第三話
「ここか?」
「うん、そう。たぶんこの部屋だと思う」
何の変哲もない木製の扉を前に、ルカとレグルスは立ち止まった。
* * *
商会支部を出て北に向かうと、目指していた屋敷はすぐに分かった。街中の野犬があちこちをうろついていたのに対し、屋敷の敷地を囲むようにしている野犬は動かずじっと建物を見据えていた。まるでこの屋敷を見張るようにしている野犬を前に、ルカは胸をざわつかせる何かを感じ屋敷に侵入することを決めた。
ジャリ、と地面を擦る音が聞こえたのかピクリと野犬の耳が動く。野犬の群れから一斉に見つめられてルカは心臓が跳ねるのを感じるが、街中で襲い掛かられた時のような敵がい心の様なものは感じられず、むしろ整然と揃った一種軍隊のようなイメージを持った。
「中に入れてもらえるかな。何があるのか分からないけど、悪いようにはしないよ」
群れの中からのっそりと現れたひときわ大きな灰色の野犬に向かってルカは声をかけた。直感で、この場を仕切っているボスがこの灰色の野犬だというのが分かった。しばし見詰め合う。やがて灰色の野犬がクイ、と頭を振ると先に立って歩き出した。
「ついて来い、ってことかな?」
「ああ」
連れて来られた先には小さな扉があった。周りは人気がなかったが、常時使用されているようで人の気配がそこここに感じられた。
「ここって裏口?」
「たぶんそうだろう」
「鍵は?」
「大丈夫、すぐに開けられる」
「そっか、じゃあここから入れるね。---ねぇ、君。信じてくれてありがとうね」
扉の鍵を針金一本であっさりと開錠してしまったレグルスに内心(相変わらず器用だなぁ)と思いつつ、ルカは灰色の野犬にお礼を言った。今までのこの野犬の行動から、普通の犬以上の知性を感じられたのは気のせいではないだろう。ならば、こちらも礼を失してしまうわけにはいかない。
「行くぞ」
「うん。ありがとう、また会えたらいいね。じゃあね」
レグルスに呼ばれ振り返りざま思わず灰色の野犬の頭を撫でてしまうが、嫌がってはいないようだから良しとしよう。扉を閉める前、もう一度その野犬に手を振ると尻尾がふりふりと揺れているのが見えた。
(クールっぽいのに、尻尾振ってるし。なんかかわいい!)
浮かび上がってくる笑いを堪えきれず、ルカはクスクスと笑ったのだった。
* * *
ガチャリ、と扉が開いた。
鍵は掛かっていない。もしや勘が外れたか。とも思ったが、扉を開けた瞬間、中から溢れてきた空気が当たりだと告げる。血と獣と、それから微かに感じる甘ったる香の匂い。どこかで嗅いだことのある香の匂いを過去の記憶の中から掘り当てようとして、すぐに思い出した。
(この匂い・・・。なるほど、そういうことか)
ルカは一人納得して扉の先にある光景に目を向けた。
その部屋はどこにでもある客室だった。寝台、ソファにテーブル、造り付けのクローゼットに物書き用の小作りな机。壁には大きな湖水地方の絵が飾られ、端に寄せられたワゴンには水差しやワインが置かれていた。この程度の屋敷には相応の客室。だが、その室内は異様な雰囲気に包まれていた。
壁にぴたりと張り付いた男の周りを半円状に野犬が取り囲み、今にも襲い掛かりそうな勢いで低くうなり声をあげている。そこから少し離れて、一人の少年がじっと男を睨み付けていた。
奥の寝台には半裸の少女がぐったりと横たわり、ピクリとも動かない。---状況は明らかだった。
「そこまでよ、少年。手を引きなさい」
「・・・誰?」
「あたしはルカ。あの子達はあなたの友達ね?引かせてちょうだい」
「助けてくれ!」とわめく男にはちらりと視線を向けるだけで、ルカは少年に一歩近づいた。12、3歳程に見えるその少年の瞳はきれいな若葉色。光を浴びればきっときらきらと輝くのだろう。だが今、その瞳は暗く濁っていた。それを感じ痛む胸を堪えながら、ルカは毅然とした態度で少年に臨んだ。だが---
「いやだ。あいつを絶対許さない。殺してやる」
少年の目は復讐にぎらぎらと輝き、今にも感情が爆発しそうなほど張り詰めているのが分かる。もう一歩歩み寄ろうとしたその時、少年が叫んだ。
「喰い殺せ!!」
命令に従うように野犬の群れが男に襲いかかった。素早く銃を取り出したレグルスがパン、パン、と群れに向かって銃を放つが、6発装填でしかないため野犬全てを眠らせることができない。
チッ、っと舌打ちをすると弾を装填し直す。だが、一際大きな悲鳴があがった後、それきり男の声が聞こえなくなった。
「退きなさい!」
シェリアが男に向かって駆け寄りながら命令する。少年の命令を完遂したためかシェリアの声に従ったのか、少なくなった野犬の群れは大人しく道を開けた。
「お前、名は?」
男の傍らに膝を付き、必死にあちこちを確認している様子のシェリアを横目で見ながら、ふとレグルスが声を掛けた。途中だった銃弾の装填を先ほどは違いゆっくりと丁寧に行う。
「・・・ロウ」
「俺はレグルスだ。あの子はお前の姉か?」
「そうだよ。たった一人の家族だった。ずっと二人で生きてきたんだ。なのに・・・」
憎しみのこもった目で男を睨みつける。
「あいつがノアを無理やり連れて行ったんだ!」
「それで、追いかけてきて殺した、と」
「あんな奴、何度殺しても殺したりない。死んで当然だよ」
吐き捨てるように放った言葉を聞きながら、レグルスは寝台に近づく。仰向けに横たわった少女の顔は青白く、ピクリとも動かない。せめてシーツで体を包んでやろうと少女の体に触れようとして、レグルスの手が一瞬止まる。
再びゆっくりと手を伸ばした時、ルカのほっとしたような声が聞こえた。
「良かった、なんとか助かりそう」
「え・・・?」
野犬に襲われた男の怪我を確かめつつ、ルカは出血の酷いところには止血を施す。影になりはっきりとは分からないが、ルカの言うとおり男の命は助かりそうなのだろう。
死んでいない---溢れんばかりの憎悪は過ぎ去り、ぼんやりと立ち尽くしていたロウの目に再びギラギラした光が宿った。
「だったら今度こそ!」
そう叫んだとたん、ロウの体がググッと縮んだかのように小さくなり次の瞬間爆発的に大きく膨らんだ。
そこに佇んでいたのは---二足歩行の狼。
人間時の髪の毛と同じ焦げ茶色の毛並みを持つ人狼は、しなやかな筋肉に覆われた足のバネをグンとたわませ一気に男に飛びかかった。自分の手で男の息の根を止めることに、躊躇いなど湧かなかった。
---パン!!
緊迫感に満ちた部屋に乾いた音が響く。いつの間に抜いたのか寝台の上という不安定な場所からレグルスの銃は人狼に向けられており、銃口から硝煙が立ち上り、消えた。
ドサッと人狼の体が地面に落ちる。
「・・・っぐ!」
「少し眠るだけだ、安心しろ」
衝撃と急激に襲ってくる眠気であっという間にうごけなくなった。それでも男への復讐の念は止まらず、自由の効かない体で這うようにもがいた。
(ちくしょう!動けよ、動け!!)
不甲斐ない自分への悔しさで涙が滲む。あと一歩だったのに、あの男にとどめをさすことが出来なかった。
「・・・ごめん、ノア」
守ることが出来なかった。何よりも誰よりも大切なたった一人の家族。ふわりと体を包むあたたかな温もりを感じながら、ロウは眠りに落ちていった。人間の姿に戻ったまだ幼さの残る顔に一筋の涙が伝ったのは、安堵感からだったのかもしれない。
ロウ 12歳
人狼であるが故に、人と付き合うのが苦手。唯一の家族のノアを大事にしている。
ノア 16歳
4年前に両親を流行病で亡くしてから懸命にロウを育ててきた健気な娘。儚げな容姿を持つ。




