第55話 メイドの選択の行く先
元の部屋に戻り、ルリゼが冷めた紅茶の替えを淹れようとしている時だった。
「よかったんですか? あのメイドをきちんと罰しなくて」
べトナー卿のそんな問いかけに、私はフッと笑みを浮かべる。
「構わないわ。そもそも彼女が心の底からやりたくてあのような事をしていたかといえば、きっとそんな事はなかったのでしょう。権力者からの命令は、断る事も容易ではない。――貴方はその点、身に染みて理解できているのではない?」
経理文官長から不正をもみ消された時の事を思い出したのだろう。
彼はそのたった一言で、グッと押し黙り言葉に詰まった。
もちろん過去のべトナー卿みたいに、抑圧だと感じる人だけではないとも思う。
権力者の言う事を聞きて、喜ばれて、結果を持ち帰れば褒められて。
重宝されれば自ずと立場や待遇が上がり、そこに優越感が生まれる。
それを誇りに感じる人さえいるだろう。
もっと優越感やいい待遇を欲して、もしくはそれを守るために、更に権力者の命令を必死にこなす。
そんな、まるで麻薬のような魅惑が、おそらく権力にはある。
あのメイドがどちらなのかは、分からない。
しかしどちらにしろ確実なのは、こうして行いがバレた時に、大半の権力者は使い勝手がよかったコマを簡単に切り捨てるという事だ。
側妃はどうせ自分を守ってはくれないだろう。
そもそも、そうできるだけの力も持ってはいない。
時戻り前の彼女なら随分と事情も変わったかもしれないが、私は彼女に権力を握られる機会を打ち砕き、以降、特にその攻勢は実を結んでいないのだ。
今の彼女は「お腹に陛下の子を宿している」という武器こそ持ってはいるものの、逆にお得意の社交手腕も、身重であるが故にそういう場に出る事が制限される今、十二分に振るう場所を持てずにいる。
封じられているも同然だ。
だからこそ今回のような手――私とべトナー卿の会話を盗み聞き、対策を立てたり先制攻撃を加えたりというような事――を慌てて取ってみたのだろう。
そうであればこそ猶の事、側妃はあのメイドを助けないだろうと私は思う。
「単に『あわよくば』であのメイドを来させたにしても、焦っていたのだとしても、準備が杜撰だった時点で、あのメイドは見つかったら捨て駒にされる予定だった。あのメイド自身も、おそらくその事に気が付いていたのでしょうね」
だから彼女は抵抗しなかった。
ただ静かに私が出したもう一つの選択肢を選び、大人しく王城の裏口から業者の馬車に紛れて出る馬車に乗ってそろそろ城を出る頃か。
ウィルターに「馬車を手配し、乗せて、きちんと城から出るところまで目を離さないでいてほしい」とお願いしている。
お兄様からの忠実なる貸し出し騎士が、仮とはいえ主である私の言葉に背いたり、仕事に手を抜くとは思えない。
きっと今頃滞りなく、進んでいる事だろう。
「私は、側妃に情報が回らなければ、それでいいわ。そもそも馬車の目的地である辺境の教会は、手紙の発送一つ許可されないくらいには厳しい場所だもの。決してひどい仕打ちを受けるような事はない代わりに、毎日の規則正しい行動と神への正しい献身が求められもする。少なくとも、こちらに情報を漏らすような暇はない」
要塞のような教会だ。
一度入れば脱走も難しく、規制も厳しい。
だからそこに入ってもらいさえすれば、あとはそれ程心配するような事もないと思う。
「かなりの辺境にある教会だと聞きますが、王妃様はその内情をご存じで……?」
「え? ……えぇ、少しばかり見た事があって」
「そうなんですね」
彼は少し意外そうな、半ば感心したような表情でそう言った。
彼の表情の理由は、聞かずとも分かる。
一体いつそんな場所に行ったのか。
そんなところだろう。
私の言葉を、疑ったりはしていないように見えるのが救いだ。
だって、彼の疑問は正しいものなのだから。
少なくとも時戻り後の私には、そのような時間は微塵もない。
私のこの記憶は、時戻り前。
側妃が私から陛下の寵愛を――実質的な妃としての実権を握った後の事。
ちょうど今頃の時期に、側妃が慈善事業と称して、わざわざない『その教会への慰問』という公務を作った。
その上で「私が行きたいのは山々だけど、私のお腹には陛下のお子がいるから」と、妊娠を大々的に発表。
城内は祝福ムードに包まれ、私はその慰問を擦り付けられた。
そうして単身馬車で向かったのが、今回メイドが送られる教会だ。
――陛下に行ってくるように言われたから。
時戻り前の私は、そんな理由でそこへ出向いた。
子どもたちを連れていくには遠すぎるし、だからといって子どもたちの傍を離れないという選択肢は取れなかった。
陛下の期待を裏切って、嫌われる事の方が余程怖かった。
だから時戻り前の私は、子どもたちを城に残していった。
すべてを知っている今なら、思う。
よくあの時期に、子どもたちに何も危害を加えられるような事がなかったな、と。
もし今同じ事を言われても、絶対に行きはしないだろう。
子どもたちの傍を離れるのも嫌だし、だからといって連れていくのも、子どもたちが可哀想だ。
あちらでは、良くも悪くも身分の差はなく、同時に老若男女の差もない。
入ったら、良くも悪くも皆同等。
だから時戻り前の私も、肩書だけは存在していた『陛下の正妃』という立場が意味を為さず、ただただ厳しく忙しく過ごして……。




