第3話 魔女たちの宴
二人が客間に戻ると、そこには予想通り、凜の放つ圧倒的なプレッシャーの前にまさに息の根が止まりかけという表情の優一の姿があった。
「というわけで、まさ子は二重にも三重にも守られているので、あなたのご心配には及びません」
凜は紅茶のカップを優雅に傾けながら、説教の総仕上げに入っていた。
「ただ、防衛が過剰に働きすぎてやりすぎになる傾向がままあります。もし、まさ子にちょっかいをかけた相手が可哀想に思えるのなら、あなたが間に入って穏便に解決していただけると、それは助かります」
「は、はいぃ……っ」
「あら、まさ子。戻ったのね。今、優一君に『あなたの脇が甘い』という話をしていました」
凜はまさ子を見るなり、厳しく指摘した。
「こんな短期間に何回も絡まれるのは、あなたの脇が甘くて、『これならいけるかも』と相手に付け入らせてしまっているところが大きいのです。街で不審者に声をかけられても、私のように相手の目を無言で見て退けられるようになるまで、もっと鍛錬に励みなさい」
すかさず茜が横から口を挟む。
「お姉さま、それナンパなんですってば。不審者じゃありません。真面目そうな子だったら、ちょっとはお誘いに付き合ってあげないと、本当に出会いなんか一生ないですよ?」
「何を言っているの。お付き合いをするということは、当然、結婚を前提として、うちに来てお父さまとお母さまにご挨拶していただいて、身元もきちんと確認してから……」
「どんな重いナンパよ! まったくもう、お姉さまだってただの深窓の令嬢なんだから」
姉妹の高度な漫才のようなやり取りに、優一はただただ目を白黒させるしかない。
茜は小さくため息をつくと、優一に向き直り、今度は真面目な顔で深く頭を下げた。
「優一君。まさ子のこと、助けてくれて本当にありがとうございます。この子、悪い癖で自分のことよりも相手の心配ばかりしてしまうから、あんなキツイ言い方をしたけれど。本当に、まさ子も心から感謝しているからね」
「い、いえ……俺の方こそ、生意気言ってすみませんでした……」
「それで、まさ子。お姉さまも『まさ子は守られている』って話したみたいだから。優一君にちゃんとお見せして、安心してもらいなさい」
茜の促しに、まさ子は少しだけ迷ったように優一を見つめた後、こくりと頷いた。
「えっ、見せるって、何を……?」
「川越君、あんまり驚かないでね。……朱美さん、お手数ですが、出ていらしてください」
まさ子が虚空に向かってそう呼びかけた瞬間。
客間の空気が、一変した。
シャンデリアの光が急激に薄暗くなり、部屋の気温が一気に数度下がった。どこからともなく白い霧が立ち込め、優一の足元を撫でる。
「えっ!? な、なんだこれ!?」
優一がソファから飛び退こうとした時、まさ子の丸っこい肩の上に、音もなく「それ」は出現していた。
全長一メートルほどの、真っ赤な鱗に覆われた太い蛇。
朱美と呼ばれたその赤蛇は、まさ子の肩に顎を乗せ、優一の方を見てニヤリと口角を上げてねちっこく笑いかけた。そして、「シャァァッ」と短く威嚇の声を上げると、ふっと空気に溶けるように、笑い顔だけを残して消え去ってしまった。
部屋の明かりと温度が、ゆっくりと元に戻る。
「もう、あの子も調子いいんだから。笑いを残して消えるって、チシャ猫じゃない。まさ子がアリス?」
茜がケラケラと笑う。
「まさ子の使い魔が、相手を殺すようなことは基本的にありません」
凜が、呆然とする優一に向かって淡々と解説を補足した。
「ただ、手加減しても病院送りにしてしまうことが多いので、今後またトラブルの場面に遭遇したら、先ほど言ったように、あなたの度胸と才覚で穏便に済ませていただければ、それに越したことはありません」
「………………」
優一は、ソファに座り直すこともできず、腰を抜かして床にへたり込んでいた。
(使い魔ってナニ?魔法?お化け?)
詩織が言っていた「魔王の城」というのは、比喩でも何でもなく、本当に人外の魔窟だったのだ。こんな常識外の存在に、ただ格闘技を習い始めたばかりの中学生が勝てるわけがない。
そんな優一の前に、まさ子がしゃがみ込み、彼と視線を合わせた。
「ごめんなさい、やっぱり驚かせてしまって。でも、これからは無理をして戦おうとしないでくださいね」
まさ子の声は、いつもの穏やかな響きに戻っていた。
「ううん……本当に、川越君が私を守ってくれたこと、色々と気遣ってくれたこと。私、とっても嬉しかったです。……今度また、お時間がある時に、あの喫茶店でおしゃべりに付き合ってくれませんか?」
優一は、ぶんぶんと首を横に振った。
「は、はい。嬉しいです。……でも、師匠にお伺いを立ててからにします。師匠の奥様と二人っきりで喫茶店なんて……やっぱり、師匠の許可がないと、俺、殺されます」
「お、奥さまだなんて、もう……っ」
奥さまという響きに、まさ子は顔を真っ赤にして両手で頬を押さえた。
「さ、茜。たしか、先日いただいた美味しいクッキーがあったと思うので、優一君に出して差し上げて」
凜が空気を変えるように指示を出すと、茜は嬉しそうに手を打った。
「えー、それならお茶をいれ替えて、みんなで食べましょうよ! 優一君、今日この後、何か用事があったの? ないなら、お夕飯も食べていきなさいよ」
「えっ!? いや、そんな、お邪魔じゃ……」
「あ、そうだ。詩織ちゃんも呼ぼう、呼ぼう! なんだか、すごく面白い話が聞けそうよね」
「絶対面白いに決まっています。すぐ連絡しましょう」と、凜も同意。
姉妹のペースに完全に巻き込まれ、優一には抵抗する気力など全く残っていないまな板の鯉状態。
その日の夜、急遽駆けつけた詩織を交え、エス家の豪邸のダイニングでは、十四歳の少年の空回りと成長を笑い飛ばす、とても賑やかで楽しい夕食会が開かれた。
魔女たちに囲まれ、小さくなりようのない長身を屈めるようにして夕食に取り組む優一。女たちはたびたび優一に話を振ってはからかい、時に答えに窮する十四歳の少年の、図体にあわぬ可愛らしさを楽しんだ。
こうして平和な冬の夜は更けていく。
(ツツジ達の沈黙・完)




