第57話 一番嫌いなあの男の下へ
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「それで、側妃のメイドを一人、教会にやったと」
「はい。本人がそう望みましたので」
時戻り前も後も含めて、私は初めて自らその場所に出向いた。
王城は、陛下の執務室。
そこにいると知っていながら、私が絶対に向かわなかった場所。
時戻り前は、自らこの男の下を訪れるのは、はしたないし申し訳ないと思っていた。
執務に水を差すような真似をして、この男に嫌われたくなかった。
時戻り後は、近寄りたくもなかった。
そもそもこの男に向ける愛も願望も勿体ないと思うくらいに、時間と労力を注ぐべき子たちの存在がある事に気が付いたから。
今でもそれは変わっていない。
この男にたった一片の愛もなければ、時戻り前の恨みは存在するという程で、私たちの存在を思い出してほしくすらなく、干渉を拒絶したい気持ちでもある。
それでも尚今日ここに足を運んだのは、メイドの件で側妃に今横やりを入れられる事を嫌ってだ。
あのメイドは側妃の庇護下にあった。
私の居住区に勝手に入るという不敬を犯してはいたけれど、それは本来側妃に抗議し、側妃が罰するべきものだ。
貴族なら、社交界に「使用人一人制御できない主人」という形で、メイドの行い共々噂で流す。
今回そうしなかったのは、あちらに戻すと少なからず情報が洩れる事と、どうせ側妃に返したところで適当な処罰しかしないだろうから。
噂を方々に流す事で少なからず醜聞は流せるだろうけど、情報を盗みに来るのなんて、社交界では日常茶飯事だ。
私にバレたという一点以外に、特に話題性もない話である。
なら、行方不明にした方がいい。
実際にはちゃんと行き先があるけど、あのメイドがそこに辿り着いたという事を側妃が知るまでには時間がかかる。
問題は、気が付いた後に陛下に泣きつくだろう事だ。
陛下はおそらく消えた使用人と勝手に沙汰を下した私について、涙ながらに訴えるだろう。
自分の大切なメイドが、正妃にあらぬ疑いをかけられ、陥れられたと。
彼女からしたら、それは格好の攻撃の的だ。
だってこれは噂ではなく事実なのだから。
状況証拠で真っ黒だと判断できた私より、僻地の教会にメイドが入った記録という公的証拠がある方が、余程周りも信じるだろう。
だから、物理証拠では覆せない側妃への『否』、私に対する『是』が必要だ。
それは即ち権力というやつで、この国の最高権力であり真っ先に側妃が頼るだろう相手が、目の前のこの嫌いな男である。
私はこの男が嫌いである。
それでも子どものためならば、そのために必要な実績作りのための慈善活動のためならば、この男の事だって《《使ってやる》》。
「実は私、近々大きな慈善事業を行う予定なのです。その情報を、当該メイドが側妃に渡しそうでした。これは、『王妃』の名で行う慈善事業。陛下、ひいてはこの国の評価にも繋がる事ですから、万全を期さねばなりません」
この男が何を欲しているのかは、もうとっくに理解できていた。
だからあとは、この男が流れたい方向に話の道を作るだけだ。
誰よりも自分が大切な、自分が可愛い陛下である。
自分の評判が上がる物事の邪魔をしようとした側妃に対し、一体どんな感情を抱くのか。
そんなのは、火を見るよりも明らかだ。
私は今日ここで、二つの賭けをした。
一つ目は、このように急な来訪に応じてくれるか。
話をする機会が与えられるか。
そしてもう一つが、この事実を信じるか。
私側にこの男を傾ける事ができるかどうか。
一つ目の賭けには勝った。
だから今私はここでこうして嫌な男の顔を見ながら、そんな気などおくびにも出さない平静顔を取り繕っている。
そして、二つ目の賭けには。
「慈善事業とは、どこかへの慰問や寄付などか」
「そうであるし、そうではない。今はそう答えておきましょう」
そこで言葉を切った私は、言外に「これ以上は貴方相手でもまだ話す気はない」と言ったつもりである。
陛下は「ふむ」と少し考えるそぶりを見せた後で、「なら、それが明るみになる時を楽しみにしていよう」と頷いた。
「では、私はこれで」
そう告げて場を辞しようとした私に、彼は何故か「紅茶でも飲んでいかないか」などと言ってきた。
一体何が彼にそんな嫌な気まぐれを起こさせたのか。
内心ではそう思いつつも、外面では笑顔を作りながら「子どもたちを後宮で待たせていますので」と断りを入れる。
しかし部屋を出ていく直前、ふと一つ思い出した事があった。
あわよくば。
言えたら幸運、要望通りになれば楽、という軽い気持ちで振り返る。
「私が行う予定の慈善事業は、かなり大規模なものになる予定です。故に、それなりの時間を掛けねばなりませんし、失敗も許されません。長期間に及び、各種調整など忙しくなるでしょう。ですから陛下」
そこまで告げて、おそらく今日一番の、満面の作り笑いを披露した。
「王妃の公務には参加もしますが、その他の慈善事業や他の方の代役などには、応じる事はできません。これもひとえに、陛下とこの国の未来のためです。ご承知おきくださいね」




