2 寄り添い合った双翅
「綾埜! ……と、行颯」
肩を並べて門へと向かう綾埜と颯の背中を、暁潤が呼び止めた。最初は明るかった声音だが、異母兄の名を口にする時は不本意そうだ。
「何だよ、俺がいて嫌そうだな」
「当然だろう。君のことはいけ好かない。息子として迎えてくれた父上の恩を仇で返したのだからな」
「そうかい、異母弟よ」
「魂蝶寮を除籍された時点で父上は守影の家系図から君の名を消した。もう兄弟ではない」
「はいはい」
「何だその反応は!」
「ねえ、ちょっと二人とも……」
見かねた綾埜は異母兄弟の間に身体を割り込ませ、暁潤に頭を下げた。
「暁兄様。この前はありがとうございました。おかげで、父は無事に羽化できました。……でも、どうしてあの時、颯を連れてきてくれたのですか」
こうも険悪ならば、颯に素直に助けを求めることに抵抗感もあっただろう。そうでなくとも颯は、浄蝶祭の一件で禁獄されていたのだし。
「魂蝶頭の印璽を拝借してね、訴えを取り下げる書状を作って釈放させたのだよ。認めがたいことだけれど、行颯は魂蝶寮にいた頃から、邪道ながらも腕のいい男だった。事態を打開できる人物がいるのなら、頼らない選択肢はない。綾埜や父上の命には代えられないからね。だが」
暁潤はすっと目を細めて颯を睨んだ。
「廃屋敷住まいのもぐりの羽化師になど、綾埜はやらない」
「あれは家じゃない。それに一足遅かったな。綾埜はもう俺の双翅だ」
「双翅を決めるのは魂蝶寮だ。正規の羽化師ではない者に、双翅の組み分けはない」
「とはいえ実際、俺たちは何度も深いところで繋がって」
「綾埜!」
門の角から、可憐な被衣姿が転がり込んだ。見慣れた姿と声。綾埜は目の前の諍いなどすっかり忘れ、飛びつくようにして彼女に抱きついた。
「お姉様、ずっとそこにいたの? 心配をかけてごめんなさい」
「ええ。大変だったのよ。不安で不安で、一睡もできなかったしずっと涙が止まらなかったのだから」
言っている側から早来埜は涙ぐむ。狼狽えかけた綾埜だが、半分冗談だったのか、早来埜が涙を零すことはない。やがて姉は口元に、いたずらをする子どものような笑みを浮かべた。
「でも、上手くいったみたいね」
「ええ、お姉様が背中を押してくれたから……」
あの日、早来埜が蛹石の所有権のことを思い出させてくれなかったならば、目の前の事態への対処で盲目になりかけていた綾埜には、穏便にことを終息させることができなかったかもしれない。改めて感謝の念が湧き上がる。
「本当にありがとう」
いつも綾埜を案じてくれる姉。少し過保護で大袈裟なところがあるのだが、最後には綾埜の心を尊重してくれる。羽化師を目指し始めた頃もそう。そして、今回のことだって。
早来埜は妹の頭を愛おしげに撫でる。ぎゅっと強く抱きしめてから身体を離し、梅殿の敷地内で低俗な言い争いを続けている異母兄弟らをまじまじと見た。
「あらあら。あれは何かしら。綾埜を巡って殿方が揉めていらっしゃるのね」
「そういうことじゃないと思うのだけれど」
「まあ、この子ったら。そういうことに決まっているじゃない。それで」
綾埜の耳元に、早来埜の唇が寄る。
「行颯様は友潤様のお子に戻られるの?」
「え? いいえ、そんな感じではなかったけれど……そういえばどうなるのかしら。まずは無罪放免になって」
「だめよ。ちゃんとしないと」
「そうね。でも颯は官位なんて気にしていないような気がするわ」
「あなたはそれでいいの?」
「私? たしかに、正式に双翅になるのなら魂蝶寮に復帰してもらわないと」
「そうではなくて」
早来埜は顔を半分隠していた被衣を持ち上げた。柳眉がなぜか、顰められている。
「通ってもらうのに、無位無冠の殿方なんて認めませんよ」
「通うって……何をおっしゃるのよ、お姉様!」
通う、とはつまり、殿方が恋人である女人の家に夜這いをするという意味であり、つまりそういうことなのだが。
「颯は違うのよ」
「あら?」
早来埜は可憐に首を傾ける。
「『お姉様がいなければ私は息ができない。でも颯を見捨ててしまえばきっと、生きていても苦しいだけなの』」
どこかで聞いたような言葉に、綾埜は口を閉ざす。早来埜は純粋な目をぱちぱちとさせた。
「あなたが言ったことよ。そこまで強い思いがあるのに、違うの?」
「そ、それは」
颯を助けたいと願った。それが叶わなければ世界中から彩りが消え、空気が淀んで感じられるのだろうと思ったのは本当だ。だが、果たしてその強い感情を生み出したのは、どのような種類の思慕なのか。
(だって颯は私の双翅であって……でも、それだけなのかしら?)
咄嗟に飛び出した過去の発言が恨めしい。綾埜は自分でも混乱する感情を持て余したまま硬直する。そんな気まずい沈黙を破ってくれたのは、颯の無遠慮な声だった。
「おい、綾埜……あれ、あなたは」
早来埜の姿に気づき、颯は折り目正しく腰を曲げた。
「柏の大君ですね。夏山行颯と申します。囚獄正橘晴成様へのお口添え、感謝申し上げます」
「まあ」
この日の颯は、普段よりもいくらか小綺麗な狩衣を纏っている。庶民の出で立ちではあるものの、突然洗練された所作で頭を下げられて、早来埜は袂で口を覆い、綾埜に囁いた。
「こうして見ると、光るようなお顔の殿方ね。いいじゃないの。後は官位だけね。どうせうちは中流貴族だし、ある程度の身分があれば及第点よ」
「お姉様、そんなことばかり言って」
「あらあら、蝶だわ」
早来埜は綾埜の小言をひらりと躱し、わざとらしく空を仰ぐ。つられて視線を向ければ、魂蝶寮のある大内裏の方角から、空の果てに吸い込まれるようにして光の帯が続いているのが見えた。
粉雪が舞う冬の日、野山に遊ぶ蝶はいない。蒼天へと舞い上がるのは、人の魂が転じた魂蝶に違いない。
現世への未練を断ち切り己の殻を破って羽化をする。そうして希望と一抹の不安を抱えながらも天に飛翔し、次なる人生へと羽ばたいていく。魂の重大な局面に関わる羽化師はやはり、どのような闇を抱えていたとしても、本質的には崇高な職だ。綾埜はそう確信している。
気づけば颯が隣に立っていた。二人は視線を交わし、どちらともなく口元で小さく微笑み合って、再び空を見上げた。
「これからも一緒に闇を斬ってくれるかしら?」
「いいのか? 暁潤に邪道だって言われたばかりだけど」
「背に腹は代えられないとも言っていたわよ」
「最初は教本教本って言っていたのに、綾埜も変わったな」
茶化す声すら耳に心地よい。
寄り添い合った双翅は今日もまた、夢に舞い降り夢を斬る。
<完>




