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魂の羽化師は夢を斬る 平安鎮蝶譚  作者: 平本りこ
二章

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39/40

1 不器用な父子

「改めて父上、ご無沙汰しておりました」


 守影友潤(もりかげのともみつ)の邸宅である梅殿(うめどの)の一室にて。部屋の主の正面で平伏するのは綾埜(あやの)と、一晩の休息の末少しは体調を立て直した(はやて)である。


 皮肉を帯びた声音で父と呼ばれても、友潤は眉一つ動かさない。


「ここは公的な審問の場ではない。それゆえ、おまえが獄所を抜け出したことについては、今は不問としよう。また、我々が知らない過去の罪を暴こうとするものでもない。魂蝶寮(こんちょうりょう)の職務ではないからな」


 友潤は、二年前に除籍された元羽化師であり息子でもある男をじっと見つめた。


「だが今回、浄蝶祭(じょうちょうさい)の晩に内裏に運ばれる蛹石を待ち伏せして盗んだのは、紛れもない事実だ。検非違使(けびいし)の前でもそう自白したとか」

「まあ、そうですね。でもいいんですか。俺が持ち帰った蛹石は蝶になりました。もう光らないと見捨てられ、無光堂(むこうどう)で供養されていた蛹石が、です。そのことについて魂蝶寮はどう弁明するんです」

「羽化師も人だ。誤りはある。それに、光を失った蛹石が羽化するのは、稀とはいえ前例がある」

「じゃあいいじゃないか。魂蝶寮の羽化師は足りないんでしょう。どうせあれは、俺の手に渡らなかったら、ただ焼かれて灰と煙になるだけだったんですから」


 友潤の、常に感情の薄い顔が微かに動く。眉間に軽く皺が寄った。


「そもそも俺みたいな胡散臭い羽化師に依頼が舞い込むのも、元はといえば魂蝶寮が」

「颯」


 綾埜は、すぐ隣にある袖を引いて囁いた。


「これ以上心証を悪くしてどうするの。相談した通りでいいでしょう?」

「ああ、悪い」


 颯はわざとらしく頭を掻いた。


「二年分の鬱憤が、つい」


 綾埜は、なおも続く颯の暴言を咳払いでかき消してから、顔を上げて姿勢を正した。


「魂蝶頭」


 ひんやりとした光を宿した瞳が綾埜を射る。


「彼が盗んだ……いいえ、取りに行ってくれたのは父の蛹石。私が依頼したのです。蛹石は本来、遺族のものですから。つまりこの騒動は、全て私のせいです。父慕わしさからの行動とはいえ、お騒がせしたことを心よりお詫びいたします」


 友潤は静かに瞬きをする。綾埜は相手の目に浮かぶ機微を探りながら続けた。


「その後のことは、友潤様もご覧になった通り。おかげさまで父は無事に羽化しました」


 もちろん、颯が依頼を受けて盗み出そうとしたのは他の蛹石であり、柏正則の蛹石は偶然発見されただけである。しかしそれを正直に告げる必要はない。


 綾埜は袂から、小さな包みを取り出した。板床の上で結び目を解くと、真ん中からぱっくりと割れてすっかり軽くなった蛹石の殻が現れた。


「父の蛹石です。謹んで、魂蝶寮にお納めします。お定めに沿って、野山に還していただけますか。娘である柏早来埜(かしわのさきの)と綾埜が、この蛹石の所有者として依頼いたします」


 じっとりと重たい熟慮の気配が部屋を満たす。果たして彼は綾埜の主張を認めてくれるだろうか。反駁されたら次は、どのように論を展開しよう。


 自身の鼓動が耳に大きく響き、あまりの緊張に喉元を押さえつけられたような心地がして息苦しさを覚える。もうこれ以上は限界だ、と思った時、やっと友潤が口を開いた。


「……そうか、ならば魂蝶寮が訴えるのは筋違いだな。次の出仕の際に訴状を撤回しよう」

「え?」

「禁獄は濡れ衣だった。少なくともあの晩は、魂蝶寮の所有物は何も盗まれていなかったようだ。それに、浄蝶祭の晩に羽化師が蝶門(ちょうもん)に詰めるのは何もおかしな話ではない。もっとも、除籍済みの元羽化師であったが……まあ、騒動には様々な誤解があったのだろう。いずれにせよ、ただでさえ貴重な羽化師を二人も処罰できるものか」


 綾埜は肩透かしを食らった気分で、呆然と友潤の顔を凝視する。


「何だその顔は。不都合でもあるのか?」

「い、いいえ。ご高配感謝いたします」


 慌てて床に手を突き頭を下げる綾埜だが、隣に座った颯に動く気配はない。反抗的な顔をしているのではないか、と肝を冷やしたが、さすがに颯もそこまで短慮ではなかったようだ。綾埜から一呼吸遅れて、二つの頭が平行に並んだ。


 しゅっと衣擦れの音がして、友潤が立ち上がったことが察せられる。堂々とした足取りだ。目の前を直衣(のうし)の裾が通り過ぎた。


 そろそろ部屋を出る。これでやっと、厳格な魂蝶頭が纏った息の詰まるような威圧感から逃れられる、というところで彼は足を止めた。


行颯(ゆきさや)、礼を言う」


 颯の身体がぴくりと動いた。綾埜ですら、一瞬耳を疑った。


 友潤は二人の動揺をよそに、相変わらず抑揚の薄い声音で言う。


「これは魂蝶頭としての言葉ではない。守影友潤としての発言だが」


 身体を颯たちの方へ向けたのか、衣が擦れて軽く鳴る。


「おまえは我が友を次の世に導いてくれた。私と綾埜だけでは失敗していただろう。だから、礼を言う」


 颯が戸惑いがちにゆるゆると首を上げた。綾埜は迷ったが、友潤の顔を見てみたいという好奇心が勝り、颯に倣う。顔を上げて振り返ると、友潤は今までに目にしたことのない、不敵な笑みを浮かべていた。


「無論、無許可の羽化師など魂蝶寮は見過ごせぬ。だが今日は非番だからな」

「あ……」

(だから、魂蝶寮ではなく梅殿での面会だったのね)


 彼は最初から、颯を放免するつもりだったのだ。何と不器用な男だろうか。綾埜は口元が緩みそうになるのを堪えながら、颯の顔を窺う。彼は綾埜以上に拍子抜けした顔で、父の顔を見上げていた。


「しかし、羽化師不足もいよいよ深刻だ。未開の地にも才を持つ者はいるはずだ。国司にかけ合い庶民に募って都に呼び込もうか……」


 すでに心ここにあらずといった様子で、どこか遠い場所を眺める魂蝶頭の静かな瞳の奥には、強い信念が青く燃え盛っているようだった。

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