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戦艦大和は、歴史を書き換えられるか。 ~未来を知る帝国海軍士官の決断~  作者: 春野ケイ


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第22話 少尉の疑問

昭和十六年十二月二十三日


呉軍港沖


 朝から鉛色の雲が空を覆っていた。


 冬の海は穏やかだったが、日差しがないぶん空気は一段と冷たい。


 大和は予定どおり慣熟訓練を続けていた。


 艦橋では航海科が針路を確認し、機関科では回転数の記録が取られている。


 砲術科もまた、朝の点検を終えたばかりだった。


 「異常ありません。」


 秋月誠が報告すると、砲術長は記録簿へ目を落としたまま頷く。


 「よし。」


 「今日の午後は応急部署との連携確認を行う。」


 「了解しました。」


 命令は短く、無駄がない。


 旗艦となって一週間。


 艦内では誰もが自分の役割を理解し始めていた。


 秋月も同じだった。


 兵学校を卒業したばかりの頃は、目の前の仕事をこなすだけで精一杯だった。


 今では周囲を見る余裕が少しだけ生まれている。


 だからこそ、気付くことも増えてきた。


 午前の点検を終え、兵曹長と通路を歩いていると、通信室の前で数名の士官が地図を広げていた。


 南方の海図である。


 マレー半島。


 ルソン島。


 ボルネオ。


 聞こえてくる会話は断片的だった。


 「補給は順調か。」


 「予定どおりです。」


 「次の船団は……。」


 機密事項である以上、それ以上の内容は聞こえない。


 秋月は立ち止まることなく通り過ぎた。


 その背中へ兵曹長が小声で言う。


 「知りたくても、知らない方がいいこともあります。」


 「軍隊とはそういう組織です。」


 秋月は静かに頷いた。


 未来を知る自分とは、まるで正反対だった。


 知らないことが当たり前の世界。


 だからこそ、一つの命令が重い。


 昼食後、秋月は甲板へ出た。


 曇り空の下、海は鈍い銀色に光っている。


 波は穏やかだ。


 その静けさが、かえって胸の内をざわつかせた。


 (俺は……。)


 手すりへ手を置く。


 冷え切った鋼鉄の感触が手袋越しに伝わる。


 (未来を知っている。)


 その事実は変わらない。


 だが、その未来を知っているだけで、自分は何かを成し遂げた気になってはいないか。


 歴史は毎日動いている。


 自分はその中で、命令を受け、点検をし、訓練を繰り返している。


 それは決して無意味ではない。


 しかし、本当にそれだけでいいのだろうか。


 その時、艦橋からラッパが鳴った。


 午後の訓練開始を知らせる合図だった。


 秋月は帽子を被り直し、歩き出す。


 答えはまだ見つからない。


 だが、その問いから逃げるつもりもなかった。


 午後の訓練は、応急部署との合同演習だった。


 「総員、応急配置!」


 号令が響く。


 艦内では火災発生を想定した訓練が始まり、各部署が一斉に動き出した。


 砲術科は弾薬区画の安全確認。


 応急班は消火活動。


 機関科は区画閉鎖。


 それぞれが息を合わせる。


 秋月も区画の確認を終え、砲術長へ報告した。


 「第二砲塔周辺、異常ありません。」


 「よし、そのまま待機。」


 短いやり取りの中で、秋月はふと気付く。


 この艦には、それぞれが果たすべき役割がある。


 誰か一人が英雄になれば勝てる世界ではない。


 山本長官も。


 艦長も。


 砲術長も。


 そして自分も。


 それぞれが持ち場を守ることで、一隻の軍艦が成り立っている。


 訓練終了を告げるラッパが鳴る。


 秋月は汗を拭いながら深く息を吐いた。


 その時だった。


 視界の奥で、一瞬だけ景色が揺らぐ。


 厚い雲。


 激しい雨。


 灰色の海。


 そして、海図の上へ赤鉛筆で引かれる一本の線。


 「……ここだ。」


 誰かがそう呟いた気がした。


 次の瞬間、すべては消える。


 秋月は思わず海図室の方角を振り返った。


 今の場所はどこだったのか。


 思い出そうとしても、頭の中には雨音だけが残っていた。


 胸の鼓動だけが、少し早くなっていた。


訓練終了を知らせるラッパが艦内へ響き渡る。


 応急部署の乗組員たちは消火用ホースを巻き取り、資材を所定の位置へ戻していく。


 張り詰めていた空気は少しだけ和らいだが、誰一人として気を抜いてはいなかった。


 訓練もまた勤務である。


 最後の片付けまで終えて、一つの任務なのだ。


 秋月は汗を拭いながら砲術長へ報告した。


 「第二砲塔周辺、異常ありません。」


 砲術長は記録簿へ視線を落としたまま頷く。


 「ご苦労だった。」


 報告はそれだけだった。


 だが、その一言に十分な信頼が込められていた。


 午後の勤務が一段落すると、秋月は兵曹長とともに上甲板へ出た。


 冬空は相変わらず厚い雲に覆われ、陽射しはほとんど差し込まない。


 海は穏やかだった。


 その静けさが、かえって戦時であることを忘れさせそうになる。


 兵曹長が手すりへ寄りかかる。


 「少尉。」


 「はい。」


 「兵学校では、戦争について何を教わりましたか。」


 思いがけない質問だった。


 秋月は少し考えてから答える。


 「戦術や砲術、航海術です。」


 「勝つための方法は多く学びました。」


 兵曹長は静かに笑う。


 「私は兵学校へは行っていません。」


 「ですが、海へ出てから教わったことがあります。」


 秋月は兵曹長を見る。


 「戦争は、人がやるものだということです。」


 風だけが二人の間を吹き抜けた。


 「砲を撃つのも人。」


 「飯を炊くのも人。」


 「怪我人を運ぶのも人。」


 「勝っても負けても、最後に残るのは人なんです。」


 秋月は返事ができなかった。


 未来で見た映像には、炎上する艦や爆発する航空機ばかりが映っていた。


 だが、その中にも確かに人がいた。


 名前があり、家族があり、故郷があった。


 その当たり前のことを、自分は未来を知っているという思いが強すぎて、どこか忘れかけていたのかもしれない。


 「少尉?」


 兵曹長が不思議そうな顔をする。


 「……いや。」


 秋月は小さく首を振った。


 「少し考え事をしていました。」


 「若いうちは、それでいいんです。」


 兵曹長は海を眺めながら微笑んだ。


 「考えなくなった士官ほど怖いものはありませんから。」


 その言葉は、秋月の胸へ深く残った。


 自分は未来を知っている。


 だが、それだけで正しい答えを持っているわけではない。


 未来を変えたいと思うなら、この時代を、この人たちを、もっと知らなければならない。


 その時だった。


 遠くで航空機の発動機音が聞こえた。


 秋月は反射的に空を見上げる。


 雲の切れ間を、九六式陸上攻撃機と思われる機影がゆっくりと西へ飛んでいく。


 ほんの数秒、その姿を目で追った瞬間。


 世界が揺らいだ。


 青空ではない。


 重く垂れ込めた雲。


 雨に煙る飛行場。


 整列する双発の陸上攻撃機。


 その機体へ向かって歩く、一人の将官の背中。


 顔は見えない。


 だが、その歩き方には見覚えがあった。


 『急げ。』


 誰かの声が響く。


 次の瞬間。


 鋭いエンジン音。


 空を切り裂く戦闘機。


 激しい閃光。


 そこで映像は途切れた。


 秋月は思わず手すりを強く握る。


 息が乱れている。


 額には冷たい汗が浮かんでいた。


 「少尉!」


 兵曹長が肩へ手を置く。


 「大丈夫ですか。」


 秋月は深く息を吸い、ゆっくりと頷いた。


 「……大丈夫です。」


 だが、大丈夫ではなかった。


 今までで一番鮮明だった。


 しかも、あれは戦闘ではない。


 飛行場だった。


 そして、あの将官の背中。


 秋月は唇を強く結ぶ。


 まだ思い出せない。


 思い出せないのに、胸の奥だけが激しく痛んでいた。


 まるで未来そのものが、「忘れるな」と訴えかけているようだった。


 (俺は……。)


 (何を変えるために、この時代へ来たんだ。)


 その問いは、以前よりもずっと重くなっていた。


 答えはまだない。


 しかし、その答えを探さなければならない理由だけは、少しずつ形になり始めていた。


 冬の海を、大和は静かに進んでいく。


 その甲板で秋月は、未来ではなく「今」を見つめる決意を、新たに胸へ刻んでいた。


 ――続く。


あとがき


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


今回は「少尉の疑問」というテーマを軸に、未来を知ることの重さと、「今を生きる人」を知ることの大切さを描きました。史実を振り返ると、私たちは結果を知っています。しかし、当時を生きた人々は誰一人として未来を知りませんでした。その視点を大切にしながら、この作品では「もし未来を知る者がいたら」を丁寧に描いていきます。


本作は史実への敬意を第一に、実在した人物や出来事をできる限り尊重しながら創作しています。お気づきの点があればご指摘いただけると、より良い作品へ磨き上げていけます。


面白いと感じていただけましたら、ブックマークや評価、感想で応援していただけると、とても励みになります。


次回 第23話「当直の夜」

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