↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
攻略対象外の幼馴染×ヒロインが最推しなので、公式にないルートを作ります  作者: かん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/21

第十四話 

その夜の夕食は、ほとんど味がしなかった。


クライトは、フレンダから一番遠い席に座っていた。目が合うことは、一度もなかった。食べ終えると誰よりも早く席を立ち、黙って食堂を出ていった。


フレンダは、冷めていくスープを見つめていた。


(……私が、悪い)


わかっていた。嘘をついたのは自分だ。探してくれていたのに、何も知らずに、嘘をついた。


謝った。でも、謝っただけだった。


『……俺には、言えないことか』


あの問いに、答えられなかった。


部屋に戻っても、ベッドに座ったまま、動けなかった。枕元の小さな布袋に、手を伸ばしかけて、やめる。今は、藍色の硝子玉を見る資格がない気がした。


「……フレンダ」


隣のベッドから、セレナの声がした。


顔を上げると、セレナが膝を抱えて、こちらを見ていた。月明かりに照らされた空色の瞳が、心配そうに揺れている。


「クライト先輩と、何かあった?」


「……え」


「今日、一日中、二人とも変だったよ。クライト先輩、フレンダのほう、一回も見なかった」


フレンダは、何も言えなかった。


セレナはベッドから降りて、フレンダの隣に腰を下ろした。肩と肩が、そっと触れる。


「話したくなかったら、話さなくていいよ。でもね」


セレナは、フレンダの手を取った。


「フレンダは、いつも私のこと見ててくれるでしょ。入学したばかりで心細かったときも、捜索隊に志願したときも。私が落ち込んでると、いつも一番に気づいて、隣に来てくれる」


セレナは、少しだけ照れくさそうに笑った。


「だから、私もフレンダのこと、見てたんだよ。今日のフレンダ、ずっと泣きそうな顔してた。……大事な人とぎくしゃくしたままなのは、きっと、すごく苦しいよ」


「セレナ……」


「だから、今度は私の番」


セレナは、フレンダの手をぎゅっと握った。


「行っておいで。クライト先輩、きっとまだ起きてるよ」


「……でも、どこにいるか」


「わかるでしょ?」


セレナは、くすりと笑った。


「フレンダが一番、知ってるはずだよ」


フレンダは、目を見開いた。


夜。眠れないとき。ひとりで考えごとをしたいとき。


あの人が、いつもいる場所。


「……ありがとう、セレナ」


フレンダは、立ち上がった。



◇



駐屯地の訓練場は、月明かりに白く浮かび上がっていた。


ひゅっ、と空気を裂く音が聞こえた。


砂地の真ん中で、藍色の髪が揺れていた。長身の青年が、ただひとり、黙々と剣を振っている。一振りごとに、砂がわずかに舞う。


学園の訓練場で、初めて彼を見つけた夜と、同じだった。


けれど、あの夜とは、何かが違った。


剣筋が、荒い。


一振りごとに、力が入りすぎている。いつもの無駄のない動きではなかった。

何かを振り払おうとするように、何かに抗うように、ただがむしゃらに剣を振っている。


「……クライト先輩」


剣が、止まった。


藍色の瞳が、こちらを向いた。


驚いた様子はなかった。来ることがわかっていたかのように。それとも、来ないと思っていたのか。その表情からは、読み取れなかった。


フレンダは、砂地に足を踏み入れた。


クライトの前まで歩いて、立ち止まる。見上げると、彼の額には汗が滲んでいた。どれだけの間、ここで剣を振っていたのだろう。


「お話、させてください」


クライトは、何も言わなかった。


けれど、剣を鞘に収めた。


それが、答えだった。



◇



二人は、訓練場の端の、低い石垣に並んで腰を下ろした。


フレンダは、膝の上で両手を握りしめていた。


「全部、話します」


深呼吸をひとつ。


「ライに初めて会ったのは、浜辺の日よりもっと前です。運び屋がたくさん捕まり始めた頃の、ある夜。眠れなくて、宿の前の広場で月を見てたら、いつの間にか、すぐ後ろにいました」


クライトの肩が、わずかに動いた。


「遊ばないかって言われて、断って、宿に戻ろうとしたら……名前を、呼ばれたんです。『またね、フレンダ』って。私、名乗ってなかったのに」


「……なぜ、報告しなかった」


「怖かったのと……わからなかったからです。あの人が誰なのか、何のために私の前に現れたのか。わからないことを報告して、みんなを混乱させたくなかった」


それは、半分だけ本当だった。


もう半分は、ゲームにいない人物だったから。説明のつかない理由だから、言えない。


「浜辺の日は、路地で酔っ払いに絡まれて、ライに助けられて。あの人が何者なのか探ろうと思って、一緒に過ごしました。曲芸団を見て、お昼を食べて、浜辺に行って」


フレンダは、外套のポケットに手を入れた。


赤いシーグラスを取り出して、手のひらに乗せる。月明かりの下で、それはくすんだ赤色をしていた。


「これを、もらいました。それで、どうして私の名前を知っていたのかって聞いたら……逆に、聞かれたんです。港で、灰色の髪の男に食ってかかったのは、どうしてかって」


クライトが、フレンダの手のひらのシーグラスを見た。


「あの人は、あの場にいなかったはずなのに。私が、あの男を疑った理由を知りたがってました。答えられずにいたら、急にいなくなって……すぐあとに、先輩が来たんです」


言葉を、切る。


「先輩に、誰かといたかって聞かれて、嘘をつきました。……全部話したら、名前のことも、報告しなかったことも、話さなきゃいけなくなる。それが、怖かった」


フレンダは、シーグラスを握りしめた。


「それと……楽しかったんです。あの日。ライといて、普通に。それを、先輩に知られたくないって、思っちゃったんです。なんでかは、わからないけど」


夜風が、砂を撫でていく。


クライトは、黙って聞いていた。


「……あの男を、なぜ疑った」


やがて、低い声で聞かれた。


来る、と思っていた問いだった。


フレンダは、ゆっくりと首を振った。


「それだけは……言えないんです」


「……」


「ごめんなさい。理由は、言えない。言っても、きっと信じてもらえない。でも」


フレンダは、顔を上げた。


まっすぐに、クライトの目を見た。


「嘘じゃないです。あの男は、危ない。私たちの誰かを、傷つけるかもしれない人です。それだけは、本当なんです」


赤い瞳と、藍色の瞳が、月明かりの中で向かい合った。


長い、長い沈黙だった。


フレンダは、目を逸らさなかった。逸らしたら、全部が嘘になってしまう気がした。


やがて、クライトが、小さく息を吐いた。


「――信じる」


フレンダは、息を止めた。


「お前が言えないと言うなら、言えない理由があるんだろう。それでいい」


クライトの声は、静かだった。いつもの、抑揚の少ない声。けれど、昼間の坂道で聞いた、あの遠い声ではなかった。


「だから、お前も」


クライトの手が、フレンダの握りしめた拳の上に、そっと重なった。


医務室で重ねられたのと、同じ手だった。大きくて、温かくて、少しだけ硬い手。


「俺を、頼れ」


フレンダの視界が、にじんだ。


「ひとりで抱えるな。言えないことがあってもいい。でも、ひとりで夜中に出歩いたり、ひとりで何かを探ったりするな。……俺がいる」


「……はい」


声が、震えた。


「……はい。頼ります。ちゃんと」


クライトの手のひらの下で、握りしめていた拳が、ゆっくりとほどけた。


赤いシーグラスが、二人の手の間で、小さく光っていた。


◇


しばらく、二人は黙って並んで座っていた。


沈黙は、もう苦しくなかった。


「……怖かった」


ふいに、クライトが呟いた。


「え?」


「医務室で、俺は怖くないと言った」


クライトは、月を見上げていた。


「だが、あの日。朝からお前の姿が見えなくて、宿にも港にもいなくて。町中を探して、どこにもいなかったとき」


藍色の瞳が、ほんのわずかに揺れた。


「……怖かった」


フレンダは、言葉を失った。


刃を向けられても眉ひとつ動かさなかった人が。ナイフで手を切られても平然としていた人が。


自分がいなくなったことが、怖かったと言っている。


「……ごめんなさい」


「もういい」


クライトは、ふっと息を吐いた。


それから、外套の内側に手を入れた。


取り出したのは、小さな丸い缶だった。蓋には、ピンク色のうさぎの絵が描かれている。学園の訓練場で、まめだらけのフレンダに差し出してくれた、あの軟膏の缶。


「これは、母が送ってくれたものだ」


クライトは、缶を手のひらの上で転がした。


「母は、雑貨職人の娘だった。小さい頃、俺によく、うさぎの小物を作ってくれた。木彫りのや、布のや、貝殻のや」


フレンダは、息を呑んだ。


(知ってる)


知っていた。


ゲームのクライトルート。中盤の、夜の駐屯地。クライトがセレナに、ぽつりぽつりと語る過去。

可愛いものが好きな母と、それを嫌った父。顔に出すなと教えられて育った少年。


前世で、画面越しに読んだ。何度も、何度も。


「父は、そういうものを嫌った。騎士に情は要らない。顔に出すな。それが、父の口癖だった」


クライトの声は、淡々としていた。


「母と父は、うまくいかなかった。今、母は実家に戻っている。……俺が学園に入った年からだ」


知っている。全部、知っている。


なのに。


(……全然、違う)


フレンダは、クライトの横顔を見つめていた。


ゲームで読んだ文章と、同じ内容のはずだった。

けれど、今、目の前でそれを語っている人の声は、文字ではなかった。

缶を転がす指先の、ほんのわずかなためらい。「母」と口にするとき、少しだけ柔らかくなる声。


画面の中の「クライト」ではない。


この人が、自分の言葉で、自分の過去を、自分に話してくれている。


(私、知ってると思ってた)


ゲームで、全部知っていると思っていた。この人の好きなものも、過去も、抱えているものも。


でも、違った。


知識として知っていることと、この人自身から聞くことは、まるで違う。


(知りたい)


胸の奥から、何かが溢れ出してくるようだった。


ゲームの知識じゃない。誰かが書いた設定でもない。


この人のことを、この人の口から、もっと知りたい。


「可愛いものが好きなのは、お母さんとの思い出だからなんですね」


「……ああ」


クライトは、うさぎの缶を見下ろした。


「父には、言うな」


「言いません。……絶対」


クライトの口元が、ほんのわずかに緩んだ。


◇


「ライのことだが」


しばらくして、クライトが口を開いた。


「騎士団長の印は、父にしか押せない」


フレンダは、はっと顔を上げた。


「団長の印章は、父が肌身離さず持っている。誰かに預けることもない。……だから、あの命令書が本物なら、父があいつをここに寄越したということだ」


「お父さんが……ライを?」


「理由は、わからない」


クライトの拳が、膝の上で握られた。


「父は、何も言わない。昔から、何ひとつ。……俺には」


最後の言葉は、ほとんど聞こえないほど小さかった。


フレンダは、稽古の日を思い出していた。


汗ひとつかかないライ。肩で息をするクライト。白くなるほど握りしめられた、木剣を握る手。


「……あいつの剣は」


クライトが、低く呟いた。


「父の剣に、似ていた」


フレンダの背筋に、冷たいものが走った。


「打ち合ってすぐに、わかった。重心の置き方。受けの角度。相手の剣を殺す、あの捌き方。……幼い頃、一度だけ父と打ち合ったことがある。そのときと、同じだった」


クライトは、自分の手のひらを見下ろした。


「俺が、何年かけても届かなかった剣だ」


その声に、怒りはなかった。


ただ、ひどく、静かな悔しさだけがあった。


フレンダは、何も言えなかった。


(ライと、騎士団長が……?)


ゲームには、そんな繋がりはなかった。そもそも、ライはゲームに出てこない。


名簿にない騎士。騎士団長の印。父と同じ剣。灰色の髪の男との密会。


何ひとつ、繋がらない。繋がらないのに、全部が、どこかで一本の線になろうとしている気がした。


「あいつのことは、俺も見ておく」


クライトが、立ち上がった。


「だから、お前はひとりで近づくな」


「……はい」


クライトは、フレンダを見下ろした。


それから、手を伸ばして。


ツインテールの分け目を崩さないように、そっと、やさしく、頭を撫でた。


「戻るぞ。冷える」


◇


宿へと続く夜道を、二人は並んで歩いた。


月が、石畳を白く照らしている。二つの影が、寄り添うように伸びていた。


フレンダは、隣を歩くクライトの横顔を、そっと見上げた。


藍色の髪が、夜風に揺れている。相変わらずの無表情。でも、その顔が、少しだけ和らいで見えるのは、気のせいだろうか。


(この人のことが、知りたい)


もっと。ゲームに書かれていなかったことを。この人が、自分にだけ見せてくれる顔を。


うさぎを見つめるときの、綻んだ口元。夕焼けの防波堤で見せた、初めての笑顔。原っぱで、目が覚めるまで隣にいてくれた横顔。怖かった、と言った、かすかに揺れた瞳。


全部、ゲームにはなかった。


全部、この人が、自分にくれたものだった。


(……ああ、そっか)


フレンダは、立ち止まりそうになった。


クライトに彼女ができたら、と想像したときの、胸のちくり。


ライとの一日を、この人にだけは知られたくなかった理由。


坂道で背中を向けられたとき、息ができなくなるほど痛かった理由。


全部、同じところから来ていた。


(私、クライト先輩のことが、好きなんだ)


言葉にした瞬間、胸の奥で何かが、ぱちんと弾けた。


頬が、一気に熱くなる。心臓が、うるさいほど鳴り始める。



(え、待って。待って待って待って)


私は、友人枠だ。推しカプを見守るために、この世界に来た。攻略対象と恋をするのは、ヒロインの役目のはずで。


でも、もう、どうしようもなかった。


「どうした」


クライトが、足を止めてこちらを見下ろした。


「顔が赤い。熱でもあるのか」


「な、ないです!全然ないです!いやーなんか暑いですよね!」


「……今夜は冷えると思うが」


「そ、そうですね! 冷えますね! 早く帰りましょう!」


フレンダは、ツインテールを揺らして早足で歩き出した。


背後で、クライトが首を傾げる気配がした。それから、すぐに長い足で追いついてくる。


隣に並ぶ、大きな影。


フレンダは、両手で熱い頬を押さえながら、宿の灯りを目指して歩いた。


今夜はきっと、眠れない。


でも、それは、これまでの眠れない夜とは、まるで違う理由だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。