↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
攻略対象外の幼馴染×ヒロインが最推しなので、公式にないルートを作ります  作者: かん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

23/26

第二十二話

考えるより先に、足が動いていた。


炎へ向かって、一歩。


クライトの元へ。



「――だめだ!!」


けれど、腕を強く掴まれた。


引き戻される。振り向くと、ライが、フレンダの両腕を、後ろから抱え込むように掴んでいた。


「離して!先輩が……!先輩が、中に……!」


「行っちゃだめだ!」


フレンダは、もがいた。腕を振りほどこうと、全身で暴れた。


ライの腕は、びくともしなかった。


稽古の日、手首を掴まれて指一本動かせなかったときと、同じだった。けれど、あのときとは違う。ライの腕が、震えていた。



「あの煙を吸ったら、君は……っ!」



初めて見る、ライの焦った顔。


いつもの軽さなんて、どこにもなかった。必死で、ひび割れていて、今にも泣き出しそうな声。



「あの煙が、人に何をするか。……俺は、知ってる。知ってるんだ」



フレンダの動きが、止まった。


振り向いた先で、ライの顔が、真っ白になっていた。灰とも紫ともつかない瞳が、炎を映して、怯えたように揺れていた。


洗濯場で、刃を掴んだときにも。名簿のことを突きつけられたときにも。先生と向き合ったときにさえ、見せなかった顔。



「お願いだから」



ライの腕に、さらに力がこもった。



「お願いだから、行かないで」


「……っ、でも、先輩が」


フレンダの声が、震えた。


炎の向こうに、藍色の影は、もう見えなかった。白い煙と、橙色の炎だけが、渦を巻いている。


「クライトくんは、戻ってくる」


ライが、フレンダの耳元で、言った。


まるで、自分に言い聞かせるように。


「あいつの剣は、団長の剣だ。……あの剣は、無茶はしても、無謀はしない。勝てない賭けには、絶対に乗らない。大丈夫、戻ってくる」


ライの声は、まだ震えていた。けれど、その腕は、もう、ただフレンダを抱えているだけだった。押さえつけるのではなく、支えるように。


フレンダは、唇を噛みしめた。


炎の向こうを、睨むように見つめる。


追いかけたかった。けれど、必死に引き止めるライの震える腕を振り払うことはできなかった。


「……信じて、待とう」


ライの言葉に、フレンダは、小さく頷いた。


両手を、胸の前で、ぎゅっと握りしめた。


(先輩)


(戻ってきて)


(お願いだから、ちゃんと、戻ってきて)




◇



煙の向こうで、藍色の影が動いていた。


天井を這う炎。崩れかけた棚。弾け飛ぶ硝子の破片。


クライトは、身を低くしたまま、まっすぐに棚の端へ向かった。迷いがなかった。どこに何があるか、部屋に入った瞬間から、すべて見ていたかのように。


燃え始めた帳面の山に、外套を叩きつける。炎を押し潰し、その外套で帳面をまとめて包み込む。


頭上で、燃えた棚の板が、みしりと嫌な音を立てた。


(――崩れる!)


棚が、傾いた。


燃える板が、クライトの頭上へ倒れかかる。


クライトは、振り向かなかった。


帳面の包みを胸に抱えたまま、左腕だけを跳ね上げた。剣の鞘で、倒れてくる板を、横から殴りつけるように払う。


板が、弾き飛ばされて、壁に叩きつけられた。火の粉が、雨のように降り注ぐ。


その火の粉の中を、クライトは駆け抜けた。



◇



「先輩……!」


煙の中から、藍色の影が飛び出してきた。


クライトは、通路の石の床に膝をついた。激しく咳き込む。髪の先が焦げ、頬に煤がこびりつき、左の袖が裂けて、腕に赤い火傷の痕が走っていた。


けれど、その胸には、煤けた外套に包まれた帳面の束が、しっかりと抱えられていた。



「……全部、ある」



クライトは、咳き込みながら、外套の包みを開いた。


何十冊もの帳面。表紙の端が焦げているものもあったが、中身は無事だった。


「先輩、腕……!火傷……!」


フレンダは、クライトの腕に飛びついた。赤く腫れた肌に、震える指で触れる。


「なんで、こんな無茶……!」


「無茶じゃない」


クライトは、息を整えながら、フレンダを見下ろした。


「勝算はあった。部屋の中は、入ったときに全部見ていた。棚の位置も、帳面の場所も、崩れそうな板も」


「でも……!」


「それに」


クライトは、腕の中の帳面に、目を落とした。


「これがなければ、ジークの兄は、元に戻れないかもしれない。……情がなければ、守れないものがある。そう言ったのは、俺だ」


フレンダは、言葉を失った。


広場で、騎士団長に向かって、クライトがそう言い放った日のことを思い出していた。


背後で、重い足音がした。


騎士団長だった。


煤にまみれた息子を、見下ろしていた。焦げた髪。火傷を負った腕。そして、その腕に抱えられた、十年分の帳面。


騎士団長は、長い間、何も言わなかった。


凍てついた藍色の瞳が、揺れていた。


やがて、その大きな手が、ゆっくりと持ち上がった。


クライトの、煤けた頭の上に。


ぽん、と。


一度だけ、置かれた。


「……馬鹿者が」


低い、掠れた声だった。


それ以上は、何も言わなかった。騎士団長は手を離し、騎士たちに消火を命じるために、背を向けた。


クライトは、膝をついたまま、動けなかった。


父の手が触れた場所に、そっと、自分の手を当てていた。


フレンダは、その横顔を見た。


煤だらけの、無表情。


けれど、その目の端が、ほんの少しだけ、光っていた。



◇



大桟橋の下の空洞に戻ると、騎士団の本隊が、縛り上げられた男たちを次々と運び出していた。


空洞の隅で、レオンが王子を抱いて座っていた。

王子は泣き疲れたのか、レオンの胸に顔を埋めて、すうすうと寝息を立てている。レオンは、その小さな背中を、ずっと優しく撫で続けていた。


セレナとアルマが、並んで壁にもたれていた。ジークとノアが、捕らえた男たちの数を騎士に報告している。ガルドが、騎士団長の前に進み出て、片膝をついた。


「団長。命令に背き、学生たちを前線に出したのは、俺の判断です。処分は、俺ひとりに」


騎士団長は、ガルドを見下ろした。


それから、空洞を見回した。王子を抱くレオン。背中を合わせるセレナとアルマ。縄をかけられた灰色の髪の男。


「……殿下を見つけたのは、誰だ」


「学生たちです」


「殿下を取り戻したのは」


「学生たちです」


「死者は」


「おりません」


騎士団長は、目を閉じた。


「――処分は、ない。よくやった、ガルド・ベルトラン」


ガルドは、深々と頭を下げた。その肩が、かすかに震えていた。たぶん、ずっと張り詰めていたものが、ようやく緩んだのだろう。


騎士団長の目が、最後に、ひとりの青年の上で止まった。


クライトだった。


父と子が、向かい合った。


「……七つの入り口」


騎士団長が、静かに言った。


「お前が書いた地図がなければ、灯台の洞窟は見つからなかった。この部屋にも、辿り着けなかった。……あの記録も、灰になっていた」


「……」


「私が話した、たった一度の話を。……覚えていたんだな」


クライトは、何も答えなかった。


ただ、まっすぐに、父を見ていた。


騎士団長は、長い間、息子を見つめていた。


それから、空洞にいる捜索隊の面々を、もう一度見回した。


「――いい仲間を、持ったな」


それだけだった。


それだけ言って、騎士団長は背を向けた。


クライトは、その背中を見送っていた。


無表情だった。けれど、外套の陰で握られた拳が、かすかに震えていた。父の前に立ったあの日と同じように。けれど、あの日とは違う理由で。


フレンダは、そっとクライトの袖を引いた。


クライトは、フレンダを見下ろした。


そして、ほんのわずかに、口元を緩めた。



◇



夜明け前。


灯台の下の洞窟の入り口で、騎士団長は海を見ていた。


その隣に、白い髪の男が並んで立った。


「十年、かかったね」


ライが、言った。


「……ああ」


「団長も、ずっと探してたんでしょ。あの人のこと」


「探していた。……お前に、二度と、あんな顔をさせないために」


ライは、少しだけ驚いたように、騎士団長の横顔を見た。


騎士団長は、海を見たまま、続けた。


「十年前、空っぽの家で膝を抱えていたお前を見たとき、私は、自分の息子のことを思った。……まだ六つだったあいつを。もしあいつが、同じ目に遭ったらと」


「……」


「だから、お前に剣を教えた。二度と、何も失わなくて済むように。……あいつには、教えてやれなかったのにな」



洞窟の岩陰で、誰かが、息を呑んだ。


クライトだった。


父に、ひと言だけ伝えたいことがあって、追いかけてきたのだ。そして、聞いてしまった。



「なんで?」


ライが、静かに問うた。


「なんで、クライトくんには教えなかったの」


騎士団長は、しばらく黙っていた。


「……怖かった」


ぽつりと、言った。


「情を捨てろと、あいつに言い続けた。顔に出すなと。……十年前、私は情に流されて判断を誤り、あの男を取り逃がした。お前の妹を、救えなかった」


波の音が、寄せては返す。


「あいつに剣を教えて、あいつが私と同じ過ちをしたら。あいつが、私と同じように、守れなかったら。……そう思うと、怖くて、近づけなかった」


騎士団長の声が、ほんのわずかに、掠れた。


「だから、遠ざけた。あいつの母親ごと。……最低の父親だ」


ライは、何も言わなかった。


しばらくして、小さく笑った。


「団長。それ、俺じゃなくて、本人に言ったほうがいいと思うよ」


「……」


「ほら。そこにいるし」


騎士団長が、弾かれたように振り向いた。


岩陰から、クライトが、ゆっくりと姿を現した。


父と子が、夜明け前の薄闇の中で、向かい合った。


ライは、ひらりと手を振って、その場を離れた。


「じゃ、俺はお邪魔だから」


軽い足音が、洞窟の奥へ遠ざかっていく。


残された二人は、しばらく、何も言わなかった。


やがて、クライトが、口を開いた。


「……父上」


「……」


「さっき言ったことを、もう一度、俺に言ってくれ」


騎士団長は、息子を見つめていた。


凍てついた藍色の瞳が、揺れていた。


水平線の向こうが、ゆっくりと白み始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。