第2話 涙の叱責
「あんな喧嘩みたいなこと……って」
優一は戸惑った。まさ子を助けるためにやったことなのに、なぜか彼女はひどく悲しそうな顔で、セリフはどう聞いても叱責である。
「ああやって刃物を出されて。たまたま今日は、あなたがこれほどの傷で済んで、あの方たちにお帰りいただくことができました。あなたはそれを、自分が格闘技を習って『強くなったからだ』と思っているのかもしれません。でも……それは、本当の強さではありません」
まさ子の言葉は、優一がひそかに抱いていた「今度こそ師匠みたいに圧倒的な強さを示すことで必要最低限の実力行使で済ませられた」という小さな自負を、根底から否定するものだった。
「刃物なんて、きちんと使い方を知らない素人が持つ方がよっぽど、運悪く重大な結果になる可能性が高いと聞きます。つまり、……お相手に刃物を出させてしまった時点で、あなたの対応は失敗なのです」
まさ子の両目から、ポロリと大粒の涙がこぼれ落ちた。
優一はギョッとして身を乗り出したが、まさ子は泣きながら、厳しい叱責を続けた。
「運悪く、あなたが重傷を負わされてしまうということは、同時に、お相手を犯罪者にさせてしまうということでもあります。私を助けるために、見ず知らずの方の人生を終わらせてしまうかもしれないのですよ」
「……」
「それに……もし、私を助けるためにあなたが刃物で刺されて、運悪く死んでしまったりしたら。残された私たちは、一体どうすればいいのですか……!」
まさ子の涙は、自分が怖い思いをしたからではなかった。
優一はすぐに返せる言葉もなく、俯いて拳を握りしめた。
彼女の言っていることは正しい。自分の行動は、一歩間違えれば全員を不幸のどん底に叩き落としていたのだ。だが、十四歳の少年の心には、どうしても納得しきれない反発があった。
「……じゃあ」
優一は、唇を噛み締めながら、ぽそっと呟いた。
「俺は、まさ子さんが襲われてるのを、ただ見て見ぬふりして……放っておけばよかったって言うのかよ」
その一言は、まさ子の逆鱗に触れたようだった。
「……っ!!」
まさ子が息を呑み、その丸っこい肩が怒りで激しく震えている。彼女がこれほどまでに感情を露わにし、激怒の表情を浮かべるのを、同席していた凜と茜もほとんど見たことがなかった。
まさ子が立ち上がり、何かを叫ぼうとした瞬間。
「はいはい、ストップストップ。まあちゃん、ちょっとこっちにいらっしゃい。優一君は凜お姉さまとお茶でも飲んでてね」
茜が、すっとまさ子の腕を引き、半ば強制的に応接間から連れ出した。
邸宅の奥にある、広々とした美しい台所。
茜は手際よく小鍋で牛乳を温め、蜂蜜を少しだけ垂らしたホットミルクを二つのマグカップに注いだ。それをダイニングテーブルに置き、まだ肩を震わせて泣いているまさ子の前に座る。
「はい、飲んで。落ち着きなさい」
まさ子は無言でマグカップを両手で包み込み、ゆっくりと口をつけた。温かい甘さが胃に落ちていくと、少しだけ怒りの熱が引いていくのを感じた。
「……ごめんなさい、茜ちゃん。私、川越君にあんな言い方してしまって……」
「そうね。あなたの言ってることは百理あるわ。でもね、あの子もまだ十四歳の男の子なの。好きになった女の子を守りたいって必死に背伸びしてるんだから、あんな言い方されたら意地も張るわよ」
茜は頬杖をつきながら、ひどく優しい、見透かすような声で尋ねた。
「ねえ、まあちゃん。あなた、彼のこと好きなのね?」
「……そういうのとは違います。彼はしぃちゃんの従弟ですし、私にとっても、弟みたいなもので……」
「嘘つかない」
茜の声は、どこまでも優しく柔らかく、しかし逃げ道を塞ぐように確かだった。
「……じゃあ、もし。邦明叔父さまと知り合う前に、彼と出会って、告白されて付き合ってくれって言われていたら?」
まさ子はハッとして目を伏せた。あの日、喫茶店でツツジの秘密を共有した時の、彼の不器用で真っ直ぐな瞳。今日、刃物を前にしても一歩も退かずに自分を庇ってくれた、広く大きな背中。
「それは……お付き合い、するかもしれません」
正直に答えてから、まさ子は慌てて顔を上げた。
「あ、あっ、でも! 叔父さまとは、私が生まれてからずっとのお付き合いですから! 決して叔父さまを裏切るような気持ちは……!」
「ふふっ。いいのよ、そういうの『語るに落ちた』っていうのよ」
茜はクスリと笑って、まさ子の頭を優しく撫でた。
「別に恥ずかしいことでも、悪いことでもないわ。邦明叔父さまだって、あなたがそうやって同年代の男の子に真っ当な好意を寄せることくらい、別に何とも思わないわよ。むしろ、安心するんじゃないかしら」
「茜ちゃん……」
「さ、落ち着いたなら戻りましょ。優一君、お姉さまと二人きりにされて、今頃息の根が止まってるかもしれないから」
立ち上がりかけた茜は、ふと思いついたように振り返った。
「そうそう。戻ったら、あなた、彼の前で『レッドスネイクカモン』をやってあげなさいよ。彼も、あなたがどれだけ守られてるか分かれば、安心するでしょ」
「えっ、そんな……!使い魔は、軽々しく他人様にお見せしてはいけないって、お母さまからきつく言われているのに……」
「だって、お礼とお詫びじゃない。刃物を前に自分の身の危険を冒してまで、あんたを助けてくれたのよ? 今回は、ブレザーのツツジを触らせる程度じゃ、到底安すぎるわ。彼でしょ、例のツツジの刺繍の相手は」
茜の言葉に、まさ子は目を丸くした。
「なんで……茜ちゃんには、全部分かっちゃうの? 前の時、あんなに川越君のことはぼやかして話したのに」
「ふふふ、可愛い妹のことは、茜お姉さまにはぜーんぶお見通しなのさっ」
ウィンクをして見せた茜の明るさにつられて、まさ子の顔にもようやく、いつものぽやぽやとした笑顔が戻った。
(了)




