幕間 深夜の女子会
「セレナ。恋バナしよう!」
宿の二階、相部屋の灯りを落とした直後。フレンダは、がばっとベッドから身を起こしてそう宣言した。
「……え?」
隣のベッドで、毛布を顎まで引き上げていたセレナが、きょとんとこちらを見た。
窓から差し込む月明かりが、枕に広がった金色の髪をほのかに照らしている。
「こ、恋バナ? 今から?」
「今から!」
「でも、明日も早いよ?」
「ちょっとだけ! ちょっとだけだから!」
フレンダは枕を抱えて、セレナのベッドの端にぽすんと腰を下ろした。
狙いは、もちろんひとつだった。
(セレナの口から、アルマの話を聞く!)
そして、あわよくば。セレナに、自分の気持ちを自覚してもらう。
海辺の夕暮れから、もうずいぶん経った。アルマは相変わらずセレナの隣にいて、セレナは相変わらずアルマを「幼馴染」と呼ぶ。二人の距離は、近いのに、一歩も進まない。
じれったい。じれったすぎる。前世で十八回くらい読み返した二次創作の、両片想い期間より長い気がする。
(それに、二人が付き合っちゃえば、セレナが他の攻略対象のルートに入る心配もなくなるし)
一石二鳥。完璧な作戦だった。
「もう、しょうがないなあ」
セレナはくすくす笑いながら、毛布ごと体を起こした。
◇
「じゃあまず、セレナから!」
「えっ、私から? でも私、恋バナできるような話、何も……」
「アルマのこと、聞かせて」
「アルマ?」
セレナは首を傾げた。
「アルマの話でいいの?」
「いいの。むしろアルマの話がいいの。アルマの話しか聞きたくないの」
「ふふ、変なフレンダ」
セレナは膝を抱えて、少し考えるように天井を見上げた。
「アルマとはね、家が隣同士だったの。物心ついたときには、もう一緒に遊んでた」
(家が隣同士……! 幼馴染の王道……!)
「小さい頃のアルマって、すっごく泣き虫だったんだよ。転んで泣いて、犬に吠えられて泣いて、雷が鳴ったら泣いて」
「えっ、意外」
「でしょう? だからいつも、私の後ろにくっついて歩いてたの。私の服の裾をこう、ぎゅって握って。『セレナ、待ってよぉ』って」
セレナは自分の寝間着の裾をつまんで、小さく引っ張ってみせた。
「それがね、可愛かったんだあ」
ふわりと、セレナが笑った。
(はい無理!!!!)
フレンダは枕に顔を埋めた。
「フレンダ?」
「……なんでもない。続けて。お願いだから続けて」
「う、うん。それでね、私が十歳くらいの頃かな。近所の悪い子たちに、私が大事にしてた髪紐を取られちゃったことがあって」
「うんうん」
「私、悔しくて追いかけたんだけど、相手は年上の男の子三人で、全然敵わなくて。そしたら、アルマが」
セレナは、懐かしそうに目を細めた。
「泣きながら、その子たちに飛びかかっていったの。あの泣き虫のアルマが。ぼろぼろになって、鼻血まで出して。それでも最後まで離さなくて、髪紐を取り返してくれたの」
「……」
「戻ってきて、髪紐を私に渡して、『セレナが泣いてるの、いやだったから』って。自分のほうがずっと泣いてたのにね」
セレナは、くすりと笑った。
フレンダは、もはや言葉を失っていた。枕を抱えたまま、ベッドの上で静かに震えている。
(公式……これが公式……?このエピソード、なんでファンブックに載せてくれなかったの……?)
「それからかなあ。アルマが、少しずつ変わっていったの」
セレナは、窓の外の月を見上げた。
「剣を習い始めて。泣かなくなって。私が困ってると、いつの間にか隣にいて、何も言わなくても手を貸してくれるようになって」
声が、ほんの少しだけ、柔らかくなる。
「気づいたら、私のほうが守られてることのほうが多くなってた。背も、いつの間にか抜かされちゃったし」
「抜かされたんだ」
「うん。学園に入る少し前に、急に。並んで歩いてて、あれ、アルマってこんなに背、高かったっけって」
セレナは、自分の頭の上に手のひらをかざして、それをすっと上に持ち上げてみせた。
「ずっと私の後ろにいた子が、いつの間にか、隣で私を見下ろしてるんだもん。なんだか、ずるいよね」
(最高です)
フレンダは心の中で、深々と頭を下げた。
(最高です、セレナ。ありがとうございます。今夜のことは一生忘れません。来世まで持っていきます)
◇
「……でも」
ふと、セレナが首を傾げた。
「これって、恋バナなの? 私、ただアルマの話をしてるだけなのに……」
「大丈夫」
フレンダは、きっぱりと頷いた。
「ちゃんと、恋バナだよ」
「え?」
フレンダは、枕を膝の上に置き直した。そして、セレナの顔をまっすぐ見た。
ここからが、本題だ。
「ねえ、セレナ。アルマのこと、大切?」
「え? うん、もちろん!」
セレナは、迷いなく答えた。
「小さい頃からずっと一緒だし、家族みたいに思ってるよ」
家族みたい。
予想通りの答えだった。けれど、フレンダは引かなかった。
「本当に? 本当に、家族と同じ『大切』?」
「……え?」
「じゃあ、想像してみて」
フレンダは、声を少しだけ落とした。
「アルマに、彼女ができたら?」
セレナの動きが、止まった。
「アルマが、セレナじゃない誰かと手を繋いで歩いてたら。その子に、パン屑を拭いてあげてたら。雨の日に、その子のほうに傘を傾けてたら」
月明かりの中で、セレナの空色の瞳が、ゆっくりと揺れた。
「……いやだって、思わない?」
「え……」
セレナは、何かを言おうとして、口を閉じた。
想像しているのだと、フレンダにはわかった。
アルマが、自分以外の誰かの隣にいる光景を。自分以外の誰かに、あの優しい笑顔を向けている光景を。
セレナの表情が、少しずつ、曇っていった。
眉が下がる。唇が、きゅっと引き結ばれる。毛布を握る指先に、力がこもる。
(……来てる。これは来てる)
フレンダは、息を詰めて、最後の一押しを放った。
「自分が、アルマの彼女になりたいって、思わない?」
一拍。
そして。
ぼっ、と。
音が聞こえそうなほどの勢いで、セレナの顔が真っ赤に染まった。
「なっ……な、な、な……っ!?」
「あ、赤くなった」
「な、なってない! なってないよ!? っていうか何言ってるのフレンダ! わ、私とアルマは、そういうのじゃ……っ」
セレナは毛布を頭からかぶって、両手で顔を覆った。金色の髪の隙間から覗く耳まで、真っ赤だ。
(あの夜のアルマと、まったく同じ反応……!!)
井戸端で顔を覆ってしゃがみこんだアルマの姿が、目の前のセレナと重なる。
フレンダは、天を仰いだ。宿の古びた天井に、後光が差して見えた。
(似た者同士……! この二人、似た者同士すぎる……! 早く付き合って……!!)
◇
「そ、そういうフレンダは!?」
毛布の中から、セレナががばっと顔を出した。まだ頬は赤いまま、けれど目には反撃の光が宿っている。
「え、私?」
「そうだよ! 恋バナなんだから、フレンダも話さなきゃだめ!」
「いや、私は別に、話すようなことなんて」
「クライト先輩と、付き合ってるの?」
「――はあっ!?」
今度は、フレンダが叫ぶ番だった。
「な、なんでそうなるの!?」
「だって、いつも一緒にいるし。学園のときから二人で訓練してたって聞いたし。馬車で頭撫でられてたし。小屋で抱きとめられてたし。休日も二人で出かけてたし。この前も、原っぱで二人きりだったってガルドさんが」
「ガルドさんが!?」
「『あの二人は放っておけ』って、レオン先輩に言ってたよ」
「何を放っておくの!? 違う、違うから! クライト先輩とは、そういうのじゃないから!」
フレンダは、首がもげそうなほど横に振った。
「先輩は、その、剣の師匠っていうか! 面倒見がいいだけっていうか! 私がちっちゃくて危なっかしいから、気にかけてくれてるだけで!」
「ふうん」
セレナは、じっとフレンダを見つめた。
それから、さっきフレンダがしたのと、まったく同じ顔をした。
「じゃあ、想像してみて?」
「え」
「クライト先輩に、彼女ができたら?」
フレンダの、呼吸が止まった。
「……いやじゃない?」
(クライト先輩に、彼女が)
想像なんて、するつもりはなかった。
けれど、言葉が勝手に、頭の中で形を結んでいく。
知らない誰かの隣を歩く、背の高い藍色の背中。
その人のために、二人分の弁当を頼む姿。その人と並んで、原っぱに寝転がる姿。その人の頭を、ツインテールの分け目を崩さないように、そっと撫でる手。
夕焼けの防波堤で見た、あの笑顔を。
自分ではない、誰かに向ける。
ちくり、と。
胸の奥で、何かが小さく刺さった。
(……え?)
フレンダは、無意識に胸元を押さえた。
痛い。ほんの少しだけ。針の先でつつかれたみたいに。
なんで。
「……フレンダ?」
黙りこんでしまったフレンダを、セレナが不思議そうに覗き込む。
フレンダは、何も答えられなかった。
セレナは、首を傾げた。じっとフレンダの顔を見つめ、何かを考えるように視線を泳がせ、それから。
「……あ!」
ぱっと、目を見開いた。
「もしかして、クライト先輩じゃなくて、ライさんが好き?」
「――はああああっ!?」
フレンダの叫び声が、深夜の宿に響き渡った。隣の部屋から、どん、と壁を叩く音がする。たぶんジークだ。
「な、なんでそこでライが出てくるの!?」
「しーっ、フレンダ、声大きい……!」
セレナは慌てて人差し指を口に当てた。それから、声を潜めて、真剣な顔で続けた。
「だって、ライさん、フレンダにだけなんか優しく喋る気がするんだもん」
「や、優しく? からかってるだけでしょ、あれ」
「うーん、からかってるときもあるけど……なんていうのかな。他の人と話してるときと、声の感じが違う気がするの」
セレナは、思い出すように宙を見つめた。
「それに、時々ね。フレンダのこと、にこにこ見てるときがあるんだよ」
「……え」
「検問のときとか、ご飯のときとか。フレンダが気づいてないとき。すっごく、優しい顔で」
フレンダの頭に、ふっと、月明かりの庭がよみがえった。
助けてくれてありがとう、と言ったとき。一瞬だけ、すとんと抜け落ちた、いつもの余裕の笑み。思ってもみなかったものを差し出された子どものような、あの顔。
わしゃわしゃと乱暴に撫でられた頭。
『疑うことは、大事なことだからね』
『信じてばかりだと、守れないときもある』
そして、守れなかったことがあるのかと聞いたときの、「さあ?」という声。
月の光の中で、透き通るように笑っていた、どこか寂しそうな横顔。
(……ライは、一体、何を考えてるんだろう)
名前を知っていた理由も。港の男のことを聞いた理由も。騎士として現れた理由も。何ひとつ、わからないままだ。
それなのに、優しい顔で、自分を見ている?
「フレンダ?」
「……ううん。ライとは、そういうのじゃないよ。絶対」
それだけは、はっきり言えた。
「そっかあ。じゃあやっぱり、クライト先輩?」
「だから、違うってば!」
フレンダは枕をセレナに押しつけて、自分のベッドへ逃げ帰った。
「もう寝る! おやすみ!」
「ふふ。おやすみ、フレンダ」
セレナの楽しそうな笑い声を背中に聞きながら、フレンダは毛布を頭までかぶった。
暗闇の中で、目を閉じる。
セレナに自覚させるはずだった。アルマのことを、ちゃんと好きだって気づいてもらうはずだった。作戦は、半分くらいは成功した気がする。
なのに。
(……なんで、まだ痛いの)
胸の奥の、小さなちくり。
クライトに彼女ができたら、と想像したときに刺さったそれは、喉に引っかかった魚の小骨みたいに、いつまで経っても取れなかった。
フレンダは、毛布の中で膝を抱えた。
枕元の小さな布袋の中で、藍色の硝子玉が二つ、寄り添うように眠っていた。




