第54話 二つの賭けと選択肢
「な、何故……」
メイドが王妃の会話を盗み聞きしていた。
しかも、政敵である側妃のメイドが。
その事実を知られるという事が、どれだけよくない事なのか。
このメイドは正しく理解しているようだった。
彼女の絶望交じりの呟きに、私はコテンと首を傾げる。
「それは、『どうして自分が今日ここに来ると知っていたのか』という疑問? それとも『どうしてこの部屋の壁に耳を当てると隣の部屋の声が聞こえるという事を、私が知っていたのか』という疑問?」
わざとらしくそう聞いたのは、そのどちらも私が仕掛けた賭けに由来するからだ。
まず、私は『この部屋の存在』を知っていた。
時戻り前、私の様子を盗み聞きして逐一報告していた側妃付きのメイドがいたのだ。
それを知ったのは、すべてが終わってから。
子どもたちの死後私がすべてを調べさせたあの報告書の記載からだった。
盗み聞きをしていたそのメイドは、ここへの陛下の来訪状況から、仕事中のメイドたちがする噂話。
ひいては子どもたちの行動まで。
様々な事を聞き、報告していた。
子どもたちが害された日も、そういう情報があって決められたのだという。
言わば、側妃の悪意の起点になった場所。
そんな場所の存在を私が忘れられる筈もない。
だから私はそれとなく、時戻り後にこの部屋について調べた。
普通は聞こえない隣の声がこの部屋には聞こえてしまうのは、この部屋の壁の一部が《《元々そういう造りだから》》。
一部だけ壁が薄くなっており、耳を当てれば向こうの声が聞き取れる。
この後宮が建てられたのは、ずっと昔。
その頃に何らかの意図をもって、誰かがこういう仕掛けを作ったのだろう。
それを一体どういう訳か、側妃が知ることになり利用した。
誰かの入れ知恵か、はたまたたまたま知ったのかは分からないけど、そんな事はどちらでもいい。
私が知りたかったのは、『そういう場所がある』という事実と、埃を被ったその部屋に誰かが入った痕跡がある事。
そしてその部屋の窓の向こうには、普段子どもたちが遊んでいるあの庭に繋がっているという事である。
だから私は、アンに頼んだ。
私が誰かをあの部屋で話をしている時、子どもたちと中庭で遊ぶ傍ら、この部屋を外から注視していてほしい、と。
子どもたちの相手をしているアンにそれが両立できるかは一種の賭けだったけど、『一瞬だけ見れればいい。誰かを判別する必要はない』『外で私に合図を送るだけでいい』『特に今日は、よく見ておいて』という条件にしたのが、もしかしたら功を奏したのかもしれない。
そして、『どうして自分が今日ここに来ると知っていたのか』については。
「一言断っておくけれど、貴女が今日ここに来るという確証まではなかったのよ。ただ、私がべトナー卿を経理部から引き抜いた事はそれなりに噂になった。側妃を始めとする私に悪意や敵意を向けている人間の耳には、十中八九入っているだろうと思ったの。そんな時に『そのべトナー卿を部屋に呼び出して、初めて仕事についての話をする』と知ったら、どうするかしら」
「もしかして」
「嘘の情報は流していない。本当の、普通に流れてもおかしくない情報の秘匿性を少し下げた。それだけよ」
罠を張った、なんていう程のものではない。
私は敢えて彼に、堂々と正面から私の部屋を訪れるように言った。
それだけだ。
その意図を彼には言っていなかったけど、彼は生真面目な人間だ。
私が「周りに気取られないように来て」と言えば最大限そう努力するだろうし、逆も然り。
実際に彼は、何の配慮も隠蔽もせず、真正面から堂々と面会に来た。
それを知った側妃側は、様子を探るためにこのメイドを寄こした。
私は二つ目の賭けにも勝った。
そして今こうして私の目の前に、狡猾なネズミの尻尾がいるという訳だけど。
――どうしようかしら、この子。
少しばかり考える。
このまま帰すのは、以ての外だ。
せっかく現行犯で見つけたのだから、うまく無力化するのは大前提。
こちらの害にならないように、と考えるなら、一番手っ取り早いのは『権力に任せてこのメイドの存在をこの世から物理的に消してしまう事』だけど……。
それはダメ、と拒絶する。
別に私は聖人ではなければ、聖人ぶりたい訳でもない。
醜い心だって持っているし、逆にそうでなければ子どもたちの健やかな成長を守る事はできないとすら思っている。
でも、ダメだ。
たしかに権力者の中には、権力を以って不敬罪や国家反逆罪を軽々と行使し、他者をこの世界そのものから物理的に追い落とすような真似をする人間がいる。
それが最善手かどうかは置いておいて、最速かつ最も自らの手を煩わせない方法だという事には、私も頷くところだ。
それでも尚他の道をこうして模索しているのは純粋に、私は私が最も許せない女・側妃と同じにはなりたくないからだ。
忘れもしない、時戻り前。
本当にダメな母親であり王妃だった私にたった一人だけ、親身に寄り添ってくれていたメイドがいた。
今思えば、彼女は盲目になっていた私を、立ち直らせようとしてくれていたのだと思う。
甲斐甲斐しく世話をし、話題を振って、時には苦言を呈してくれていた。
そんな彼女が私に決して立ち直って欲しくはない側妃の毒牙にかかったのは、最早必然と言えるだろう。
ある日、そのメイドは突然見なくなった。
数日後に聞いたのは、彼女が側妃のドレスを汚した『不敬罪』と、本当は危害を加えようとしていたという証言があった事から下された『王族に対する反逆罪』。
この二つの罪により即日処刑されていた、という事実だった。
時戻り直前に受け取った報告書の中に、彼女に関する記載もある。
――あの一件は、側妃のメイドが故意に足を引っかけた事による事故であり、彼女に反逆の意志は皆無だった。
王妃付きのメイドが側妃のドレスを汚したのは、側妃が有無を言わせずに自身の紅茶を用意するように命令したから。
つまり、すべては仕組まれたものだった。
そんな内容だったのである。
時戻り後の現在、まだその彼女には出会っていない。
私などと関わり合いにならず、今度こそ幸せに天寿を全うしてほしいという気持ちと、時戻り前の事を――意味がないと分かっていても――ちゃんと謝りたい、という気持ち。
未だにその気持ちは混在していて、整理などまるでついていない。
それでも一つだけ確実な事がある。
それが、「私は側妃のところまでは堕ちない」。
「貴方の意思や悪意なく、今ここに人がいる事はない。それを私を始めとする複数人が視認したのだから、言い訳のしようもないわ。貴方は反逆罪により処刑されても、決しておかしな立場ではない。しかしその上で、一つ、貴女に選択肢をあげるわ」




