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戦艦大和は、歴史を書き換えられるか。 ~未来を知る帝国海軍士官の決断~  作者: 春野ケイ


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12/25

第12話 静かなる巨艦

昭和十六年十二月十日


広島県 呉海軍工廠


 冬の朝日が、瀬戸内海の穏やかな水面を黄金色に染めていた。


 開戦から三日。


 呉軍港には相変わらず多くの艦艇が停泊しているが、その空気は開戦前とは確かに変わっていた。


 港へ出入りする車両は増え、工廠では資材を運ぶ貨車が絶え間なく行き交う。


 工員たちの足取りも、どこか慌ただしい。


 戦争は、最前線だけで始まるものではない。


 後方もまた、同じ瞬間から戦いの中にあった。


 秋月誠は岸壁を歩きながら、大和の艦影を見上げる。


 朝日に照らされた船体は、まるで一枚の鋼板から削り出されたように美しかった。


 しかし、その巨大な主砲も、厚い装甲も、まだ一度も実戦で使われてはいない。


 正式就役まで、あと六日。


 今日もまた、大和は完成へ向けた最後の一歩を積み重ねていた。


「おはようございます、少尉。」


 岸壁で会った工廠技師が帽子を取る。


 昨日まで配線工事を担当していた男性だった。


「おはようございます。」


「昨夜も遅かったですね。」


「ええ。」


 技師は苦笑する。


「家へ帰ったら子どもは寝ていました。」


 そう言って少し照れくさそうに笑った。


「完成したら、ようやく休めます。」


 秋月は何と返せばいいのか分からなかった。


 目の前にいる一人の父親も、大和という一隻の戦艦を支えている。


 未来の記憶には映らなかった人たち。


 けれど、その存在は確かにここにある。


「完成したら、お子さんも喜びますね。」


 秋月がそう言うと、技師は嬉しそうに頷いた。


「ええ。『父ちゃんが造った船だ』って自慢したいです。」


 その笑顔を見送りながら、秋月は胸の奥が熱くなるのを感じた。


 戦艦とは、兵器である前に、多くの人の仕事の結晶なのだ。


 午前の訓練では、艦内通信と応急工作の連携確認が行われた。


「火災発生!」


 号令が飛ぶ。


「第二隔壁閉鎖!」


「応急班、前へ!」


 秋月は伝声管の前へ立ち、各部署との通信を確認する。


「第二砲塔、異常なし。」


「機関科、応答良好。」


「艦橋、了解。」


 伝声管越しに聞こえる声は落ち着いていた。


 訓練とはいえ、一つひとつの応答に迷いはない。


 その積み重ねが、いざという時に命を守る。


 訓練終了後、砲術長は全員を見回した。


「いいか。」


 低い声が艦内へ響く。


「大和は世界最大の戦艦だ。」


 秋月は自然と顔を上げる。


 砲術長は続けた。


「だが、どれほど優れた軍艦でも、一人では戦えん。」


 誰も言葉を発しない。


「艦橋も、砲術科も、機関科も、主計科も、衛生科も、工廠の技師も工員も。」


「全員が揃って初めて、この艦は一隻の軍艦になる。」


 秋月はその言葉を胸の中で静かに繰り返した。


 未来の記憶では、大和という名前ばかりが残っている。


 だが、その陰には、数え切れない人々がいた。


 その事実だけは、決して忘れてはならない。


 昼休み。


 秋月は温かい番茶を手に、甲板から呉湾を眺めていた。


 沖には輸送船がゆっくりと航行し、その向こうでは曳船が一隻の駆逐艦を岸壁へ導いている。


 穏やかな冬の海だった。


 その時だった。


 湯飲みから立ち上る湯気が、ゆっくりと揺らぐ。


 視界が霞む。


 聞こえてきたのは、海ではなく無線の雑音だった。


『……第一航空艦隊……』


 途切れ途切れの声。


『……帰投……』


 それだけが聞こえた。


 次の瞬間、映像は消える。


 秋月は湯飲みを持つ手に力を込めた。


 帰投。


 その一言だけが、静かに胸へ残っていた。


「少尉、冷めますよ。」


 兵曹長の声に、秋月は我に返った。


 手元の番茶からは、もう先ほどほどの湯気は立っていない。


「ああ、すみません。」


「考え事ですか。」


「少し。」


 秋月はそれ以上は答えなかった。


 未来の記憶のことは誰にも話せない。


 話したところで、信じてもらえるはずがない。


 それに、自分自身もまだ見えた映像の意味を理解しきれていなかった。


 午後は、砲術科と機関科による非常時の連携訓練が行われた。


 警報が鳴る。


「総員、配置!」


 艦内へ号令が響き、乗組員たちは一斉に持ち場へ走り出す。


 狭い通路を駆け抜ける足音。


 鋼鉄の隔壁が閉まる重い音。


 伝声管を通る力強い応答。


 秋月も決められた区画へ急ぐ。


「第二砲塔、異常なし!」


「艦橋、了解!」


 訓練は滞りなく進み、予定どおり終了した。


 息を整えながら砲塔を見上げると、兵曹長が満足そうに頷く。


「少しずつ艦らしくなってきましたな。」


「ええ。」


 秋月も自然と笑みを浮かべた。


 数日前までぎこちなかった連携も、今では呼吸が合い始めている。


 それは機械ではなく、人が艦を完成させていく過程だった。


 夕方。


 工廠では昼勤と夜勤が交代し、薄暗くなった岸壁に作業灯が灯る。


 秋月は艦を降りる前に、ふと足を止めた。


 岸壁の端で、一人の初老の工員が大和を見上げている。


 手には使い込まれた工具箱。


 作業服には乾ききらない塗料が付いていた。


「今日もお疲れさまです。」


 秋月が声を掛けると、工員は少し驚いたように振り向いた。


「ああ、少尉殿。」


「もうすぐ完成ですね。」


「そうですね。」


 工員は静かに笑った。


「この船の工事に携わって、もう何年になりますか。」


 秋月が尋ねると、工員は少し考えてから答えた。


「細かくは覚えとりません。」


「ですが、毎日この船を見てきました。」


 そう言って、大和の艦首へ目を向ける。


「完成したら、少し寂しくなるかもしれませんな。」


 その言葉に、秋月は返事ができなかった。


 工員にとって大和は、毎日向き合ってきた仕事だった。


 軍人とはまた違う形で、この艦へ人生を注いできた人なのだ。


 工員は工具箱を持ち直し、帽子を軽く上げる。


「どうか、大事に乗ってやってください。」


 その一言だけを残し、夜勤の仲間たちの方へ歩いていった。


 秋月は、その後ろ姿が見えなくなるまで立ち尽くしていた。


 宿舎へ戻ると、『未来の記録』を机の上へ開く。


 今日の出来事を思い返しながら、静かに筆を走らせる。


『十二月十日』


『第一航空艦隊』


『帰投』


 そこで筆が止まる。


 その先を書こうとしても、何も浮かばなかった。


 秋月は無理に書き進めることをやめ、ノートを閉じる。


 窓を開けると、夜の呉軍港から汽笛が一つ聞こえた。


 月明かりの下、大和は変わらず静かに浮かんでいる。


 開戦から三日。


 世間は華々しい戦果を伝えている。


 だが、この港では今日も誰かが工具を握り、誰かが図面を開き、誰かが汗を流していた。


 その静かな積み重ねが、やがて大和を海へ送り出す。


 秋月は窓辺へ立ち、巨艦へ向かって静かに一礼した。


 胸の奥に浮かぶのは、不安ではない。


 焦りでもない。


 まだ名もない、小さな覚悟だった。


 ――続く。


あとがき


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


今回は、開戦後も変わらず続く呉海軍工廠の日常を描きました。歴史に名を残すのは戦いや作戦であることが多いですが、その裏には黙々と艦を造り、整備し続けた多くの人々がいました。そうした方々の存在も、この物語では大切に描いていきたいと思っています。


本作は史実への敬意を第一に、一つひとつの出来事や人物を丁寧に積み重ねながら、歴史IFとして物語を紡いでいます。


面白いと感じていただけましたら、ブックマークや評価、感想で応援していただけると、とても励みになります。


今回の工員との会話は創作ですが、「一隻の軍艦は多くの人の手で完成する」という事実を表現したくて描きました。こうした何気ない日常も大切にしながら、物語を進めていきます。


次回 第13話「帰還の報せ」

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