Ⅴ
あまりにも呆気ない、自爆だった。
自分を捜査しに来た当事者である第二皇子の目の前に、自ら暗殺計画と不正の決定的な証拠をばら撒いて見せたのだ。
「ち、違う……! これは罠だ! アウレリア! アウレリアが私を嵌めたのだ! 私の娘が、私を陥れるために……っ!」
正気を失った父が、私を指さして叫んだ。
けれど、周囲の誰もがその言葉を信じるはずもなかった。
なぜなら、私はただ窓辺の椅子に座り、膝の上に刺繍針を持ち、心底心配そうな、そして慈愛に満ちた瞳で父親を見つめていたからだ。
「お父様……お膝は痛くありませんか? そんなに激しく転ばれて、お怪我をなさっていなければ良いのですが」
私の声は、どこまでも澄んでいて、温かかった。
罪悪感も、悲しみも、優越感すらもない。ただ純粋に、目の前で派手に転んだ父親の体を案じているのだ。
フェリクス殿下は、私を一瞥し、その圧倒的な気品と、一切の汚れもない瞳に息をのんだ。
そして、床で這い回る公爵を冷たく見下ろし、言い放った。
「見苦しいぞ、ヴァレリウス公爵。聖女のごとき令嬢が、貴様の腹黒い陰謀に関与しているはずがなかろう。……ん? あ、ああ! 近衛兵、公爵を捕らえよ。ヴァレリウス公爵家の全財産を凍結し、国家叛逆および第二皇子暗殺未遂の容疑で厳重に取調べを行え!」
「はっ!」
「やめろ! 放せ! 私はヴァレリウス公爵だぞ! アウレリアアアアアッ!」
公爵は近衛兵たちに両手を縛られ、惨めな悲鳴を上げながら連行されていった。
彼の後を追っていた継母のテルトゥリア様も、「私は何も知りませんわ!」と泣き叫びながら一緒に連れ去られていった。
あっという間に、部屋から騒音と悪意が消え去った。
「……失礼した、アウレリア嬢」
第二皇子フェリクス殿下が、私に向かって静かに歩み寄ってきた。
彼は片眼鏡の位置を直すと、私に向かって優雅に一礼した。
「恐ろしい思いをさせたね。まさか実の父親が、君を巻き込んでこのような大罪を犯そうとしていたとは。……君の噂は予々伺っていたが、実に素晴らしいお方だ。どのような逆境にあっても、その心が曇ることがない」
「フェリクス殿下。お忙しい中、わざわざお越しいただきありがとうございます。お父様がご迷惑をおかけして、申し訳ございません」
私は微笑みながら首を振った。
フェリクス殿下は、私の瞳をじっと見つめると、その頬を微かに赤らめた。
「いや……君が謝る必要はどこにもない。むしろ、君のような誇り高く美しい女性が、このような過酷な環境に置かれていたことが痛ましい。……アウレリア嬢。ヴァレリウス家は取り潰し免れ得ないが、君の身柄は私が責任を持って保護しよう。我が皇室へ、ぜひ来てもらえないだろうか?」
それは、実質的な求婚の言葉だった。
けれど、殿下が私の手に触れようとしたその瞬間――
サッ、と素早い動きで割り込んできた影があった。
「――非礼をお許しください、フェリクス殿下」
銀髪の護衛騎士、カシウスだった。
カシウスは私とフェリクス殿下の間に立ち、静かに殿下を牽制した。
「アウレリア様は、相次ぐ過酷な出来事により、大変お心が疲弊しておられます。どのような高貴なお方からのご提案であれ、今は静養が必要でございます」
フェリクス殿下は眉をひそめたが、カシウスの瞳に宿る並々ならぬ執念と剣気に気づき、苦笑を漏らした。
「……フッ、なるほど。優秀で忠実な騎士がついているようだね。分かった、今日のところは引き揚げよう。だがアウレリア嬢、私は諦めないよ。君のその『瞳』に、とても惹かれているのだから」
フェリクス殿下はそう言い残すと、爽やかに部屋を去っていった。
静けさが、再び部屋に戻ってきた。
「……アウレリア様」
カシウスが振り返り、私を見つめた。その瞳には、焦燥と、そして溢れんばかりの情熱が宿っていた。
「殿下のおっしゃる通り、ヴァレリウス家はこれで終わりです。マルクス閣下……父も、二度と牢から出られることはないでしょう。……あなたは、自由になられたのです」
「自由……」
私は自分の手をかざしてみた。
前世で私を縛り付けていた社会という鎖。
この世界で私を縛り付けようとしていた家や婚姻という鎖。
それらが、私自身の手を汚すこともなく、ただ相手が勝手に破滅していくことで、するりと解けて消えてしまった。
私の中にある「凪」は、あらゆる悪意を跳ね返し、私をどこまでも自由で幸福な場所へと連れて行ってくれる。
「ねえ、カシウス」
私は窓の外に広がる青空を見上げた。
「これから、私たちはどこへ行きましょうか? 世界には、まだまだ私の知らない綺麗な景色がたくさんあるのでしょうね」
カシウスは息をのむと、私の前に跪き、私の両手を愛おしそうに包み込んだ。
「あなたが望む場所なら、世界の果てまでもお供いたします。……アウレリア様。私の命も、心も、すべてあなただけのものです」
カシウスの言葉が、私の心に温かく染み込んでいく。
胸の奥で、ふわふわとした幸福の粒子がキラキラと光を放っていた。
私を蔑み、利用しようとした人々は、みな勝手に破滅の道を転がり落ちていった。
けれど、私にはただ、目の前の世界がどこまでも優しく、美しく映っている。
「ええ、行きましょう、カシウス。新しい、私たちの物語を見つけに」
私は春風のような笑みを浮かべ、大好きな騎士の手を取った。
私の心は、今日も、明日も、永遠に澄み渡り、心地よく凪いでいるのだった




