Ⅸ 審判の陽光
長く、そしてあまりにも苛烈であった冬が終わりを告げ、王都アルディミアに春分の日が訪れた。天を覆っていた鉛色の雲は完全に駆逐され、透き通るような蒼穹から降り注ぐ陽光が、雪解け水に濡れた王城の尖塔を黄金色に輝かせている。凍てついていた土の下からは雪割草が顔を出し、新たな生命の息吹が王国全土を包み込もうとしていた。しかし、王城の正殿たる「陽光の間」において、このうららかな春の光は、長きにわたり王宮の暗部に蓄積された腐敗と陰謀を容赦なく暴き出す、冷徹なる審判の光となろうとしていた。
「大朝餐会」ならびにそれに続く「王国諸侯会議」。それは一年のうちで最も重要かつ格式高い儀式であり、王国全土から大領主、高位聖職者、そして王宮の官僚たちが一堂に会する場であった。円形の大広間は、天井に描かれた歴代の聖王たちのフレスコ画と、壁面を埋め尽くす極彩色のステンドグラスによって、息を呑むほどの絢爛豪華さに彩られている。大理石の床には異国から取り寄せられた豪奢な絨毯が敷き詰められ、その上を、重光な宝石や金糸の刺繍で身を飾った貴族たちが、まるで春の陽気に浮かれる孔雀のように行き交っていた。香炉から立ち昇る乳香と没薬の濃密な香りが、彼らの体から発せられる甘ったるい香水と混ざり合い、広間の空気をひどく淀ませている。
広間の最奥、一段高くなった玉座には、病がちの国王の代理として、現在の宮廷を実質的に支配している宰相、ローゼン伯爵がふんぞり返っていた。肥満した体を紫がかったビロードの礼服で包み、何重にも重なる顎を揺らしながら、彼は傲慢な視線で諸侯を見下ろしている。しかし、その額には絶えず嫌な汗が滲み、微かに震える指先は彼が極度の焦燥状態にあることを示していた。
彼が放った暗殺教団「影刃」からの報告は、あれから十日が経過した今も絶えたままであった。さらに悪いことに、彼が秘密裏に資金を投じて買い占めていたはずの春小麦の価格が、数日前から突如として大暴落を始めたのである。東方の自由都市群から、正体不明の独立商船隊によって大量の小麦と鉄鉱石が市場に流れ込み、伯爵の息のかかった商会は次々と破産の危機に瀕していた。莫大な負債を抱え込んだローゼン伯爵は、今朝、ついに国庫の予備費から秘密裏に資金を横領し、自らの負債の穴埋めに充てるという禁じ手に手を出したばかりであった。
「お父様、いかがなさいましたの? 顔色が優れないようですわ」
父親の傍らに控えるマルグリットが、怪訝そうに眉を顰めた。彼女は春の女神を気取ったような薄紅色のドレスを纏い、己こそがこの広間で最も美しい存在であると信じて疑わない様子であった。
「……何でもない。少し疲れているだけだ」
伯爵は苛立たしげに答えた。暗殺の失敗も、経済の崩壊も、この娘には理解できまい。だが、証拠はないのだ。仮に暗殺者が捕らえられていたとしても、影刃の掟により彼らは自決しているはずだ。国庫からの資金流用も、台帳上は完璧に偽装した。今日この会議を乗り切りさえすれば、自分は安全なのだと、伯爵は心の中で必死に己に言い聞かせていた。
やがて、宮廷楽師たちによる荘厳なファンファーレが鳴り響き、諸侯会議の開会が宣言された。貴族たちがそれぞれの席に散り、議場が水を打ったような静寂に包まれた、まさにその時であった。
広間の巨大な黒檀の扉が、外に立つ近衛兵たちによって重々しい音を立てて押し開かれた。
「北方大公軍総司令官、ヴァレリウス・フォン・ドラッケンフェルス大公殿下! ならびに、同軍主席戦術顧問、エレオノーラ・フォン・ヴァーレンベルク卿のお成り!」
式部官の甲高い声が広間に響き渡った瞬間、何百という貴族たちの視線が入り口へと釘付けになり、次いで、悲鳴にも似たどよめきが巻き起こった。
光の差し込む扉の向こうから現れたのは、漆黒の軍服に身を包み、肩に銀狼の毛皮を羽織った北の孤狼、ヴァレリウス大公であった。彼の腰には常に変わらぬ長大な宝剣が佩かれ、一歩歩みを進めるごとに、銀の拍車が冷たく、そして絶対的な死の宣告のように硬質な音を響かせる。彼から放たれる圧倒的な覇気と殺気は、広間の淀んだ空気を瞬時にして凍りつかせた。
しかし、人々の驚愕の的は、むしろ彼の斜め後ろを音もなく歩む女の姿にあった。
エレオノーラ・フォン・ヴァーレンベルク。半年前までこの王宮で最も身分低い下働きとして床を這いずり回り、ひと月前の宴においてワインを浴びせられていたあの罪人の娘。彼女が今、大公家の紋章である咆哮する銀狼が銀糸で刺繍された、威風堂々たる濃紺の執務服に身を包み、大公と肩を並べて歩んでいるのである。亜麻色の長い髪は厳格にまとめ上げられ、透き通るような美しい顔立ちには、一切の感情を排した大理石の女神の如き冷厳さが宿っていた。そして彼女の右手の薬指には、大公の代理人たる絶対的権力の象徴――印章指輪が、冷ややかな輝きを放っている。
「なっ……何故、あの女がここに! しかも、主席戦術顧問だと!?」
ローゼン伯爵が玉座から立ち上がり、顔を紫に染めて怒鳴り声を上げた。その隣で、マルグリットは信じられないものを見るように目を剥き、扇を取り落としていた。
「ヴァレリウス殿下! ここは神聖なる王国諸侯会議の場であるぞ! 国家叛逆の罪に問われた大罪人の娘を、あろうことかそのような公的な役職につけ、この場に引き入れるなど、王室への明白なる反逆行為である! 近衛兵! その女を今すぐ捕らえ、地下牢へと引き摺り下ろせ!」
伯爵の絶叫が広間に響き渡った。数名の近衛兵が槍を構えて一歩前へ出たが、ヴァレリウス大公が隻眼で彼らを睨みつけた瞬間、全員が恐怖に完全に縫い留められ、一歩も動けなくなった。
「狂犬が、身の程を弁えずに吠えるな」
ヴァレリウスの地を這うような低い声が、広間の隅々にまで轟いた。
「我が北方軍の『知の要』にして、我が分身たる指輪を託した至宝に向かって槍を向けるか。ならば、それは我が北方軍三万への宣戦布告と受け取るが、よろしいか、ローゼン伯爵」
圧倒的な武力による威圧を前に、広間の貴族たちは顔面を蒼白にして震え上がった。伯爵は歯を食いしばりながらも、反論の糸口を探して喚き散らした。
「武力で脅そうと無駄だ! 法廷において、ヴァーレンベルク公爵の叛逆はすでに証明されている! その娘もまた連座する身。いかに大公殿下といえど、国法を曲げることはできぬ!」
「……ならば、その『国法』に則り、真なる叛逆者の正体を白日の下に晒しましょう」
琴の糸のように張り詰めた、しかし、広間のどの声よりも明瞭に響く凛とした声が上がった。エレオノーラであった。彼女はヴァレリウスの斜め前から静かに歩み出ると、玉座に座るローゼン伯爵を見据えた。その蒼玉の瞳には、一切の憎悪はなく、ただ極限まで研ぎ澄まされた氷の刃のごとき理性が宿っていた。
「ローゼン伯爵。あなたは我が父、ヴァーレンベルク大公が北方勢力と密通し、国庫から莫大な資金を横流ししたと告発されました。そして、その証拠として『使途不明金』の存在を挙げた」
エレオノーラは懐から、一冊の分厚い革表紙の台帳を取り出した。
「しかし、私が王国大書庫の全記録と照合し、算出した結果は全く異なるものでした。過去十年間における北方軍への兵站記録、および王室造幣局の出納帳。そこに記された数字の動きは、使途不明金などではなく、極めて意図的な『架空計上』による横領の痕跡を示しています」
「な、何を馬鹿な……! 小娘の戯れ言だ! そのような捏造の台帳など!」
「捏造ではありません。この台帳は、他ならぬ伯爵、あなたが管理している大蔵省の原本そのものです。あなたは鉄鉱石と麦の買い付け額を市場価格の三倍に水増しし、差額を自らが裏で操る『黄金の鷲商会』をダミーとして経由させ、個人の私財へと還流させていた」




