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戦艦大和は、歴史を書き換えられるか。 ~未来を知る帝国海軍士官の決断~  作者: 春野ケイ


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第15話 戦艦大和、就役

昭和十六年十二月十六日


広島県 呉海軍工廠


 まだ夜明け前だというのに、呉軍港はすでに動き始めていた。


 冬の空気は肌を刺すように冷たい。


 岸壁に立つ街灯の明かりが海面へ細く伸び、波が揺れるたびに光が砕け散る。


 午前六時。


 工廠の汽笛が鳴り、静かな港へ一日の始まりを告げた。


 秋月誠は制服の襟を整えながら宿舎を出る。


 革靴が霜の降りた地面を踏みしめるたび、乾いた音が響いた。


 今日は特別な日だった。


 戦艦大和が、帝国海軍の戦艦として正式に就役する日である。


 岸壁へ向かう途中、多くの工員たちとすれ違った。


 作業服姿の者もいれば、今日は式典だけを見届けるために正装している者もいる。


 その誰もが、大和へ自然と視線を向けていた。


「おはようございます。」


 聞き慣れた声だった。


 年配の工廠技師が帽子を取り、穏やかに笑う。


「おはようございます。」


 秋月も帽子へ手を添える。


「今日で、本当に引き渡しですね。」


「ええ。」


 技師は少しだけ目を細めた。


「何年も毎日のように見てきた艦です。」


「嬉しい反面、娘を嫁に出すような気持ちですよ。」


 秋月は思わず笑みを浮かべた。


「そんなものですか。」


「そんなものですよ。」


 技師は照れくさそうに笑い、大和を見上げる。


「どうか、無事でいてほしい。」


 その言葉には、職人としての誇りと、一人の人間としての願いが込められていた。


 秋月は静かに頷くことしかできなかった。


 午前七時を過ぎる頃になると、岸壁には式典へ参加する士官や来賓が集まり始めた。


 乗組員たちも整列し、制服の乱れがないか互いに確認し合う。


「襟、少し曲がっていますよ。」


「ありがとう。」


 若い水兵同士が笑い合う姿に、秋月の表情も自然と和らいだ。


 やがて整列を知らせる号令が響く。


「総員、整列!」


 張り詰めた空気が岸壁を包む。


 誰一人として私語はない。


 冬の風が軍艦旗を揺らし、その布が乾いた音を立てた。


 秋月は真正面に立つ大和を見つめる。


 巨大な艦橋。


 三基の四十六センチ主砲。


 長く伸びる艦首。


 幾度となく見上げてきた姿だった。


 しかし今日だけは違う。


 今日から、この艦は正式に帝国海軍の戦艦となる。


 式典は厳粛に進められた。


 関係者の挨拶。


 命令書の伝達。


 乗組員たちは姿勢を崩さず、その一つひとつを静かに受け止める。


 華やかな音楽が流れるわけでもない。


 歓声が上がるわけでもない。


 あるのは、国家の艦を預かるという重い責任だけだった。


 式典が終わると、工廠関係者へ向けて短い挨拶の時間が設けられた。


 秋月は岸壁へ降りる。


 そこには、これまで何度も顔を合わせてきた工員や技師たちが並んでいた。


「少尉殿。」


 若い工員が少し照れながら敬礼する。


「立派な艦になりました。」


「ああ。」


 秋月は大和を振り返った。


「皆さんのおかげです。」


 その言葉に、工員たちは少し驚いたような表情を見せた。


「私たちは造っただけです。」


「これから先は、皆さんが守ってください。」


 秋月は一人ひとりの顔を見渡した。


 鋼板を削った者。


 配線を引いた者。


 塗装をした者。


 名前は知らなくても、その仕事だけは毎日見てきた。


 秋月は帽子を取り、深く一礼する。


「ありがとうございました。」


 工員たちも黙って帽子を取り返礼した。


 言葉は少なかった。


 それでも、その一礼だけで十分だった。


 大和は、多くの人々の手を離れ、今日、新たな使命を背負って海軍へ引き継がれたのである。


式典が終わると、岸壁を包んでいた緊張が少しだけ和らいだ。


 それでも、大和の艦内に休息の時間はない。


 正式に就役したその日から、この艦は帝国海軍の第一艦隊へ編入される。


 乗組員たちは持ち場へ戻り、改めて艦内の確認を始めていた。


 「少尉。」


 兵曹長が近づき、小さく笑った。


 「今日から、本当の意味で始まりですね。」


 「ああ。」


 秋月も静かに頷く。


 就役はゴールではない。


 ようやく、海軍軍人として大和と歩む日々が始まるのだ。


 午後、砲術科では就役後初めてとなる部署ごとの打ち合わせが開かれた。


 砲術長は机の上に広げた資料へ目を落としながら、一人ひとりの顔を見回す。


 「開戦したとはいえ、大和はまだ慣熟を優先する。」


 低く落ち着いた声が室内に響く。


 「焦る必要はない。」


 「まずは、この艦を完全に使いこなせ。」


 「そのために訓練を重ねる。」


 誰も口を挟まない。


 全員が真剣な表情で話を聞いていた。


 砲術長は続ける。


 「世界最大の戦艦に乗っていることを誇りに思うのは構わん。」


 「だが、その誇りが慢心へ変わった時、この艦は必ず人を裏切る。」


 その言葉に、室内の空気が引き締まる。


 秋月は静かに手帳を開き、その一言を書き留めた。


 『誇りと慢心は違う。』


 未来の記録ではない。


 今日、砲術長から教わった言葉だった。


 夕方。


 勤務を終えた秋月は、一人で上甲板へ出た。


 空は茜色に染まり、瀬戸内海は穏やかだった。


 岸壁では、工廠の工員たちが帰り支度をしている。


 その中に、朝話した年配の技師の姿があった。


 技師も秋月に気付き、遠くから帽子を軽く持ち上げる。


 秋月も同じように敬礼を返した。


 互いに言葉は交わさない。


 もう、この艦は工廠のものではない。


 それでも、その背中には「頼みましたよ」という思いが込められているように感じた。


 日が沈み始めると、軍港には一つ、また一つと灯がともる。


 艦橋の窓から漏れる明かり。


 岸壁を照らす街灯。


 遠くを航行する小型艇の灯火。


 その静かな光景を眺めながら、秋月は艦首へ歩いた。


 冷たい潮風が制服の裾を揺らす。


 艦首から見える海は、どこまでも穏やかだった。


 この海の向こうでは、今も多くの将兵が戦っている。


 その事実は変わらない。


 だからこそ、自分たちは一日でも早く、この艦を万全の状態にしなければならない。


 秋月は深く息を吸う。


 潮の香りに混じって、新しい塗装と機械油の匂いが微かに漂ってきた。


 それは、就役したばかりの大和だけが持つ匂いだった。


 「少尉。」


 後ろから兵曹長が歩いてくる。


 「そろそろ夕食ですよ。」


 「ああ、今行く。」


 二人は並んで艦内へ戻る。


 鋼鉄の通路には、乗組員たちの足音が規則正しく響いていた。


 その音は、昨日までよりも少しだけ力強く聞こえる。


 今日から、この音が大和の日常になる。


 秋月は歩きながら、静かに口元を引き締めた。


 この艦とともに過ごす日々が、いよいよ始まる。


 ――続く。


あとがき


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


今回は、史実どおり昭和16年12月16日の戦艦大和就役の日を描きました。華やかな出来事としてではなく、多くの人々の努力が一つの節目を迎える日として表現したかった場面です。


本作では、史実への敬意を何より大切にしています。そのうえで、実際の出来事や当時の空気を丁寧に描きながら、「もしも」が少しずつ歴史へ影響していく物語を目指しています。


面白いと感じていただけましたら、ブックマークや評価、感想で応援していただけると、とても励みになります。


ここでようやく物語の第一章が一区切りとなります。次章からは、就役した大和と秋月が本格的に聯合艦隊の一員として歩み始めます。史実を大切にしながら、その中で生まれる小さな変化を丁寧に描いていきます。


次回 第16話「聯合艦隊旗艦」

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