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戦艦大和は、歴史を書き換えられるか。 ~未来を知る帝国海軍士官の決断~  作者: 春野ケイ


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第25話 艦長室

 昭和十六年十二月二十四日


 柱島泊地


 艦長室の扉を開ける。


 秋月誠は一歩中へ入り、姿勢を正した。


 「秋月少尉、参りました」


 艦長は机の上に置かれた書類から顔を上げた。


 「来たか」


 「はい」


 室内には艦長のほか、砲術長と航海科の士官が一人いた。


 誰も口を開かない。


 昨日までの訓練について話すだけなら、わざわざこの人数を集める必要はない。


 秋月は自然と背筋を伸ばした。


 艦長が一枚の書類を手に取る。


 「先ほど、司令部から追加の指示が届いた」


 「追加の指示、ですか」


 「ああ」


 艦長は書類へ目を落とす。


 「昨日から始めた総合訓練を、さらに続ける」


 秋月は黙って聞いた。


 ここまでは予想できた。


 しかし、次の言葉は違った。


 「ただし、訓練の目的が変わる」


 砲術長が口を開いた。


 「これまでは大和そのものの慣熟が中心だった」


 「これからは、艦隊の中で大和をどう動かすかを確認する」


 秋月の目がわずかに動く。


 艦隊運動。


 昨日の訓練でも、その言葉は出ていた。


 だが今回は、さらに踏み込んでいる。


 「具体的には?」


 秋月が尋ねると、艦長が海図を広げた。


 柱島泊地周辺の海域。


 そこへ複数の線が引かれている。


 「航海科には隊形変更を繰り返させる」


 「通信科には各艦との通信を想定した訓練を行わせる」


 「砲術科には、艦隊運動中の射撃準備を確認させる」


 「応急部署も、同時に動かす」


 秋月は海図を見つめた。


 それだけなら、艦隊訓練として理解できる。


 しかし、気になるものが一つあった。


 海図の端に、小さな数字が書き込まれている。


 秋月は目を細めた。


 「この数字は……?」


 艦長が視線を向ける。


 「訓練時刻だ」


 「夜間も含まれています」


 「はい」


 秋月の胸に、わずかな違和感が走った。


 夜間。


 新造艦。


 艦隊運動。


 通信。


 射撃。


 そして応急部署。


 単なる慣熟訓練にしては、要求が多い。


 「かなり実戦的ですね」


 思わず口にすると、砲術長が秋月を見る。


 「そう思うか」


 「はい」


 砲術長は少しだけ考えた。


 「俺も同じだ」


 その言葉に、秋月は顔を上げた。


 砲術長は海図へ視線を戻す。


 「戦争が始まった以上、訓練が厳しくなること自体は不思議ではない」


 「だが、竣工したばかりの艦に求める内容としては、確かに多い」


 艦長が静かに続けた。


 「だからこそ、今回の訓練結果は司令部へ詳細に報告する」


 「大和が何をできるのか」


 「何ができないのか」


 「そこを明確にする」


 秋月は黙って海図を見た。


 未来では、大和は巨大な戦艦として知られている。


 だが、この時代の大和は違う。


 まだ誰も、この艦が実戦でどこまで使えるのかを知らない。


 どれほど速く動けるのか。


 どれだけ正確に砲を扱えるのか。


 長時間の航海で何が起こるのか。


 艦隊の中で、どんな役割を担えるのか。


 すべてが手探りだった。


 その現実に、秋月は初めて気付いた。


 未来の大和を知っているからといって、今の大和を知っているわけではない。


 むしろ逆だった。


 自分は、この艦について何も知らない。


 知っているのは、その後に起きる歴史だけだ。


 「秋月」


 艦長の声で、我に返る。


 「はい」


 「一つ聞きたい」


 艦長がまっすぐ秋月を見る。


 「昨日の訓練で、通信の遅れを報告したな」


 「はい」


 「どう思った」


 秋月は少し考える。


 「実戦なら危険です」


 「どの程度だ」


 「数十秒の遅れでも、状況によっては致命的になると思います」


 艦長は頷いた。


 「そうだ」


 それだけ言うと、机の上の別の書類を手に取った。


 「だから、今日から通信と砲術の連携を重点的に見る」


 秋月は書類へ目を向ける。


 訓練項目の一つに、赤い線が引かれていた。


 ――通信命令受領から射撃準備完了まで。


 秋月の胸がざわつく。


 それは未来の記憶にはない。


 しかし、戦場を知っている者なら分かる。


 命令が届く。


 理解する。


 動く。


 砲を向ける。


 撃つ。


 その一つ一つに時間がかかる。


 そして、その時間を縮めることができれば、誰かの命を救えるかもしれない。


 秋月は書類から目を離さなかった。


 「何か意見があるか」


 艦長が尋ねる。


 秋月は迷った。


 未来を知っていることを話すわけにはいかない。


 だが、未来で見た戦場の光景から学んだことならある。


 航空機。


 艦隊。


 通信。


 そして、判断の遅れ。


 秋月は慎重に言葉を選んだ。


 「一つだけ」


 「言ってみろ」


 「通信の内容だけでなく、受信した時刻も記録した方がいいと思います」


 室内が静かになる。


 秋月は続けた。


 「命令が発せられた時刻と、各部署が受け取った時刻を比較すれば、どこで時間を失っているのか分かります」


 砲術長が眉を上げる。


 「なるほど」


 艦長も書類へ目を落とした。


 「続けろ」


 「そして、各部署が命令を受けてから準備を終えるまでの時間も記録します」


 秋月は海図へ視線を戻した。


 「一つ一つを数字にすれば、艦全体の動きが見えるはずです」


 しばらく沈黙が続いた。


 やがて艦長が頷いた。


 「面白い」


 「記録係を一人つけろ」


 「今日の訓練から試してみる」


 「はい」


 秋月は敬礼した。


 艦長室を出る。


 扉が閉まる。


 廊下へ出た秋月は、しばらくその場から動かなかった。


 自分から提案した。


 初めてだった。


 未来を知っているからではない。


 未来を知っている自分だからこそ気付けたことを、この時代で使った。


 それは小さなことだった。


 歴史を変えるほどではない。


 それでも。


 もし、この小さな積み重ねが誰かの生存につながるのなら。


 それだけでも意味がある。


 秋月は拳を軽く握った。


 「……これなら」


 言葉が漏れる。


 だが、その先は続かなかった。


 遠くで艦内ラッパが鳴る。


 午後の訓練開始を知らせる音だった。


 秋月は顔を上げる。


 考えている暇はない。


 秋月は砲術科の持ち場へ向かって歩き始めた。


午後の訓練が始まった。


 秋月は砲術科の持ち場へ戻ると、先ほど艦長室で受けた指示を村上兵曹長へ伝えた。


 「通信命令を受けてから、射撃準備が整うまでの時間を記録するそうです。」


 「時間を?」


 「はい。」


 村上は少し意外そうな顔をした。


 「面白いことを考えましたな。」


 「思いついただけです。」


 「思いついても、口に出さなければ何も変わりません。」


 村上は笑い、時計へ目を向けた。


 「やってみましょう。」


 砲塔内へ緊張が戻る。


 記録を担当する兵が、時計を手に持ち位置についた。


 秋月も伝声管の前に立つ。


 今日の想定は、昨日より複雑だった。


 艦隊運動中に敵艦を発見。


 その情報を受け、砲術科が射撃準備へ移る。


 実際に砲を撃つことはない。


 だが、それ以外は可能な限り実戦を意識した手順で進める。


 「各員、配置につけ。」


 村上の声が響いた。


 それぞれが持ち場へ入る。


 秋月は時計を確認した。


 やがて伝声管から声が届く。


 『敵艦発見を想定。射撃準備開始。』


 「受領!」


 秋月が復唱する。


 記録係の兵が時刻を書き留める。


 砲術科の各員が動き始めた。


 照準関係の確認。


 伝達。


 各装置の状態確認。


 一つずつ手順が進んでいく。


 「準備完了!」


 報告が上がる。


 記録係が時計を見る。


 「開始から二分四十八秒です。」


 秋月は記録用紙を覗き込んだ。


 二分四十八秒。


 数字だけを見れば、それほど長くは感じない。


 しかし、秋月は知っていた。


 戦場では、その二分四十八秒の間にも状況は変わる。


 敵が動く。


 味方が動く。


 距離が変わる。


 天候が変わる。


 そして、人間が一つ判断を間違える。


 「もう一度やります。」


 秋月が言った。


 村上が頷く。


 「了解。」


 二回目。


 三回目。


 同じ訓練を繰り返す。


 結果は少しずつ変わった。


 二分四十八秒。


 二分三十一秒。


 二分二十二秒。


 「かなり縮まりましたな。」


 記録係が驚いたように言う。


 村上は時計を見ながら答える。


 「慣れただけかもしれん。」


 「ですが、数字で見ると面白い。」


 秋月も記録用紙へ目を落とした。


 数字が並んでいる。


 たった数秒の違い。


 けれど、その数字を見れば、どこで時間がかかっているのかが見えてくる。


 「次は、途中で状況を変えます。」


 秋月が言った。


 村上が顔を上げる。


 「状況を?」


 「はい。」


 「一度準備に入ったところで、別の命令を受けたらどうなるか確認したいです。」


 村上は少し考えた。


 そして頷いた。


 「やってみましょう。」


 訓練が再開された。


 最初の手順は順調だった。


 だが、射撃準備へ入った直後。


 別の命令が入る。


 『目標変更。右舷側へ警戒を移せ。』


 「了解!」


 秋月は復唱した。


 しかし、そこで一瞬の停滞が生まれた。


 すでに始めていた作業を止める者。


 新しい命令へ移ろうとする者。


 どちらを優先すべきか確認する者。


 わずかな混乱が起きた。


 「待て!」


 村上の声が響く。


 「一度整理しろ!」


 全員が動きを止める。


 数秒後、手順が再び組み直された。


 「再開!」


 今度は先ほどより速かった。


 訓練が終わる。


 記録係が用紙をまとめた。


 「途中で命令が変わった場合、最初の準備から比べて約三十秒遅れています。」


 秋月は数字を見つめた。


 三十秒。


 その差は小さく見える。


 だが、今日の訓練で分かった。


 問題は砲術科の能力だけではない。


 命令が変わった時に、誰が何を止め、誰が何を続けるのか。


 その基準が曖昧だった。


 秋月は村上へ向き直る。


 「ここを整理した方がいいですね。」


 「ええ。」


 村上も頷く。


 「実戦では、敵はこちらの都合を待ってくれません。」


 「その通りです。」


 訓練終了のラッパが鳴った。


 乗組員たちが装備を戻し始める。


 秋月は記録用紙を手に取った。


 今日一日で分かったことは多かった。


 そして同時に、自分が何も知らなかったことも分かった。


 未来の歴史には、大和がどの海で何をしたのかは残っている。


 だが、その一つ一つの出来事へ至るまでに、どれだけの訓練が行われたのか。


 どんな小さな問題があったのか。


 誰がそれを見つけ、どう改善したのか。


 そんなことは、ほとんど記録に残らない。


 だからこそ。


 秋月は記録用紙を見つめた。


 この数字も、無駄ではない。


 夕方。


 訓練結果をまとめた秋月は、村上とともに艦長室へ向かった。


 扉を叩く。


 「入れ。」


 秋月が中へ入る。


 「報告します。」


 記録用紙を机へ置いた。


 艦長は紙へ目を落とす。


 最初の数字。


 繰り返した後の数字。


 そして、途中で命令が変更された時の記録。


 艦長は黙って最後まで目を通した。


 「……なるほど。」


 短い言葉だった。


 だが、その目は真剣だった。


 「この記録は残す。」


 「はい。」


 「明日から、他の部署でも同じ方法を試してみろ。」


 秋月は顔を上げた。


 「他の部署でも、ですか。」


 「ああ。」


 艦長は記録用紙を指で軽く叩く。


 「艦全体の動きを数字で見る。」


 「それができれば、訓練の意味も変わる。」


 秋月は敬礼した。


 「了解しました。」


 艦長は続けた。


 「それと、もう一つ。」


 秋月が姿勢を正す。


 「明日、司令部から人が来る。」


 「司令部から?」


 「今回の訓練結果を直接確認するそうだ。」


 秋月は黙った。


 司令部の人間が、わざわざ大和まで来る。


 それだけで、今回の訓練が単なる慣熟訓練ではないことが分かる。


 「何か問題でも?」


 秋月が尋ねる。


 艦長は首を横に振った。


 「まだ分からん。」


 「だが、戦争が始まったばかりのこの時期に、新造艦の訓練をこれほど細かく見に来る。」


 「私も少し気になっている。」


 秋月は無言で頷いた。


 艦長室を出る。


 廊下を歩きながら、村上が口を開いた。


 「少尉。」


 「はい。」


 「明日は忙しくなりそうですな。」


 「そうですね。」


 秋月は歩きながら、先ほどの言葉を思い返していた。


 司令部から人が来る。


 なぜ、このタイミングなのか。


 何を見に来るのか。


 そして。


 大和に何をさせようとしているのか。


 まだ分からない。


 だが、確かなことが一つある。


 大和はただ訓練しているだけではない。


 何かを求められ始めている。


 秋月は足を止め、舷窓の向こうへ目を向けた。


 夕暮れの柱島泊地。


 静かな海に、大和の巨体が浮かんでいる。


 その姿を見つめながら、秋月は思った。


 この艦は、これからどこへ向かうのだろう。


 そして、自分はどこまで歴史を変えられるのだろう。


 答えはまだない。


 ただ、明日になれば一つの答えが近づいてくる。


 司令部から来る男が、何を告げるのか。


 秋月は窓から目を離した。


 明日を待つ。


 今度は、ただ待つのではない。


 自分の目で確かめるために。


 ――続く。


あとがき


第25話を最後までお読みいただき、ありがとうございました。


今回は、秋月が初めて「未来を知っているからこそできること」を、具体的な行動へ変えた回でした。


歴史を大きく変えるような出来事ではありません。それでも、命令を受けてから動くまでの数秒を縮めることが、戦場では誰かの生死を分ける可能性があります。


そして最後に、司令部からの来訪が決まりました。


ここから大和を取り巻く状況が、少しずつ変わっていきます。


次回、第26話「司令部からの来訪」

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