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魂の羽化師は夢を斬る 平安鎮蝶譚  作者: 平本りこ
二章

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8 癪だけれど

 年が明け、貴族たちが最も忙しく働き回る怒濤の新年行事が一段落した頃。


 師走も正月も関係なく運び込まれる蛹石(さなぎいし)を前に、魂蝶寮(こんちょうりょう)は平常運転だ。とはいえさすがに、新年早々座学はない。束の間の休息日、姉夫妻と共に穏やかな新年を過ごした綾埜(あやの)だが、心の片隅には当然、先日の蛹石盗難の一件が引っかかっていた。


 結局あの晩、盗人はまるで軽業師のように俊敏に逃走を果たした。


 公には、被害は調査中とされているのだが、実際にはいくつかの蛹石が盗まれたと見て相違ないだろう。


 各方向から鏑矢の音がしたということで複数名での犯行と思われたのだが、どうやら射手が不在でも人が通ると矢が放たれるような装置が仕掛けられていたようだ。隠密行動が有利に働くにもかかわらず、あえて音の大きな鏑矢を飛ばした理由は、衛士の攪乱のためと推察される。


 他の門には装置の痕跡はなかったので、やはり犯人は、今年の蝶門(ちょうもん)西徳門(せいとくもん)であることを確信していたに違いない。


 以上より、浮かび上がる犯人像は、浄蝶祭(じょうちょうさい)の事情に詳しい若い男の単独もしくは小さな集団である。


 ならば綾埜は、確かめなくてはならない。これは彼の仕業なのか、もしそうだとしたら、どのような意図があったのかを。


(はやて)、いる?」


 右京の廃屋敷にて。


 正規の羽化師ではない颯。万が一検非違使(けびいし)に踏み込まれた場合も被害を最小限にするため、寝食用の小屋は別にあるらしいのだが、いつ訪ねても彼は、日中ならばだいたいここにいる。羽化の仲介人と連絡が取りやすいように、日のあるうちはできるだけ、仕事場で過ごすようにしているのだと言っていた。


 だから颯はいつも、綾埜の突然の訪問に驚きもせず、当たり前のように迎え入れてくれる。ちょうど受け持っている蛹石があれば、共に蝶夢(ちょうむ)に入ることもある。


「颯……」


 もう一度呼びかけながら、相変わらず荒れた庭に足を進めるが、返る声はない。珍しく不在なのだろうかと思い母屋を覗き込んだ綾埜は、息を呑むことになる。


 半ば開いた塗籠(ぬりごめ)の中に、颯が倒れている。全身から血の気が引く思いで慌てて近づけば、どうやら病で伏しているのではなく、一人で蝶夢に入っているようだ。


 普通、羽化術は二人一組で行うものだが、綾埜と出会う前まで、颯は単身、蛹石と向き合ってきたのだから、何も不可解なことはない。にもかかわらず綾埜が顔を青くしたのは、彼がひどくうなされているからだ。


「大丈夫?」


 無意識のうちに暴れたのだろうか、近くに置いてあった土器(かわらけ)がひっくり返り、板床に水が撒き散らかされている。その他にも、燈台が倒れ扇が転がり、まるで物盗りにでも荒らされたかのような状況だ。


 颯の額には汗が浮き、烏帽子から覗く横髪もぐっしょりと濡れていた。雪のちらつく季節。汗が冷えれば体温は急激に下がり、命に関わるかもしれない。


 綾埜は袖で颯の汗を軽く拭い、近くに積まれていた筵を掛けてやってから膝を突く。


 颯の手には、蒔絵の小箱。留め具を開き、薄く蓋を上げてみれば、淡く紫色に明滅する蛹石が納められている。光が弱い。このままでは羽化に失敗して、蛹石は生まれ変わる機会を失ってしまう。


 一度、颯の魂をこちらの世界に引き戻そうか。だが、この蛹石にそれほどの時間が残されていないことは明白だ。綾埜はごくりと唾を呑む。


 蝶夢の中で、何が起こっているのかわからない。颯に利用されていたのかもしれないと思えば、素直に助けるのが癪だという思いもある。だが、できることがあるのに動かないのは、性に合わない。


 綾埜は、指先が白く変色するほど強く小箱を握りしめる颯の手に触れた。両手で柔らかく包み込めば、冷えた颯の手の中から微かな鼓動のような振動が伝わってきた。


 瞑目し、ささやかで規則正しい音の狭間に意識を委ねる。綾埜は蝶夢の中に吸い込まれた。

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