワッと思い出された。
彼らが今以上に貧しくなるのはダメだ。
でも、どうしたら。
やっと自分が置かれた危うい現状に気が付き、必死に頭を回し始める。
こんな筈じゃなかったのに、という気持ちと、答えを探す思考。
それらがない交ぜになって、混線して段々とよく分からなくなってくる。
が、その中にまるで地獄に一本だけ降りてきた蜘蛛の糸のように、一つの活路を見つけて顔を上げた。
「そ、そうだ! ルシドに、子爵家に他との仲を取り持ってもらうようにお願いすれば!」
ルシドというのは、婚約者の名だ。
優しい彼なら、私のお願いにも応じてくれる。
可哀想な男爵家を、男爵領の民たちの事を助けてくれる。
自信があった。
だって私の知る彼は、いつだって穏やかで心優しく、何事も断らず、私の願いを叶えてくれる。
そんな人だったのだから。
が、そんな希望はすぐに打ち砕かれた。
お父様が、なぎ倒して何もなくなったテーブルの上に、懐の中から出した物をバシッと叩きつける。
「読んでみろ」
手紙だった。
恐る恐る執務室の中に歩みを進め、手紙を手に取り、裏返す。
送り主は、ルシドの父からだった。
彼の父親と私の父親は、昔からの幼馴染である。
家族ぐるみで仲良くしていて、手紙も行き来も日常的にあった。
だから、彼からの手紙がここにある事に、それ程違和感は抱かなかった。
既に封蝋は開けられている。
私は中から手紙を出して、開き、目を通し、愕然とする。
「どう、して」
「当たり前だろうがっ! お前はロスディン辺境伯との間に醜聞が立っているのだぞ!!」
手紙の内容の殆どは、頭に入ってこなかった。
その後の父親の嘆きにも似た怒号も、耳をただ素通りしていくばかりだった。
そんな中、決定的な手紙の文言から、私は目が離せずにいた。
――ルシドとの婚約は破棄とさせてもらう。
こんな筈じゃなかったのに。
私はどこで間違えたのだろう。




