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魂の羽化師は夢を斬る 平安鎮蝶譚  作者: 平本りこ
二章

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19/40

6 浄蝶祭を騒がせる者②

 胸に温かなものを抱えつつ向かったのは、儀式の場として利用される南殿の正面に位置する南庭である。


 年に二回の浄蝶祭じょうちょうさい。この晩、南庭には臨時の祭壇が儲けられている。かたわらには、蛹石さなぎいしを燃やすための薪が組まれ、巨大な炎がまるで触手を伸ばすようにして空に伸びている。ぱちぱちと爆ぜる音と鮮やかな赤を前にして、綾埜は気を引き締めた。


 綾埜は、炎から少し離れた場所に立つ学生がくしょう仲間の列に並ぶ。女性羽化師の姿もあるが、圧倒的に男性が多い。


 羽化術の才を持つ者は、性別や貴賤を問わず魂蝶寮こんちょうりょうに入る資格を持つのだが、貴族の娘は入寮を辞退することが多いので、自ずと男女比に偏りが出る。


 隣に立つ顔見知りの娘が控えめな目礼をくれた。庶民の出身なのだろう、普段は触れることのない上質な布地の衣装に、少し頬を紅潮させているようにも見える。その隣は男性羽化師であり、こちらは竜胆色の束帯そくたい姿だ。


 居並ぶ学生羽化師らの竜胆色が、皮膚を切り裂きそうなほど澄んだ冬の冷気の中、篝火に照らされて濃紫に浮かび上がる様は圧巻で、雅で神聖な空気が漂うようだった。


 ふと、綾埜は思う。はやても学生時代には、束帯を纏い、浄蝶祭で祭祀の補佐を務めたのだろうか。


 ふてぶてしい半無法者のような男が、煌びやかに着飾り炎に照らされる姿を思い浮かべると、妙な気分になる。


 しかし、年季の入った筒袖を纏っていてもどこか貴族風に整う颯の容貌を眺めれば、案外様になっていたのではなかろうかとも思う。


 そもそも綾埜は、颯の出自をほとんど知らない。粗野な言動が目立つので、貴族の邸宅で乳母や従者に囲まれて育ったようには見えないが、食事に困窮してきた様子もない。自分の生活で精一杯ならば、見捨てられた蛹石を救うよりもずっと儲かる商売があるはずだ。


(颯はいったい……)


 その時だ。


 不意に、綾埜たちの背中側、西の方角から怒声が響いた。祭祀の開始を待っていた学生たちが困惑の視線を交わして囁き合う。


「どうしたんでしょう」


 隣に立っていた娘が、心細そうに綾埜に話しかけた。いつも遠巻きにされていたので彼女の声を初めて聞いたな、などと場違いな感想を抱きながらも、綾埜は騒ぎの方へと顔を向ける。


「西……西徳門せいとくもんがある方ね。そろそろ、無光堂むこうどうから蛹石が運ばれてくる頃だけれど」


「盗賊だ!」


 衛士の太い声が宵闇を揺らした。


「と、盗賊? 内裏にどうして」


 怯えた娘が綾埜の袖を掴んだ。よく見れば顔立ちが幼い。十八の綾埜よりも一つ二つ年下かもしれない。綾埜は娘の冷えた指を両手で包み込む。澄ませた耳に、次なる叫びが届いた。


魂蝶頭こんちょうのかみ、どちらにいらっしゃる!」

「何事か」


 蛹石の到着を待っていた魂蝶頭守影友潤(もりかげのともみつ)が、控えの局がある殿舎の階から堂々たる足取りで現れた。弓を手にした衛士が学生たちの前を駆け抜けて、魂蝶頭の前に膝を突く。


「魂蝶頭、一大事です。魂を冒涜する不届き者が現れました」


 暗がりの中でもそうとわかるほど、友潤の眉がひそめられる。衛士は大きく息を吸ってから、叫ぶようにして言った。


「無光堂から運んできた蛹石が盗まれました。蝶門ちょうもん……西徳門せいとくもんで待ち伏せされていたのです」


 その言葉を耳にしたと同時、考えるよりも先に、綾埜の身体は動き出していた。


「あなたはここにいて。皆と一緒にいればきっと安全だから」

「え……綾埜様?」


 目を白黒させる娘の手を優しく引き離し、綾埜は脇目も振らずに西へと走る。背後で、友潤が綾埜を呼ぶ声がしたような気がしたが、定かではない。


 衛士が放つ弓が夜気を切り裂く音が、びゅんびゅんと鳴っている。ぞくり、と全身に冷たい汗が浮く。


 飛道具の雨が降っているだろう西徳門側の殿舎には、早来埜さきのたちがまだいるだろう。危険が迫っていないか心配だ。そしてもう一つ、綾埜の直感が警鐘を鳴らしていた。


 ――今年の蝶門は東明門とうめいもんだったか?


 右京の廃屋敷で耳にしたさりげない口調が、脳裏に蘇る。


(まさか、盗人は颯?)


 高価な品ならばともかく、売れもしない蛹石を盗む人物など、綾埜には一人しか思いつかない。それだけで彼を犯人と断定するのは早計だが、今年の蝶門が西徳門だと知っていたとなれば怪しさは一気に増す。


 颯はもしかすると、鎌をかけて綾埜から蝶門の位置を聞き出したのだろうか。口では「双翅そうしだ」などと綺麗なことを言っておきながら。


(騙した……ううん。私を利用したの?)


 全てはただの憶測だ。しかし信憑性は高い。


 綾埜は肺を刺すように冷たい空気の中、荒い息を吐きながら騒ぎの方角へと走る。全身は凍るように冷えているのだが、腹の奥底が煮えくり返るように熱い。


 綾埜は唇を噛みしめて、姉のいる殿舎に飛び込んだ。


「お姉様!」

「綾埜っ!」


 御簾を乱雑に掻き上げて飛び込むと、晴成はるなりに守られるようにして奥で縮こまっていた早来埜さきのがぱっと顔を上げる。駆け寄った綾埜と強く抱き合って、早来埜は震える声で言った。


「ふ、不届き者が……盗賊が現れたというのが聞こえたの。怖いわ。どうしましょう」

「大丈夫よ。彼の目的は蛹石だけ。ここでじっとしていれば危険はないわ」

「彼? 姿を見たの?」


 綾埜は答えず、近くで怯える女房に告げた。


「絶対に出てはだめよ。お姉様とお義兄様をお願い」

「に、二の姫。どちらへ……」

「綾埜。待ちなさい、危険だ」


 案じてくれるどの声も、激情に突き動かされる身体を引き止めるには至らない。綾埜は階を飛び降りて、衛士が手にする松明の明かりが濃い方へと向かった。


 近くにいた者を捕まえて話を聞けば、盗人は荷運び人役の羽化師が門口へやってくると鏑矢を放ち注意を引き、その隙に蛹石の入った籠を奪って屋根の上に逃げたという。駆けつけた衛士が物音を頼りに屋根の上を探すも、闇に潜む盗人の影はない。


「すでに逃げたのか」


 帝のすぐ側で起こった不祥事に、衛士は苛立っている。隊の半分ほどが内裏を出て捜索に向かった。果たして、重たい籠を背負った盗人に、短時間で逃げおおせることなど可能なのだろうか。


「不届き者の人数は?」

「不明だ。籠を奪った時に現れたのは若い男一人だけだった。しかし鏑矢の音が複数箇所から放たれたのだ。少なくとも二人以上による犯行だろう」


 場違いにも少し安堵する。颯には蛹石を共に盗むような仲間がいる様子はなかった。だがそうなると、相手が単なる狂人ではないという保証はなくなってしまう。姉たちに危害が及ばないか心配だ。


「その男は、どちらの方に?」

「官舎の屋根に上ったまでは見た。それ以上はわからない。……って、どこへ行く?」

「ありがとう」


 綾埜は走り出しながら礼を述べた。


 衛士の人数は限られている。そのため、敵が潜伏している可能性のある範囲が広がれば捜索は困難になるだろう。その証に、強奪現場となった西徳門周辺には、緋色の武官束帯姿はまばらになっている。


(本当にもう外に出たのかしら。ただ逃げたふりをしているだけ、ということはないの?)


 もし、息を潜めて隠れ通すことができるのならば。人気が去るのを待ってから宵闇に紛れて逃げ出すのが最も安全だろう。


 動けば動くほど、気配は撒き散らかされる……と、誰かが以前言っていたような気がするが、いったいどこで耳にしたのだろうか。


 屋根を見上げながら記憶の糸をたぐり寄せようとした綾埜の視界の端、殿舎の階の陰に、紫色の明かりがぼんやりと映った。見慣れた色合い。蛹石の放つ光だ。


 周囲に衛士の姿はない。綾埜は光の元へと駆け寄った。


 階の裏に隠すようにして籠が安置されている。蓋をずらすと、ずっしりと蛹石が詰まっているのだが、満杯という様子もない。そして、先ほどちらついていた薄紫はすでに消えている。


 この一瞬で希望の光が潰えてしまったのか、それとも発光する蛹石は誰かに持ち去られたのか。籠の内容量が若干少なく見えることや、あえて籠を放棄した犯人の行動から推測すれば、後者が濃厚か。


 重苦しい衣装のまま全力疾走したものだから、息が上がり胸が苦しい。階の陰に蹲るようにして籠を抱えたまま、荒い呼吸を繰り返す。


 脳内に押し寄せては消える思考の波の狭間に、じゃり、と砂が擦れる音が混じった。


 微かな音に弾かれて、綾埜は顔を上げる。視線の先に、殿舎の壁に張りつくようにして進む人影がある。階で死角になり、綾埜の姿が見えないのだろう。己を見つめる目があることに気づいた様子は一切ない。


 綾埜は呼吸を整えると、ゆっくりと膝を伸ばして怪しげな人物の背後に忍び寄る。


 覆面をしているため、顔貌は判然としないのだが、すっと伸びて引き締まった背中の印象からは、まだ若い男と見た。そして、どこか見覚えのある立ち姿でもある。


(やっぱり、颯?)


 鼓動が耳に大きく響く。まるで吸い寄せられるように男の方へと足を進める。


 途中、自分が丸腰であることを思い出し、頭部から蝶を模した銀細工の簪を引き抜き握りしめた。


 鋭利な先を敵の体に突き立てれば、当たり所によっては小さな怪我では済まないだろう。これは立派な武器になる。


 男の背中が近づく。綾埜は威嚇の意味も込めて簪を軽く掲げ、そして。

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