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戦艦大和は、歴史を書き換えられるか。 ~未来を知る帝国海軍士官の決断~  作者: 春野ケイ


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第13話 帰還の報せ

昭和十六年十二月十一日


広島県 呉海軍工廠


 朝の呉湾は穏やかだった。


 冬の陽射しが海面に反射し、小さな波が岸壁へ静かに寄せては返している。


 開戦から四日。


 街には戦争が始まったという緊張感はあるものの、人々の生活そのものが一変したわけではなかった。


 通勤する工員たちは肩から弁当箱を提げ、海軍士官たちはいつもどおり足早に岸壁へ向かう。


 工廠の門が開くと同時に、朝の汽笛が響き渡った。


 その音を合図に、巨大な工場が目を覚ます。


 秋月誠は大和へ向かう途中、立ち止まって港を見渡した。


 曳船が一隻の輸送船をゆっくりと誘導し、その向こうでは小型艦艇が岸壁を離れていく。


 平時と戦時の境界は、案外こういう景色では分からないものなのかもしれない。


「少尉、おはようございます。」


 振り返ると、兵曹長が敬礼した。


「おはようございます。」


 二人は並んで歩き始める。


「今朝の新聞をご覧になりましたか。」


「いや、まだだ。」


「真珠湾の戦果が、昨日より詳しく載っていました。」


 兵曹長は少し嬉しそうだった。


「街もずいぶん賑やかでしたよ。駅前では号外を読んでいる人だかりができていました。」


 秋月は静かに頷いた。


 港の外では、人々が戦果を知り、歓声を上げている。


 一方、この岸壁では今日も変わらず点検が続く。


 それぞれが、それぞれの場所で戦争と向き合っていた。


 大和へ乗艦すると、砲術科では朝から主砲塔の最終確認が行われていた。


 兵曹たちは手際よく計器を確認し、工廠技師は工具を手に細かな調整を進めている。


「少尉、この数値をお願いします。」


 若い兵が記録簿を差し出す。


 秋月は計器を見比べながら数字を書き込んだ。


「異常なし。」


「ありがとうございます。」


 兵は嬉しそうに記録簿を受け取り、次の持ち場へ走っていく。


 そんな様子を見ていた砲術長が、ふっと口元を緩めた。


「最初の頃に比べると、皆ずいぶん動きが良くなった。」


「そうですね。」


 秋月も自然と頷く。


 就役まで残り五日。


 最初はぎこちなかった乗組員たちも、今では互いの動きを見なくても自然に役割を果たせるようになってきた。


 艦は鋼鉄だけで完成するものではない。


 人もまた、時間をかけて一つの艦になっていく。


 午前の訓練が終わる頃、一人の伝令が砲術長のもとへ駆け寄った。


「失礼します。」


 封筒を受け取った砲術長は中身を確認し、小さく頷く。


「分かった。」


 伝令が去ると、近くにいた士官たちへ静かに告げた。


「第一航空艦隊が無事に帰投中との報告だ。」


 一瞬、その場の空気が和らいだ。


「皆、無事だったんですね。」


 若い水兵が思わず声を漏らす。


 兵曹長はすぐに咳払いをした。


「まだ正式な命令中だ。騒ぐな。」


「申し訳ありません。」


 水兵は慌てて姿勢を正す。


 しかし、その表情には安堵が浮かんでいた。


 秋月はその様子を静かに見つめる。


 名前も知らない搭乗員たち。


 会ったこともない整備員たち。


 それでも「無事」という言葉だけで、胸の奥が少し軽くなった。


 砲術長は皆を見回し、穏やかな口調で言う。


「勝った負けたより先に、仲間が帰ってきたことを喜べ。」


 誰も返事はしなかった。


 その代わり、小さく頷く者が何人もいた。


 その姿を見て、秋月も帽子のつばを静かに整えた。


 今日の呉は、昨日より少しだけ穏やかだった。


昼食を終えたあと、秋月は兵曹長とともに艦首甲板の点検へ向かった。


 冬の陽射しは穏やかだったが、海から吹きつける風は冷たい。


 甲板を歩くたび、革靴の底から鋼鉄の感触が伝わってくる。


「就役まで、あと五日ですね。」


 兵曹長が海を眺めながら口を開いた。


「あっという間でした。」


「そうだな。」


 秋月は艦首に立ち、呉湾を見渡した。


 沖では輸送船がゆっくりと航路を進み、その周囲を曳船が忙しく行き交っている。


 遠くの岸壁では、新たに建造中の艦艇へ資材が運び込まれていた。


「この港は、本当に休む暇がありませんね。」


「戦争が始まれば、なおさらです。」


 兵曹長は静かに頷いた。


「海へ出る艦だけじゃありません。」


「ああして造る者も、修理する者も、補給する者も、皆が同じ戦場にいるんです。」


 秋月は黙ってその言葉を聞いていた。


 工廠を歩けば、毎日同じ顔とすれ違う。


 配線を担当する電気技師。


 艦底を塗装する職人。


 溶接工。


 旋盤工。


 彼ら一人ひとりの仕事が重なって、一隻の軍艦になる。


 その当たり前の光景が、今日は以前よりもずっと大きく見えた。


 午後になると、工廠内では最終検査へ向けた確認作業が始まった。


 秋月は工廠技師とともに、砲塔周辺の区画を回る。


「少尉殿。」


 年配の技師が配線図を広げる。


「ここを見てください。」


 細い配線が一本、図面とはわずかに取り回しが違っていた。


「こちらの方が整備しやすいと思いまして。」


 秋月は図面と見比べる。


「なるほど……。」


「現場で使う人の意見も聞いて、こう直しました。」


 技師は少し照れくさそうに笑った。


「図面は大事です。でも、実際に触る人が使いやすいのが一番ですから。」


 秋月は深く頷いた。


 兵学校では設計図どおりが正しいと教わった。


 しかし、現場ではそこへ経験が加わる。


 だからこそ、より良い艦になっていくのだ。


「勉強になります。」


 そう言うと、技師は豪快に笑った。


「こちらも若い士官さんから刺激をもらっていますよ。」


 二人は顔を見合わせ、小さく笑った。


 その笑顔を見ていた兵曹長がぽつりと呟く。


「艦も人も、完成するまで育てるものなんでしょうな。」


 その言葉に、誰もすぐには返事をしなかった。


 夕暮れ。


 呉湾は茜色に染まり、海面には赤い光が揺れている。


 工廠の汽笛が鳴り、一日の作業が終わる。


 工員たちは工具箱を抱えて帰路につき、夜勤の者たちと静かにすれ違う。


 秋月は大和の舷側へ手を添えた。


 冷たい鋼板だった。


 それでも、不思議と温もりを感じる。


 この数日、多くの人がこの艦へ触れ、汗を流し、言葉を交わしてきた。


 その積み重ねが、この鋼鉄の巨艦の中に息づいているような気がした。


「少尉、戻りましょう。」


 兵曹長の声が聞こえる。


「ああ。」


 秋月はもう一度だけ大和を見上げた。


 就役まで、あと五日。


 その日が来れば、この静かな港で過ごす時間も終わる。


 秋月はゆっくりと踵を返した。


 振り返ることはしなかった。


 だが、背中越しにも、大和が静かにそこにいることだけは分かっていた。


 ――続く。


あとがき


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


今回は大きな出来事ではなく、「完成へ向かう一隻の軍艦」と、それを支える人々を中心に描きました。歴史に名を残すのは戦闘や作戦であることが多いですが、その土台には無数の名もなき人々の仕事があります。そんな日常も、この作品では大切に積み重ねていきたいと思っています。


本作は史実への敬意を第一に、実際の時代背景や当時の空気を大切にしながら、「もしも」の物語を描いています。


面白いと感じていただけましたら、ブックマークや評価、感想をいただけると、とても励みになります。


次回 第14話「就役前夜」

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