第六話
それから数日、港の検問には毎日のように「当たり」が出た。
一日に一件か、二件。香辛料の袋の底、干し魚の腹の中、酒樽の二重底。
隠し方は様々だったが、中から出てくるのは決まって、あの甘い香りのする、くすんだ緑の葉だった。
けれど、捕まえた運び屋たちは、誰ひとりとして組織の全容を知らなかった。
「金をもらって、この荷を船から倉庫へ運べと言われただけだ」
「一度きりの仕事だって聞いてた」
駐屯地の地下で、騎士たちによる厳しい尋問が夜通し続いた。
音も声も、宿まで届くことはなかったが、翌朝ガルドの目の下の隈は一段と濃くなっていた。
「……指示してきた人物の特徴だけは、全員から聞き出せた」
朝の食堂で、ガルドは手帳をめくった。
「背の高い若い男。杖をついた老人。車椅子に乗った女。顔に布を巻いた子ども。……見事に、全員ばらばらだ」
「全員が嘘をついている、とは考えにくいですね」
ノアが眼鏡を押し上げる。
「仲介役を何人も挟んでいるか。あるいは、同じ人物が姿を変えているか」
「姿を変えて……?」
セレナが眉を寄せる。食堂の空気が、じわりと冷えた。
王子は、いまだに見つからない。
けれど、港を通じた密輸は、少なくとも食い止められている。それだけが、今の一同を支えていた。
◇
その夜、フレンダは眠れなかった。
隣のベッドで眠るセレナを起こさないように、そっと部屋を抜け出す。
軋む階段を忍び足で下り、宿の外へ出た。
夜の港町は、昼間の喧騒が嘘のように静かだった。
宿の前の小さな広場に、石造りの古い井戸がある。その縁に腰掛けて、フレンダは空を見上げた。
満月に近い、大きな月だった。
(……もうすぐだ)
ゲームの記憶を、何度もなぞる。
港での検問。運び屋の確保。そして、次の休暇が明けた頃。廃墟へ踏み込んだ一同を待ち受ける、あの戦闘。
アルマが死ぬ、あの場面。
(ちゃんと、止められるのかな)
膝を抱える。夜風が、フレンダの黒い髪を揺らした。
それだけではなかった。言葉にできない、ざらついた予感が、胸の奥にずっと居座っていた。
運び屋たちの、ばらばらの証言。姿を変える指示役。
ゲームの中では、こんなに念入りに描かれていなかった気がする。
物語の大筋は同じなのに、細かいところが少しずつ、知らない形にずれていく。
まるで、誰かが盤面の駒を、そっと動かしているみたいに。
(……考えすぎ、かな)
月を見上げたまま、フレンダは小さく息を吐いた。
ふと、医務室での声が、耳の奥によみがえる。
『それでも守れないと思ったときは、一旦逃げて、作戦を立て直せばいいんだ』
『お前は一人じゃないだろう』
重ねられた手の、大きさと温かさ。
フレンダは、自分の拳を見下ろした。それから、ぎゅっと握って、また開いた。
「……うん。大丈夫」
小さく呟いて、井戸の縁から立ち上がったとき。
「君、何してるの?」
心臓が、止まるかと思った。
振り向くと、すぐそこに、男が立っていた。
いつからいたのか、わからなかった。足音も、気配も、何ひとつ感じなかった。
月光を浴びて、白い髪が淡く光っている。
年の頃は、よくわからない。若い、ということだけはわかる。
整いすぎるほど整った顔立ち。すっと通った鼻筋に、薄い唇。細められた目元は、楽しげに笑っている。
フレンダは、一瞬、息を呑んだ。
綺麗な人だ、と思った。月の光から抜け出してきたみたいに。
そして次の瞬間、全身の毛が逆立った。
(いや、怪しい。怪しすぎる)
真夜中。人気のない広場。気配もなく背後に立つ、異様に顔の良い男。怪しい要素しかない。
「……別に。月を見てただけです」
素っ気なく答えて、フレンダは男の脇をすり抜けようとした。
「へえ、月。いいね、今夜は綺麗だもんね」
男は、にこにこと笑ったまま、するりと一歩ずれてフレンダの進路に入った。避けたつもりはないのに、いつの間にか正面にいる。
「ねえ、暇だったら、遊ばない?」
「結構です」
即答した。
(ナンパ……? ただのナンパ?)
腰に剣はない。休むつもりで出てきたから、丸腰だ。
フレンダはさりげなく足の位置を変え、いつでも動けるように重心を落とした。
男は、その動きを見て、ほんの少しだけ目を細めた。笑みが、深くなる。
「残念」
男は肩をすくめ、あっさりと道を空けた。
フレンダは男から目を離さないまま、宿の扉へと後ずさる。背中が扉に触れる。取っ手に手をかけ、男に背を向けた、その瞬間だった。
「またね、フレンダ」
全身が、凍りついた。
名乗っていない。
一言も、名乗っていない。
フレンダは弾かれたように振り向いた。
広場には、誰もいなかった。
月明かりに照らされた石畳と、古い井戸と、風に揺れる宿の看板。それだけだった。
白い髪の男の姿は、最初から存在しなかったかのように、どこにもなかった。
フレンダは扉の取っ手を握りしめたまま、しばらく動けなかった。
◇
翌朝。
朝食の席で、フレンダは何度も口を開きかけては、閉じた。
(報告、するべきだよね)
夜中に、正体不明の男に名前を呼ばれた。普通に考えれば、真っ先にガルドに伝えるべきことだ。
けれど。
(あの人、ゲームにいなかった)
フレンダは記憶を何度もさらった。
攻略対象。敵の幹部。駐屯地の騎士。港町の住人。立ち絵のあったキャラクターも、名前だけ出てきた人物も、片っ端から思い浮かべる。
いない。白い髪の、あんなに顔の整った男は、どこにもいなかった。
(モブ……?)
その可能性もある。ゲームに描かれていない人間なんて、この世界には星の数ほどいる。
でも、と思う。
あれほど顔の整った人間が、名もないモブだなんて。乙女ゲームの世界で、そんなことがあるだろうか。
(わからない。わからないことを報告して、みんなを混乱させるのも……)
結局、フレンダは何も言わなかった。
胸の奥に、小骨が刺さったような違和感を抱えたまま、スープを飲み干した。
「フレンダ、具合悪いの?」
「えっ、ううん! 全然元気!」
セレナの心配そうな顔に、慌てて笑顔を作る。向かいの席で、クライトが黙ってこちらを見ていた。フレンダは、その視線に気づかないふりをした。
◇
その日も、港は人と荷で溢れていた。
八人は持ち場に散り、入港した船の荷を一つずつ改めていく。フレンダはセレナとアルマと並んで、香辛料商の木箱を開けていた。
「――ええ、そうですよね」
その声が聞こえた瞬間、フレンダの手が止まった。
低く、穏やかで、どこか粘りつくような響き。
知っている。
この声を、知っている。
前世で、ヘッドホン越しに、何度も聞いた声だ。
顔を上げる。
人混みの向こう、隣の検問所に、一人の男が立っていた。
仕立ての良い深緑の外套。後ろに撫でつけた灰色の髪。細く吊り上がった目。左の目の下に、斜めに走る古い傷痕。口元には、薄い笑みが貼りついている。
心臓が、どくん、と嫌な音を立てた。
(あいつだ)
ゲームの敵の多くは、立ち絵すらない「ならず者」だった。けれど、あの男だけは違った。
物語の中盤、廃墟での戦闘で、セレナの背後から斬りかかり――庇ったアルマの胸を、刃で貫いた男。
立ち絵があった。名前は出てこなかった。けれど、顔ははっきりと描かれていた。
前世のフレンダが、何度も何度も、画面を殴りそうになった顔。
その男が、騎士だらけのこの港を、まるで散歩でもするように、悠然と歩いている。
「フレンダ?」
セレナの声が、遠くに聞こえた。
気づいたときには、走り出していた。
「ちょっとあなた!!」
人混みをかき分け、木箱を飛び越え、男の前に立ちはだかる。
「フレンダ!?」
「おい、何やってんだ!」
背後で、セレナとレオンの驚いた声が上がる。
ジークが「は?」と目を剥き、ノアが手帳を取り落とす。
持ち場にいたクライトが、すっとこちらへ歩み寄ってくるのが視界の端に映った。
男は、目の前に飛び出してきた小柄な少女を見下ろした。
驚いた様子は、なかった。
「おや。何か御用ですか、可愛らしい騎士さん」
「その荷物、見せてください! 全部!」
「フレンダ、どうしたんだ急に」
駆けつけたガルドが、困惑した顔で二人を見比べる。男は、穏やかに笑ったまま、手にしていた革の鞄を差し出した。
「ええ、どうぞ。調べていただいて構いませんよ。こちらの書付も。王都の商会の、正式な交易許可証です」
余裕の、態度だった。
ガルドが鞄を改める。外套の内側も、靴の中も。駐屯地の騎士が男の荷車を、積み荷の一つ一つまで調べ上げる。
何も、出てこなかった。
甘い香りのする葉の一枚も。武器の一本も。許可証は本物で、積み荷はただの上等な絹織物だった。
「……問題ないな。失礼した」
ガルドが頭を下げる。男は「いえいえ、お役目ご苦労様です」と鷹揚に手を振った。
「待って、でも、この人は――」
言いかけて、フレンダは口をつぐんだ。
この人は、何だというのだ。
ゲームでアルマを殺した男です、と。前世で見たんです、と。そんなことを、言えるはずがない。
男が、フレンダを見た。
細い目が、さらに細められる。
そして、にっこりと、微笑んだ。
まるで、何もかもを知っているとでも言うように。
「それでは、失礼しますね」
男は荷車を引き、悠々と港の雑踏へと消えていった。深緑の外套が人混みに紛れ、すぐに見えなくなる。
フレンダは、その場に立ち尽くしていた。
「フレンダ、どうしたの? 知ってる人?」
セレナが、そっと肩に触れる。
「……ううん。なんか、怪しく見えちゃって。ごめん」
笑おうとして、うまく笑えなかった。
(ここで、捕まえられていたら)
物語は、変わったかもしれない。あの廃墟での戦闘は、起こらなかったかもしれない。アルマが刃に倒れる未来は、ここで断ち切れていたかもしれない。
なのに。
フレンダは、唇を強く噛んだ。鉄の味が、じわりと口の中に広がった。
背後で、クライトが、何も言わずにその横顔を見つめていた。




