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魂の羽化師は夢を斬る 平安鎮蝶譚  作者: 平本りこ
二章

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5 浄蝶祭を騒がせる者①

「まあ。まあまあまあ! 何て綺麗なのかしら」


 七つ年長の姉である早来埜(さきの)が、感動に目を潤ませながら、胸の前で手を握り合わせている。


 大晦日。日が落ちて、夜の闇が篝火の朱色に揺れている。新しい年がすぐそこに近づき都中が浮き足立つ中、内裏では浄蝶祭(じょうちょうさい)が執り行われようとしていた。


 今宵、一年以上供養された蛹石が焚き上げられ、浄化させられることになる。無光堂から運ばれてくる蛹石は、もうしばらくで、今年の蝶門(ちょうもん)である西徳門(せいとくもん)へと達するだろう。


 その西徳門近くの殿舎で身支度を調えた綾埜(あやの)は、引きつる頬に辛うじて笑みを浮かべた。


「ありがとう、お姉様」


 ずっしりとのしかかるのは、不安ばかりではない。衣装が、たいそう重たいのだ。


 蛹石(さなぎいし)の発する光の色であり、羽化師の象徴である竜胆色(りんどういろ)を基調に濃淡の衣を重ね、結い上げた頭髪には珠や銀細工を挿している。少し頭を傾ければ、慣れない重量感に首が折れそうだ。


(供養された蛹石の焚き上げを補佐するだけなのに、どうしてこれほど着飾らなければいけないのかしら……)


 うんざりとして心の中でぼやいた綾埜の気など知らず、早来埜はいよいよ目頭に玉となった涙を指先で弾き、洟をすする。隣に座る夫の橘晴成(たちばなのはるなり)が、なぜかおろおろとしている。早来埜のあれは、感涙なのに。


「お父様とお母様が生きておられたら、どんなにお喜びかしら」


 十年以上前に実母を亡くしてから、綾埜の庇護者となってくれた姉の早来埜。幼かった妹の晴れ姿に、感動はひとしおらしい。


 一年半ほど前には父も蝶になり、姉一家だけを身内として暮らす綾埜が、孤独も覚えず、立派な羽化師になる夢に向けて邁進できるのは、姉と姉婿のおかげでもあるのだ。そんな早来埜が大袈裟に涙を流すのがむず痒く思え、綾埜はあえて軽い調子で言った。


「でも、全身重たいわ」

「何を言うの。宮仕えの女房の方が倍ほどもたくさん重ね着るのよ」

「羽化師になってよかった」

「もう、この子ったら。こんなに美人なのだから普段から着飾ってくれたらいいのに。ねえ、殿」

「ああ、本当に。とにかく、綾埜が立派になって私も鼻が高いよ」

「大袈裟ですよ。まだ学生(がくしょう)だし……それに、全部お義兄様とお姉様のおかげですから」

「綾埜……この子は、本当に……」


 ずずず、と鼻が鳴る音すらもどこか上品なのだが、妹のこととなると自分を見失いがちな早来埜は、どこか激しさも持ち合わせた女人である。実際、綾埜が父親に感化されて羽化師を目指し始めた時分には、何とか思い留まらせようとして、昼夜泣き叫んだ過去もある。


「羽化師として初めての大きな行事ね。どうか、つつがなく終わりますよう。ぐすっ」 


 手を合わせ成功を祈ってくれる早来埜の姿に感化されたのか、綾埜は羽化師になることを反対されていた時期の姉の姿を思い出した。


 そもそも、姉の心配はもっともなことなのだ。


 良家の娘が進んで御簾の外に出て男性や庶民と一緒に働くなどはしたない、というのが貴族社会の認識である上に、羽化師は日々、命の危険にさらされる仕事でもある。年に数名とはいえ、蝶夢(ちょうむ)の中から戻ってこられなくなり、魂を失った肉体がそのまま鼓動を止めてしまう事故も発生している。


 だから、幼き日の綾埜が、意気揚々と羽化師になる夢を語った時、早来埜は開口一番で翻意させようとした。


 幼少期より頑固な性格だった綾埜はもちろん受け入れず、姉妹は口をきかなくなった。そうして数日。先に耐えきれなくなったのは、綾埜を溺愛してくれている姉の方だった。書物と向き合っていた綾埜に大泣きしながら抱きつくと、ひたすら詫びの言葉を繰り返したのだ。


 綾埜も姉にはたいそう懐いていたので、邸宅で姿を見ても気づかないふりをして回れ右をしたことや、姉の唐菓子を勝手につまみ食いしたことを謝った。


 早来埜は、妹の子供じみた仕返しにはまったく気づいていなかったらしく「まあまあ」と目を丸くしたが、怒りを見せることなく綾埜を抱きしめて、二人は仲睦まじい姉妹に戻ったのだった。


 早来埜としては、綾埜が大きくなり様々な事柄が見えるようになれば自ずと、羽化師になる気などなくなると考えていたのだろう。だが想定に反し綾埜は、父の書庫に入り浸り羽化術を学ぶばかりで同世代の姫君たちとの歌合にも時々しか参加しない。


 徐々に危機感を募らせた早来埜は、妹が正式に魂蝶寮の学生になる試験を受けると決めた時、再び半狂乱になって泣き叫んだ。


 当時存命だった父が諭さなければ、姉妹の間には未だ確執があったかもしれない。


 このような過去があったものの、いざ綾埜が魂蝶寮(こんちょうりょう)に入ると、もう応援するより他ないと割り切ったのだろう。早来埜は援助を惜しまず、いつも綾埜を気にかけて、背中を支え、時には後押ししてくれる。そんな早来埜のことを、綾埜は誰よりも大切に思っていた。


「ああ、早来埜、泣かないで。君の涙はまるで志摩の白珠のように美しいけれど……おお、だめだ。一首贈りたくなってきた」

「まあ。殿ったら」

「……私、そろそろ行きますね」


 いつも通り、仲睦まじい。夫妻が二人の世界に入ってしまうのはもう見慣れたもので、綾埜は顔色も変えずに一礼して殿舎を辞した。


 晴成と早来埜は浄蝶祭に出席するわけではなく、羽化師の親族として、綾埜の身支度などを補佐するためにきてくれただけである。やはり我が子が独り立ちでもする気分でいるのだろう。


 過保護だな、と思いつつも、胸の奥がぽうっと熱くなった。

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