↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦艦大和は、歴史を書き換えられるか。 ~未来を知る帝国海軍士官の決断~  作者: 春野ケイ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
26/33

第26話 司令部からの来訪

 昭和十六年十二月二十五日


 柱島泊地


 朝の海は、昨日よりも澄んでいた。


 冬の空は高く、雲の切れ間から淡い陽射しが海面へ落ちている。


 大和は錨を下ろしたまま、静かにその時を待っていた。


 いつもと変わらない朝。


 だが、艦内の空気は少し違っていた。


 昨日、艦長から伝えられた。


 司令部から人が来る。


 誰が来るのか。


 何を見に来るのか。


 それだけは、まだ誰にも詳しく知らされていなかった。


 秋月誠は朝の点検を終え、砲術科の持ち場から戻ってきたところだった。


 「少尉。」


 村上兵曹長が声を掛ける。


 「はい。」


 「今日、司令部から来る人間ですが。」


 「何か聞いていますか。」


 「何も。」


 村上は首を横に振った。


 「ただ、艦長が朝から妙に忙しそうです。」


 秋月は苦笑する。


 「それは気になりますね。」


 「ええ。」


 二人が通路を歩いていると、前方から伝令が走ってきた。


 「秋月少尉!」


 「はい。」


 「艦長室へ来るようにとのことです。」


 秋月は足を止めた。


 「今ですか。」


 「はい。」


 村上が秋月を見る。


 「どうやら、来たようですな。」


 秋月は頷いた。


 艦長室へ向かう。


 扉の前には、すでに数名の士官が集まっていた。


 そして、その中に見慣れない海軍士官が一人いる。


 濃紺の軍服。


 年齢は四十代半ばほど。


 胸元には複数の略綬が並んでいた。


 ただ者ではない。


 秋月はそう感じた。


 男と目が合う。


 「秋月少尉か。」


 「はい。」


 「昨日の訓練記録をまとめたのは君だな。」


 秋月は一瞬だけ戸惑った。


 「……はい。」


 男はそれ以上何も言わなかった。


 「入れ。」


 艦長の声が響く。


 全員が艦長室へ入った。


 艦長は机の前に立ち、司令部から来た士官を紹介する。


 「第一艦隊司令部から来られた、――参謀だ。」


 名前を告げられたが、秋月の頭には残らなかった。


 それほど緊張していた。


 参謀は机の上に一冊の記録簿を置いた。


 「昨日の訓練記録を見せてもらった。」


 秋月は姿勢を正す。


 「はい。」


 「通信命令を受けてから、射撃準備が整うまでの時間。」


 参謀が記録簿を開く。


 「二分四十八秒。」


 ページをめくる。


 「二分三十一秒。」


 さらにめくる。


 「二分二十二秒。」


 そして最後のページ。


 「命令変更時、三十秒の遅れ。」


 参謀は顔を上げた。


 「面白い数字だ。」


 秋月は黙っていた。


 褒められているのか。


 それとも試されているのか。


 判断がつかない。


 参謀は続ける。


 「これまで、この種の訓練では結果だけが報告されることが多かった。」


 「射撃準備完了。」


 「通信良好。」


 「異常なし。」


 「そういった報告だ。」


 「はい。」


 「だが君は、そこへ時間を入れた。」


 秋月は小さく頷いた。


 「時間を測れば、どこで遅れているのか分かると思いました。」


 参謀は記録簿を閉じた。


 「その通りだ。」


 短い言葉だった。


 それだけで、室内の空気が変わった。


 「軍艦は、大砲だけで戦うものではない。」


 参謀は海図へ目を向ける。


 「命令を受ける。」


 「伝える。」


 「動く。」


 「そして、また報告する。」


 「その一連の流れが速く、正確でなければ意味がない。」


 秋月は黙って聞いていた。


 自分が考えたことと、ほとんど同じだった。


 「今回の記録は、司令部でも使わせてもらう。」


 「はい。」


 「ただし。」


 参謀の声が少し低くなる。


 「一隻の艦だけで終わらせるつもりはない。」


 秋月が顔を上げた。


 参謀は続ける。


 「同じ方法で艦隊全体の訓練を評価できないか検討している。」


 室内が静かになった。


 それは昨日までとは明らかに違う話だった。


 秋月の小さな提案が、大和一隻の訓練から艦隊全体へ広がろうとしている。


 「ただし、まだ決定ではない。」


 参謀は釘を刺した。


 「現場で使えるかどうか、もう少し確認する必要がある。」


 「分かりました。」


 秋月が答える。


 参謀は頷いた。


 そして、今度は別の書類を取り出した。


 「それとは別に、もう一つ話がある。」


 秋月の胸に緊張が走る。


 「大和の今後の訓練についてだ。」


 艦長が海図を広げる。


 そこには瀬戸内海から外へ伸びる航路が描かれていた。


 「近いうちに、泊地周辺だけではなく、より広い海域での訓練を行う。」


 「長時間の航海を含めた総合訓練だ。」


 秋月は海図を見つめる。


 「いつ頃になりますか。」


 「まだ確定していない。」


 参謀が答える。


 「だが、準備は始めておけ。」


 「航海科だけではない。」


 「機関科、砲術科、通信科、応急部署。」


 「すべてだ。」


 艦長が頷く。


 「了解しました。」


 参謀はしばらく海図を見つめていた。


 そして、ふと秋月へ視線を向ける。


 「君は、この艦をどう見ている。」


 突然の質問だった。


 秋月は言葉に詰まった。


 どう見ている。


 未来を知る者としてなら、答えは簡単だった。


 世界最大級の戦艦。


 日本海軍を象徴する艦。


 だが、それを今ここで言うわけにはいかない。


 秋月は慎重に答えた。


 「まだ完成していない艦だと思っています。」


 参謀の眉がわずかに動く。


 「完成していない?」


 「艦そのものではなく、運用する人間の方です。」


 秋月は続けた。


 「大和は新しい艦です。」


 「だからこそ、どんな状況で何ができるのか、乗組員自身がまだ十分に分かっていません。」


 「訓練を重ねて、艦と人間の両方を知る必要があると思います。」


 参謀は黙っていた。


 やがて、小さく頷く。


 「その通りだ。」


 その言葉に、秋月は少し驚いた。


 「巨大な艦を造ることと、それを使いこなすことは別の話だ。」


 参謀は海図を畳んだ。


 「だからこそ、今の訓練が重要になる。」


 そして立ち上がる。


 「大和がどこまでできる艦なのか。」


 「それを、これから見せてもらう。」


 敬礼が交わされる。


 参謀が艦長室を出ていく。


 扉が閉じた。


 室内に静けさが戻る。


 秋月はしばらく動かなかった。


 村上が小さく息を吐く。


 「随分と見られていましたな。」


 「そうですね。」


 「少尉の記録も。」


 秋月は手元の記録簿を見る。


 たった数枚の紙。


 そこに書かれた数字。


 それが、思っていた以上に大きな意味を持ち始めている。


 秋月はふと窓の外を見た。


 冬の海。


 その向こうに、遠く島影が浮かんでいる。


 これまで大和は、自分たちのために訓練していた。


 自分たちが、この新しい艦を理解するために。


 だが、これからは違う。


 大和そのものが、艦隊から見られる。


 何ができるのか。


 何ができないのか。


 そして。


 この艦を、どこまで戦力として使えるのか。


 秋月は胸の奥に、かすかな不安を覚えた。


 未来の歴史を知っている。


 大和が戦場へ出ることも知っている。


 それでも、今の大和がどんな艦になるのかまでは分からない。


 自分の行動によって変わるのなら。


 この先の歴史は、もう知っているものではなくなる。


 その事実に、初めて現実味を感じた。


 「少尉。」


 村上が声を掛ける。


 「はい。」


 「午後の訓練、もう始まりますよ。」


 秋月は我に返った。


 「……行きましょう。」


 二人は艦長室を出る。


 通路の向こうでは、乗組員たちがそれぞれの持ち場へ向かっていた。


 昨日と同じ光景。


 だが、秋月にはもう同じには見えなかった。


 大和はまだ、始まったばかりなのだ。


 そして。


 この艦が何になるのかを決めるのは、未来に残された記録だけではない。


 今、この艦にいる人間たちなのかもしれない。


 秋月は砲術科の持ち場へ向かって歩き出した。


 その頃。


 艦長室に残された一枚の書類には、新たな訓練計画の案が記されていた。


 その航路は、これまでの柱島泊地周辺とは明らかに違っていた。


 大和が初めて、外洋へ向かうための準備だった。


 ――続く。


あとがき


今回は、秋月が昨日の訓練で行った小さな提案が、思いがけず司令部の目に留まる回でした。


歴史を大きく変えるのは、必ずしも大きな決断だけではありません。現場で誰かが「こうした方がいい」と考え、それが別の人間へ伝わる。その積み重ねが、やがて組織そのものを変えることもあります。


そして大和にも、次の段階が近づいてきました。


これまでの泊地周辺での訓練から、より広い海域へ。


ここから少しずつ、物語の舞台も大きくしていきます。


次回 第27話「外洋へ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。