第四話
緑の繁る森の奥深く、ひっそりと佇む小さな家。丸太を切り出して建てられたログハウスの前庭には季節を問わず色とりどりの花が咲き、裏庭には薬草や何種類かの野菜が植えられている。
中に入れば素朴ながらも味わいのある家具が置かれ、姉自らが丁寧に作ったファブリックが彩りを添える。
春も夏も秋も冬も、帰ってくれば必ず「おかえり」の言葉が聞こえた温かい家。自分が帰るべき、帰りたい家。その家は---もうない。
* * *
ぼんやりと天井を見上げながら、ロウは自分が泣いているのに気が付いた。切なさで胸が張り裂けそうになりながら、しかしどうして泣いているのか分からずゆっくりと思い出そうとする。
「・・・っ!!」
次の瞬間、ロウは勢いよく起き上がろうとした。が、ズキン!と太腿に走った痛みに悶絶し、うずくまる。息を詰め、痛みを堪えながらようやく周りに気を配れるようになると、自分が清潔に整えられた寝台に寝かせられていたのに気が付いた。
「ここ、どこだ?」
(確かオレは撃たれたはず)
あいつを殺そうと変身し、飛びかかったことまでは覚えている。その後衝撃が走り、一気に意識が遠くなり、(あぁ、死ぬんだな)と思った。憎いあの男を殺すことが出来なかったのが悔しくはあったものの、それ以上に感じていたのはノアに置いて行かれないという安堵感だった。それなのに、なぜオレは生きているんだろう。
一人だけ残されてしまったことに呆然とした。
どれくらいぼんやりとしていたのか、ガチャリと部屋の扉が開いた音にロウはビクリと体を揺らした。
「気が付いていたのか。痛みはどうだ?痛み止めもそろそろ切れている頃だと思うんだが」
入ってきたのはあの男の屋敷で会ったレグルスという男だった。
「・・・オレはなんで生きているんだ?撃たれたはずだろ?」
「お前に向けたのは麻酔弾だ。ただ眠るだけだが、弾が当たった傷はすぐに治るものじゃないからな。具合が悪いところがあるなら医師を呼ぶが、どうだ?」
「・・・なんでオレを助けた。オレはノアのいない世界なんか意味がないのに!あのまま、あいつを殺して死んでも良かったのに!」
勢いのある言葉とは裏腹に、ロウの瞳は迷子の子供のように不安で揺れていた。一人残されてしまったこの世界で、この先どうすればいいのか分からず途方にくれた目をしていた。
あの男を殺したいという気持ちはもちろんある。だが他人によって突然断ち切られてしまった復讐は勢いを無くしてしまった。だからといってこのまますんなりと諦めることは、自分で自分が許せない。失ってしまったのは何よりも大事なたった一人の家族なのだから。
そんなロウを見ながらレグルスは内心ため息をついた。これではまともな話も出来ない。「少し待ってろ。いいか、動くなよ」そう言うと部屋を出て行った。
レグルスが出て行った扉をじっと見ながら外の気配を探った。何か武術を嗜んでいるのだろう。薄そうな扉の向こうを歩くレグルスの足音はしなかった。銃の腕も確かで状況判断も優れていそうだ。
(軍人?でもちょっと違う)
結局ここがどこなのか分からず、レグルスが誰なのかも分からなかった。ノアの遺体はどうしたのだろう。あの男は助かったのか。
疑問に答えてくれたはずのレグルスは居なくなってしまい、ロウはどうしたらいいのか分からず、取りあえず寝台を抜け出した。足の怪我はゆっくり動けば問題なさそうだった。もう少しで扉に手が掛かるというその時。
---コンコン
ノックする音がしてカチャリと扉が開いた。そして、
---ガンッ!!
「あっ、ごめん!」
「~~~~っ!!」
扉は部屋の内側に開いた。
ノックはされたものの、結果的に取っ手を掴むタイミングを外されてしまったロウは為すすべもなく扉に顔をぶつけてしまった。
足の痛みも忘れ顔を押さえてうずくまるロウに慌ててルカがしゃがみこむ。
「本当にごめんね!まだ起きれないと思ってたから。大丈夫?」
覗き込んでくるが返事が出来るはずもなく、ロウはただ痛みに耐える。
(鼻が痛い)
ようやく落ち着いてきてもそうそう治まりそうもなかった。しかしこのままうずくまっているわけにはいかない。
「だ、大丈夫」
「ちょっと見せて。・・・うん、骨も大丈夫だし、鼻血も出てないね。本当にごめんね」
「・・・うん」
ルカがあまりに申し訳なさそうに謝るものだから責めることも出来ず、赤い鼻のままロウは気まずそうに立ち上がった。
「もう動けるの?」
「・・・うん」
「そっか、良かった。念の為傷の様子を見たいからベッドに戻ってくれる?色々聞きたいことはあるだろうけど話はそれからね」
出会い頭の事故ですっかり毒気を抜かれてしまったロウは大人しくルカの言葉に従った。傷口に薬を塗った布を当て包帯を巻き直しつつ、ルカが話し始める。
「自己紹介がまだだったよね。私はルカ。よろしくね。君はロウでいいのかな?」
「うん」
「取りあえず初めに話しておかなきゃいけないことがあるんだけど。君のお姉さん---ノアのこと。命は助かったわ」
「え・・・嘘。本当に?生きてるのかっ!?」
「落ち着いてちょうだい。後で会わせてあげる。でも、まだ目を覚まさないわ。ノアは薬を使われていたの。君も部屋の中で甘いお香の匂いを嗅いだでしょう?『常闇の夢』というその薬は媚薬になるけど常習性があって、突然多くを摂取すると死に至ることもある。この国では取り締まりの対象になってるはずだけど、どこからか密輸したみたいね。ノアはギリギリのところだったわ。まだ薬が抜けきってないから、目が覚めるのにもう少しかかるの」
「じゃあ、ノアは本当に」
「大丈夫、君のお姉さんは戻ってきたよ」
安心させるように言葉をかけると、張りつめていたものが緩んだようにロウの目から涙がこぼれる。反対を向きながら嗚咽を漏らすロウをルカは優しく撫で続けた。
しばらくして落ち着いたのを見計らったかのように突然扉が開けられた。
「ルカ、いいか?」
「レグ、ノックくらいしてちょうだい」
「次からな。おい、ロウ。ルカは俺のだからな。あまりくっつくんじゃない」
「・・・レグ」
「ロウ、話は聞いたか?落ち着いたなら姉さんのところに連れて行くが、どうだ?」
「行く!!」
「来い、こっちだ」
グイッと涙を拭ったロウの目には光が灯っていた。
* * *
「ノア!」
寝台に横たわったノアの姿を目にしたとたん、足の痛みも忘れたように駆け寄った。
「ノア・・・」
身じろぎ一つせず眠り続けるノアに触れようとして、もしかしたらという思いが湧き起こった。躊躇う指先は空をさまよう。
「大丈夫、手を握ってあげて」
ルカに励まされそっと握った手は柔らかく温かかった。
「ノア・・・ノア、良かった。無事で」
「早ければ今夜にでも目を覚ますと思うよ」
「ありがとう、ございます」
「いいの。---それでね、この後どうするの?帰る宛はあるの?」
「・・・あいつに家を燃やされたから、もうない」
「そっか。じゃあ、うちに来ない?」
「えっ?」
「うちはちょっと変わっていてね。訳ありの子供たちを孤児院で預かっているの。小さい子の世話をしてくれる人を探していたんだけど、どうかな?」
「え、でも、オレが人狼だっていうのを知っているよな」
「もちろん、見たし知っているよ」
「それでもいいのかよ?」
顔色をうかがうロウの目は不安に満ちていた。それはこれまでの経験を物語っていて、どれだけ拒絶されてきたのかを思うとルカは胸が痛くなる。にこりと笑う笑顔は慈しみに溢れていた。
「大丈夫。訳ありの子供たち、と言ったでしょ。君のような異能を持つ子も、親元に居られず捨てられてしまった子もいる。傷付いた子供たち。だからこそ皆受け入れてくれるよ」
「そんな・・・」
「すぐにじゃなくていいよ。ノアとも話し合ってゆっくり考えてみてちょうだい」
「・・・わかった」
もう少しノアの側に居たいというロウに、怪我に障るから早めに戻るよう告げると、ルカとレグルスは部屋を後にした。
* * *
「あいつ、うちに来るか?」
「そうだね。---来るよ」
ノアの眠る部屋を出て階下に向かう途中、尋ねたレグルスにルカはきっぱりと答えた。
「そうか。ルカのカンは当たるからな。楽しみだ」
「珍しいね。気に入ったの?」
「まぁな。鍛えたらものになりそうだ」
楽しそうに口の端を持ち上げたレグルスは本当に珍しい。だがその笑みの裏に何を考えているのか想像が付いて、苦笑いをしてしまった。
「手柔らかにね。---ワーグサス=ゴードンの方はどうなったの?」
「警備隊に引き渡した。俺の名を出してあるから、賄賂も利かないし叩けばボロボロとホコリが出てきそうだ」
「そう。そっちは任せるよ。私はちょっと『常闇の夢』の仕入販売経路を探ってみる。なんか気になるのよね」
「またカンか。お前のカンは恐ろしく当たるから邪魔はしないが、商会の頭脳が動き回るんじゃない。もっと下を使うことを覚えろ。なんならお前の家族を見習って少しは手を抜け。抱え込みすぎだ」
どちらかというと無口なレグルスがとうとうと言葉を重ねるのは、ほぼルカに対してだけだ。心配してくれているのは分かるが、いかんせんこれは性分だ。確実性のないカンに従い商会の社員たちを振り回すのはルカにとって少々気が重い。だがレグルスは調べたり確認したりするのも仕事のうちと言い切った。
「それにお前のカンなら商会の皆が信用しているだろう。"アルカーク家の良心”にして"未来を見通す女神”」
「女神なんて大それたものじゃないよ。ただカンがいいだけじゃない」
「そのカンに助けられたのは一度や二度じゃない。---本当に、ルカには感謝してる」
「レグ・・・」
立ち止まったレグルスに引き寄せられるようにルカは近づいた。視線と視線が絡み合い、ルカは愛しい人の瞳の中にある狂おしいほどの情熱を見つけてしまった。
「ルカ・・・」
そっと抱きしめてくる温かい腕。日頃鍛えていることが分かるしなやかな筋肉の付いた腕の中は、何者からも護ってくれるという安心感に満たされる。同時に早くなる鼓動さえも心地よい。
そっと上を向くと、ルカだけが知る甘い微笑みと共にとろけるような口付けが降ってきた。
「二人がうちの家族になればいいね」
「そうだな」
微笑み合い、どちらからともなくもう一度唇を重ね合った。
---うちにおいで。家族になろう。みんな待ってるから。みんなで守るから。みんなで愛してあげるから。だからうちにおいで。うちに帰っておいで。




