第七話
「港の検問は駐屯地の騎士で回せる程度に落ち着いた。またしばらく、二人ずつ交代で休め」
ガルドがそう告げたのは、あの灰色の髪の男を取り逃がした三日後だった。
「初日はクライトとフレンダだ」
フレンダは、黙って頷いた。
交代の休暇が、一巡する。それが終わったら、もう猶予はない。
ゲームでは、休暇明けに一同は怪しい人物を追って廃墟へ踏み込む。そして、アルマが死ぬ。
(休んでなんか、いられない)
翌朝、フレンダはクライトに声もかけずに、ひとりで宿を出た。剣を腰に差し、外套のフードを深くかぶる。
あの男が何者なのか。廃墟とはどこなのか。少しでも、何か掴めるかもしれない。
◇
朝の大通りを抜け、一本、また一本と細い路地へ入っていく。
表の賑わいが嘘のように、路地裏は薄暗く、湿っていた。崩れかけた壁に、干からびた海藻がこびりついている。どこかで猫が鳴いた。
「よぉ、お嬢ちゃあん」
酒の匂いが、むわりと鼻をついた。
路地の角から、赤ら顔の男がふらふらと現れた。手には酒瓶。まだ朝だというのに、足元がおぼつかない。
「こぉんなとこで、ひとりかぁ? おじさんと一杯やろうぜぇ」
「やりません。どいてください」
「つれねえこと言うなよぉ」
男の手が、フレンダの腕に伸びる。フレンダはうんざりしながら半歩引いた。
(剣を抜くほどでもないけど……どうしよう、投げ飛ばしていいのかな、これ)
騎士見習いが、酔っ払いの一般市民を投げ飛ばす。後でガルドに知られたら、溜め息どころでは済まない気がする。
そのとき。
「ごめんねー?」
場違いに明るい声が、路地に響いた。
「この子、今から俺とデートだから」
酔っ払いの肩越しに、白い髪が揺れていた。
あの夜の、男だった。
にこにこと人懐っこく笑いながら、男は酔っ払いの手首をひょいとつまんで、フレンダの腕から外した。
力を込めているようには見えなかった。なのに、酔っ払いは「いでででっ」と情けない声を上げて、酒瓶を取り落とした。
「じゃ、そういうことで」
男はフレンダの手を取り、そのまま歩き出した。
「ちょ、ちょっと!?」
振りほどこうとしたが、手は柔らかく握られているだけなのに、なぜかするりと外れない。
引かれるまま路地を抜け、角を二つ曲がり、気づけば人で賑わう大通りに出ていた。
フレンダは、思いきり手を振り払った。
今度は、あっさりと離れた。
「あなた、誰なの?」
剣の柄に手をかけながら、睨み上げる。
男は、振り払われた手をひらひらと振って、首を傾げた。
「あれ、そっか。まだ名乗ってなかったね」
朝の光の中で見ると、男の白い髪は、ほんのりと銀色を帯びていた。目の色は、光の加減で灰にも薄紫にも見える。
「俺のことは、ライ、って呼んで」
(……ライ)
偽名だろうな、とフレンダは思った。
あまりにもあっさりと口にした。まるで、たった今思いついたみたいに。
「ライは、味方なの? それとも、敵なの?」
「さーあ?」
ライは、楽しそうに肩をすくめた。
「どうだろうね。そんなことよりさ、この後、時間ある?」
「は?」
「せっかくだし、本当にデートしようよ」
フレンダの眉間に、しわが寄った。
(デート)
その言葉が、なぜか胸のどこかにひっかかって、もやりとした。何がひっかかったのか、自分でもよくわからない。
けれど、すぐに考え直す。
(……これは、チャンスかもしれない)
名前を知っていた男。気配もなく現れる男。ゲームにいなかった男。
一緒にいれば、何か尻尾を掴めるかもしれない。
「……いいよ。付き合ってあげる」
「やった」
ライは、子どものように笑った。
◇
ライが連れていったのは、港の外れの広場に張られた、大きな天幕だった。
赤と金の縞模様。てっぺんには色とりどりの旗がはためき、入り口では道化の化粧をした男が、太鼓を叩いて呼び込みをしている。
「旅の曲芸団だよ。今日が最終公演なんだって」
「……曲芸団?」
天幕の中は、薄暗く、熱気に満ちていた。円形の舞台をぐるりと囲む階段状の客席は、満員だった。ライと並んで腰掛けながら、フレンダはこっそりと腰の剣の位置を確かめた。
(油断しない。絶対に)
隣のライを、横目で窺う。
照明が落ち、太鼓が鳴り響いた。
天幕の高み、闇の中に、ふっと光が灯る。吊るされた細い棒に、軽やかな衣装の男女がぶら下がっていた。
空中ブランコだった。
揺れる。大きく、大きく。そして、手を離した。
客席から、悲鳴のような歓声が上がる。宙を舞った少女の手を、向かいのブランコの青年が、ぎりぎりで掴み取る。
「わあ……っ!」
ライが、声を上げた。
フレンダは、思わず隣を見た。
ライは、身を乗り出していた。灰とも紫ともつかない目を、まんまるに見開いて。少女が掴まれた瞬間、ほっと胸を撫で下ろし、それから子どもみたいに手を叩いている。
続いて、二人の男が巨大な鉄の輪の中に入り、輪ごと舞台を転がり回る大車輪。猛獣使いの鞭に合わせて、火の輪をくぐる大きな縞模様の獣。
そのたびに、ライの表情はころころと変わった。息を呑み、目を見張り、声を立てて笑う。
(……本当に楽しんでる)
そう思っていると、ただ一度だけ。
猛獣使いが火の輪を掲げ、客席中の目がその炎に吸い寄せられた、ほんの数瞬。
ふと隣を見ると、ライの視線が、舞台からわずかに外れていた。
舞台の奥。出演者たちが出入りする、厚い緞帳の隙間。
そこを、ライは真顔で見ていた。
フレンダが瞬きをしたときには、もうライは獣の跳躍に目を輝かせて、子どものように手を叩いていた。
(……気のせい?)
フレンダは、もう一度舞台に目を戻した。
火の輪の向こうで、獣が見事に着地する。天幕を揺らすほどの拍手。
気づけば、フレンダも夢中で手を叩いていた。
◇
「すごかったね!! ねえ見た!? 空中ブランコのあの女の子、最後三回転してたよね!?」
天幕を出たフレンダは、興奮で頬を真っ赤にしていた。
「見た見た。俺、心臓止まるかと思ったよ」
「それに大車輪! あれ絶対目が回るよね!? なんで最後まっすぐ立てるの!? あと、あの獣! すっごく大きかったのに、最後、猛獣使いさんに頭すりすりしてたの! かわいかった!」
「わかる。俺もあれ、ちょっと飼いたくなった」
「無理だよ、宿に入らないよ!」
「そこ?」
ライが、声を立てて笑った。フレンダもつられて笑ってしまってから、はっと口を押さえる。
(いけない、警戒、警戒……!)
「お腹すいたね。何か食べよっか」
ライが指さしたのは、海の見える小さなカフェだった。昼のかき入れ時を少し過ぎて、店内には穏やかな空気が流れている。
窓際の席に着き、品書きを広げる。
フレンダは、二つの料理の間で、指を行ったり来たりさせていた。
香草を詰めて焼いた白身魚と、海老と貝のたっぷり入った、とろりとした煮込み。
(どっちも、おいしそう……)
「迷ってる?」
「……うん。この二つ」
「じゃあ、半分こしよう」
ライはあっさりと言って、店員を呼んだ。両方を頼み、運ばれてきた皿を、器用に取り分けていく。
「はい、どうぞ」
差し出された皿を、フレンダはじっと見つめた。
半分こ。
この前、焼き貝を半分にしたのは自分だった。差し出した貝を、少し戸惑いながら指で受け取った、クライトの大きな手を思い出す。
「……ありがとう」
小さく言って、フォークを手に取る。魚は、ほろりと柔らかかった。
◇
夕方、二人は浜辺にいた。
傾き始めた太陽が、海を金色に染めている。フレンダは乾いた砂の上に腰を下ろし、膝を抱えていた。
(結局、何もわからなかった)
ライが何者なのか。なぜ名前を知っていたのか。味方なのか、敵なのか。
一日一緒にいて、手がかりのひとつも掴めなかった。
それどころか。
(……楽しかった)
認めたくないけれど、楽しんでしまった。
曲芸団に目を輝かせ、料理を美味しそうに頬張り、他愛ない話にけらけら笑う。
今日一日のライは、どこまでも普通の青年だった。怪しいところなんて、ひとつもなかった。
(ゲームに出てこない人、なんだよね)
なら、ゲームの物語とは関係のない人なのかもしれない。
たまたま名前を耳にして、たまたま声をかけてきただけの、ちょっと変わった、顔のいい人。
そうであってほしい、と思っている自分に、フレンダは少し驚いた。
波打ち際の少し先で、ライがしゃがみこんでいた。何かを拾い上げ、夕陽にかざしている。それから、砂を払って、こちらへ戻ってきた。
「はい、これ」
手のひらに、ころん、と何かが落とされた。
親指の爪ほどの、丸みを帯びた硝子のかけらだった。
波に磨かれて角が取れ、表面はやわらかく曇っている。夕陽に透かすと、深い赤色が、ぽうっと灯るように輝いた。
「シーグラス……」
「綺麗でしょ」
ライは、フレンダの隣に腰を下ろした。
「君の瞳の色に、似てるね」
フレンダは、手のひらの赤い硝子を見つめた。
それから、ゆっくりと顔を上げた。
「……ライ。ひとつ、聞いてもいい?」
「いいよ」
「なんで、私の名前を知ってたの?」
ライの横顔は、夕陽に照らされて、穏やかに笑っていた。
「初めて会ったとき。私、名乗ってないのに、名前を呼んだでしょ」
波の音が、寄せては返す。
ライは、目を細めた。
「んー」
間延びした声。けれど、その目の奥に、あの夜と同じ、底の見えない色が揺れた気がした。
「答えてもいいけど。君も、一つ教えて?」
「……何を」
「数日前、港を通りかかった一人の男に、疑ってかかったでしょ?」
フレンダの、呼吸が止まった。
「深緑の外套の、灰色の髪の男。荷物からは、何も出てこなかった。騎士たちは誰も疑ってなかった。なのに、君だけが真っ先に走っていった」
ライは、にこにこと笑ったまま、フレンダの顔を覗き込んだ。
「なんで、彼が怪しいと思ったの?」
シーグラスを持った指先から、すうっと、血の気が引いていくようだった。
冷たい。指先が、氷みたいに冷たい。
(なんで)
なんで、そんなことを知っているの。
あの場にいたのは、騎士と、商人と、港の人足たちだけだった。白い髪の男なんて、どこにもいなかった。
見ていたの? どこから? いつから?
喉が、ひりついた。何か言わなきゃ、と思うのに、声が出てこない。
ライは、じっとフレンダを見つめていた。
そして、ふいに、その視線がフレンダの肩越しへと逸れた。
浜辺の向こう。通りへと続く石段のほう。
「――じゃあ、そろそろ行こっかな」
ライは、ぱっと立ち上がった。
「え」
「楽しかったよ。じゃあね、フレンダ」
ひらりと手を振って、ライは背を向けた。
「ちょ、待っ――」
呼び止めようとしたときには、もう遅かった。白い髪は、夕陽を照り返す波の向こう、岩場の陰に吸い込まれるように消えていった。
走れば追いつけたかもしれない。けれど、足が動かなかった。
フレンダは、手のひらの赤いシーグラスを、呆然と見下ろした。
「フレンダ」
背後から、声がした。
びくり、と肩が跳ねる。
振り向くと、クライトが立っていた。
石段を下りてきたのだろう。肩が、わずかに上下している。藍色の瞳が、フレンダの顔を見て、それから、ライが消えていった岩場のほうを見た。
「……朝から、姿が見えなかった」
「あ……すみません、ちょっと、町を見て回りたくて」
クライトは、黙ってフレンダを見下ろした。
それから、低い声で聞いた。
「誰かと、一緒にいたか」
フレンダは、シーグラスを握った手を、そっと背中に隠した。
「……いいえ」
口が、勝手に動いていた。
「ひとりで、散歩してただけです」
どうして、嘘をついたのか。
自分でも、わからなかった。
ライのことを話せば、きっと全部話さなければならなくなる。夜の広場のことも、名前を呼ばれたことも。報告しなかったことも。
それとも、もっと別の理由なのか。
楽しかった一日のことを、この人にだけは、知られたくないと思ったのか。
クライトは、何も言わなかった。
ただ、長い沈黙の後に「……戻るぞ」とだけ言って、背を向けた。
その背中を追いながら、フレンダは握りしめた拳の中で、赤い硝子が、じわりと手のひらの熱を吸っていくのを感じていた。




