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魂の羽化師は夢を斬る 平安鎮蝶譚  作者: 平本りこ
二章

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7  浄蝶祭を騒がせる者③

綾埜あやの!?」


 第三者の声が割り込んだ。間が悪いことこの上ない。


 盗人とおぼしき男が綾埜を振り返る。覆面に空いた細い隙間から強い眼光が覗いたが、それも一瞬のこと。猫のように素早く身を翻し、殿舎の間の闇に紛れて行く。


「待ちなさ」

「綾埜、待て!」


 盗人を追おうとした綾埜だが、先ほど割り込んだ声の主に腕を掴まれて引き止められてしまう。


暁兄あきにい様、放して」

「何を言っている。危険だよ……おおい、衛士。こっちだ。盗人がいる!」


 衛士が武具を揺らしながら砂上を駆ける足音が近づいた。少し離れた場所で「あちらだ!」と大きな声が上がり、いっそう騒がしくなる。


 どれほど手慣れた盗人だったとしても、多勢に無勢では逃げ切ることは困難だろう。


 あの男の正体はわからない。だが、綾埜の想像通りの人物だったのならば。


(捕まったらきっと打ち首よ。多分、弁明の機会はほとんどない)


 胸の奥で焦燥が荒れ狂う。


 悪事は裁かれるべきだ。しかしもし颯が危険を賭して蛹石を奪いにきていたのだとしたら、それにはきっと、何らかの理由があるはずだ。


 どうにかしなければ。たとえ彼に騙されて、蝶門ちょうもんを聞き出すために利用されていたのかもしれなくとも、処刑となれば話は別だ。


「追わないと」

「何を言う!」


 暁潤あきみつは温厚な男だが、このときばかりは眉を怒らせている。


「衛士に任せておけば大丈夫さ。それに、その衣装では動きづらいだろう。いざという時に身動きが鈍くなれば命取りだ」


 綾埜は自分の装束を見下ろした。竜胆色りんどういろを基調とした紫の重ねは、ずっしりと重たい。いつもの狩衣姿とは勝手が違うのだ。


「でも」

「どうしてこだわる?」


 暁潤の声に、ひんやりとして鋭い何かが混じっている。はっと顔を上げれば、至近距離から綾埜を見つめる黒い瞳がある。それは、行き交う松明の明かりを弾いて暗く光っていた。


「もしかして、奴の正体に心当たりがあるのかい?」


 言い当てられて、視線が揺れそうになる。堪えたつもりだが、聡い暁潤には確信を与えてしまったかもしれない。暁潤の眉間が微かに険しくなる。綾埜はかぶりを振った。


「い、いいえ。そうではないけれど……そうだ、それよりも、盗まれた籠があそこに」


 階を指差すと、暁潤が素早く向かい、陰から籠を引っ張り出す。彼は蓋を開け、軽く中を調べてから顔を上げた。


「中身は無事だ」

「でも、少し量が」

「無事だ。少なくとも、私たちが見た限りは。……そうだね?」


 一呼吸分の間を空けて、暁潤の意図を理解した綾埜は頷いた。


 暁潤の目にも、籠の中身はやや少なく映ったことだろう。だが、今宵は年に二回きりの浄蝶祭じょうちょうさい。運搬中の蛹石が盗難に遭ったとすれば、浄蝶祭どころではない。


 盗人が捕まれば、いずれ盗難は白日の下になるだろう。しかしまずは、今宵の祭儀を完遂させなくてはならない。


 光らない蛹石など奪われたところで大きな害はない。どうせ、南庭で燃えさかる浄化の炎に焼かれて灰になる予定だったのだ。


 ならばこの違和感には蓋をして、今は何も気づかなかったことにしまおう。何よりも優先されるのは、祭儀を続行することだ。


 暁潤は蓋を閉じ、籠を背負う。それから綾埜を促した。


「戻ろう。不届き者の始末は衛士の仕事。彼らを信じて待つだけだよ。僕たちには羽化師としてやらなければならないことがある。都の平穏のためにも」


 綾埜は未だ動揺しつつも、暁潤の背中を追う。


 浄蝶祭には、疫病や物の怪を退ける祓いの儀式の側面もある。死の経験という魂の穢れを、浄化させることのできなかった蛹石たち。彼らを清めることは、都、ひいてはこの国全体の穢れを祓うことになる。


 ただでさえ、ここ数年は咳逆がいぎゃくをはじめとする疫病が流行しているのだ。浄蝶祭はつつがなく進行されなくてはならない。


「行こう」


 肩を並べて戻ると、南庭は潜めた困惑の声で満たされていた。


 籠を背負った息子から経緯を聞いた魂蝶頭は、軽い労いの言葉の後、何事もなかったかのように焚き上げを開始した。


 先に届けられていた蛹石たちが、炎の側に積み上げられている。暁潤が背負ってきた籠に収められていた蛹石たちもばらばらと広げられた。


 ぬさが並び、米や塩が供えられた祭壇の正面。地面に敷いた筵の上に無造作に重ね合わさる蛹石たち。その白茶けた色合いに、綾埜は嫌悪にも近い罪悪感を覚えた。


 あれが、光らなくなった蛹石の末路。元は誰かの身体に宿った魂であったのに、最後はあのように、老若男女、身分、好悪、その他生前の人物が抱えていたどんな事情も関係なく、浄化の炎の前で折り重なるのだ。


「ご無事で安心しました」


 列に戻った綾埜の隣から、控えめな声がした。綾埜が南庭を飛び出す前に、怯えて袖を握ってきた娘だ。


 魂蝶頭が幣を振りながら唱える祭文が、厳かに響いている。娘は他の人にはわからない程度に膝を折る。


「先ほどは励ましてくださり、ありがとうございました」

「え、いいえ。こちらまで不届き者がこなくてよかったわ」


 言いながらも、盗人の正体を思えば、胸にざらざらとしたものが薄く降り積もっていく。


 あれは颯だったのだろうか。


 彼が無光堂むこうどうで綾埜ごと蛹石を盗んだのは、さすがに不可抗力だったのだろう。


 しかし、その後何度も共に蝶夢ちょうむに入り、少しずつ自己開示をしてくれるまでになったのは、魂蝶寮の内部事情を知るために綾埜が利用できると思ったからだったのか。双翅そうしだと言ってくれたのも、気安く微笑んでくれたのも、全ては綾埜を油断させるための偽りで。


 もしそうならば、颯の手管にまんまと嵌まってしまったといえる。悔しさと虚しさがない交ぜになり、喉の奥が圧迫されたように息苦しい。


 もし、彼が無事に逃げおおせたとして、このまま関係を続けたならばどうなるか。今回、さりげない会話の中で蝶門を聞き出されたように、またいつか重大な情報を渡してしまうかもしれない。しかし。


 ――今度は幸せにしてくれる男に惚れろよ。


 初めて共に蝶夢に入った後。羽化した藤原篤子の魂蝶こんちょうを見送った颯の優しげな声と横顔が脳裏に蘇る。その端正な顔に、普段は気弱だった父の奢らない誇りに満ちた力強い表情と声が重なった。


 ――私がすべきことは、目の前で来世への希望に光り輝いている蛹石たち一つ一つを無事に次の場所に送り届けることだよ。


 颯が盗もうとした蛹石の中にもきっと、来世への希望を失わず、乳白色の殻の内側に微かな光を燻らせた蛹石があったのだろう。


 不意に、小さな感嘆の声が上がった。臨席していた公卿らが、燃えさかる火影に顔を照らされながら、目を輝かせている。


 綾埜たちの視線も、炎の方へと吸い寄せられた。


 魂蝶頭が、魂蝶寮の次官にあたる魂蝶助こんちょうのすけから蛹石を一つ一つ受け取って、祭文を口にしながら火の中へと投げ込んでいく。


 魂蝶頭の色である濃紫の袂に煽られた炎から、火柱がぼう、と立ち上がる。蛹石は燃えると、それぞれ異なる色を放ち始めた。


 儚く繊細な桜色。春の野のように無邪気な黄色。悲しみに沈んだ藍色。恨みを抱えたままの鈍色。


 炎の方が強烈で、本来ならば目視できるほどの光度は持たないはずの、淡い色彩たち。だが、その神秘を表すように、確かな光がそこにある。


 淡光は時折、羽ばたく蝶のような形を作る。しかしあれは当然、魂蝶ではない。蛹石は魂なのだと認識した心が見せる錯覚だろう。


 ふと隣を見ると、先ほどの娘が目を見開き涙を流している。彼女は確か、綾埜の同期。魂蝶寮の学生が浄蝶祭に出るのは一年目の冬からなので、彼女も、燃える蛹石を前にするのは初めてのはず。


 幽玄を感じさせる光景に、情緒が揺さぶられるのは当然だろう。何せ、年に二回も目にしているはずの公卿たちですら目を奪われるほど胸に迫るものなのだ。しかし。


(あの中に、まだ羽化できたはずの蛹石が、いくつあったのだろう)


 かつて人であった蛹石。魂の名残であるそれらが燃えて、最期の一息を吐き出すように色を放ち空気に溶けていく様を、美しいと感じていいのだろうか。


 居並ぶ学生たちの中、綾埜だけが一人、瞳に陰を宿らせていた。

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