Ⅹ 勝者の戴冠
エレオノーラは台帳を開き、流れるような所作で特定のページを指し示した。
「そして、その不正蓄財に気づき、法廷へ告発しようとしていた我が父を、己の罪を隠蔽するために『叛逆者』として仕立て上げ、暗殺にも等しい略式裁判で処刑した。父を殺したのは、国家の敵ではなく、あなたの底無しの強欲です」
広間は息を呑む音すら聞こえないほどの静寂に包まれた。誰もが、その美しき戦乙女の口から紡ぎ出される、完璧で隙のない論理と冷徹な告発に圧倒されていた。
「嘘だ! 証拠はない! すべてはその女のでっち上げだ!」
ローゼン伯爵は泡を飛ばして叫んだ。しかし、彼の狼狽ぶりは、誰の目にも彼の有罪を裏付けているようにしか見えなかった。
「証拠は、今朝のあなたの行動そのものが示しています」
エレオノーラは冷たく言い放った。
「春小麦の買い占めによる北方軍への経済封鎖を企てたあなたは、私の手配した東方からの自由交易路によって市場を破壊され、莫大な負債を抱え込みました。焦燥に駆られたあなたは、今朝未明、国庫の緊急予備費から秘密裏に二百万ゴールドを引き出し、自らのダミー商会の口座へと移転させた。……違いますか?」
「なっ……!?」
伯爵の顔から完全に血の気が引いた。その極秘の資金移動は、数時間前に行われたばかりであり、身内の中でも限られた者しか知らないはずの絶対の機密であった。
「我が大公軍の情報網を甘く見ないことです」エレオノーラは台帳を閉じると、一段低い声で宣言した。「国庫からの私的流用、および私兵を養うための資金隠匿。これこそが、王国法における真の『国家叛逆罪』に他なりません」
「お、おのれぇええっ! 暗殺者どもめ、何故この女を仕留めきれなかったのだ!」
完全に理性を失い、恐怖と絶望に飲まれたローゼン伯爵の口から、致命的な失言が漏れ出した。
その瞬間、大広間の空気が完全に変わった。自らの口で、暗殺を教唆したことを認めてしまったのだから。
「……やはり、あの夜、黒獅子の塔に刺客を放ったのは貴様であったか」
ヴァレリウス大公が、地獄の底から響くような声で言った。彼が指を鳴らすと、扉の外から、重武装した北方軍の近衛兵たちに両脇を抱えられた、ボロ布のような男が引き摺り込まれてきた。
それは、右肩を包帯でぐるぐる巻きにされた、暗殺教団「影刃」の頭目であった。
「教団の頭目は、厳しい『尋問』の末、すべてを吐きました。依頼主がローゼン伯爵であること、そして、その報酬が伯爵の裏口座から支払われていることを証明する血判状も、すでに押収済みです」
エレオノーラが頭目を見下ろしながら冷酷に言い放つと、伯爵は完全に膝から崩れ落ち、玉座の前の床に這いつくばった。
「あ、ああ……! お父様、何とか仰ってくださいませ! こんな泥棒猫の言い分など!」
マルグリットが狂乱して叫んだが、もはや彼女の甲高い声に耳を貸す者はこの広間に一人もいなかった。かつてエレオノーラを嘲笑い、伯爵に媚び諂っていた貴族たちは、今や蜘蛛の子を散らすように彼らの周囲から離れ、冷ややかな、あるいは恐怖に満ちた目で没落していく父娘を見下ろしていた。
「勝負はついたな、伯爵」
ヴァレリウスが重い足取りで歩み寄り、這いつくばる伯爵の前に立ち塞がった。
「貴様の罪は、もはや千の言い逃れを用いても隠しきれん。我が忠臣ヴァーレンベルク大公を陥れ、さらには我が軍の至宝たるこのエレオノーラに刃を向けた罪、万死に値する。……近衛兵! この逆賊どもを捕らえ、最も深き地下牢へ放り込め! 財産はすべて国庫へ没収し、一族郎党の身分を剥奪する!」
「はっ!!」
大公の雷鳴のごとき号令の下、兵士たちが一斉に雪崩れ込み、ローゼン伯爵と、泣き叫ぶマルグリットを乱暴に拘束した。かつてエレオノーラに床を這いつくばるよう命じた傲慢な女伯は、今や化粧を涙でドロドロに溶かしながら、無様にも床を引き摺られて議場から退場させられていった。
巨大な害悪が排除され、広間には重く、しかし浄化されたような静寂が戻った。
玉座の前で、エレオノーラは静かに目を閉じ、深く、長く息を吐き出した。半年間、彼女の胸の奥底で燃え続けていた復讐の炎が、父の無念を晴らしたという確かな実感と共に、静かに鎮まっていくのを感じていた。
彼女はゆっくりと目を開け、広間の高い天井、色とりどりのステンドグラスから降り注ぐ春の陽光を見上げた。
(お父様……。私、やり遂げました。ヴァーレンベルクの誇りは、こうして守られましたわ)
彼女の蒼玉の瞳の奥に、ほんの一瞬だけ、強靭な理性の壁を越えて、温かい涙が薄らと滲んだ。しかし、彼女は決してそれをこぼすことはなかった。彼女はもはや、庇護を求めるか弱い令嬢ではなく、己の力で運命を切り拓いた戦乙女なのだから。
その時、大きな、無骨で温かな手が、彼女の華奢な肩をそっと包み込んだ。
振り返ると、ヴァレリウス大公が、普段の厳格な武人の顔ではなく、一人の男としての、深く優しい眼差しを彼女に向けていた。
「見事であった。貴女の知略と勇気は、我が軍の百万の剣にも勝る。貴女は今日、己の力で父の無念を晴らし、そしてこの国を救ったのだ」
「殿下……」
「国王陛下には私から上奏し、ヴァーレンベルク大公家の再興と、領地の返還を直ちに認めさせる。貴女はもはや罪人の娘ではない。誇り高き大公爵家の当主として、元の華やかな世界へ戻るがよい」
大公の言葉には、最大限の敬意と賛辞が含まれていた。しかし、その声の奥底には、手放したくない至宝を自ら手放さねばならないという、微かな、しかし確かな寂寥の響きが混じっていた。
エレオノーラは、大公の言葉を聞き、静かに首を横に振った。
彼女は自らの右手に嵌められた、重厚な銀狼の指輪を見つめた。この指輪が与えてくれたものは、単なる権力ではなかった。絶望の底にいた自分を信じ、共に戦う対等な存在として引き上げてくれた、この男の計り知れない信頼と情愛そのものであった。
「……お断りいたします」
エレオノーラは、凛とした声で、しかし、これまでにないほど甘く優しい響きを込めて言った。
「王都の華やかな社交界など、もはや私には何の価値もありません。私の居場所は、甘ったるい香水の匂いが立ち込めるこの広間ではなく……血と鉄と、そして古い羊皮紙の匂いがする、あの凍れる北の大地にあると存じます」
大公は目を見開いた。その隻眼に、驚愕と、そして隠しきれない歓喜の炎が灯るのを、エレオノーラははっきりと見た。
「エレオノーラ、それは……」
「私の命、私の叡智、そして私の魂のすべては、あの吹雪の夜、私を見出してくださった大公殿下の御手の中にございます」
エレオノーラは、大公の前に膝をつくことはしなかった。彼女は同じ目線で、己の主君であり、そして誰よりも愛する男を真っ直ぐに見据えた。
「殿下の御剣として、また殿下の背中を守る盾として。この命が尽きるまで、私は北の孤狼の傍らで、共に歩むことをお誓いいたします。……どうか、私を北の大地へとお連れください」
それは、騎士が主君に捧げる忠誠の誓いであると同時に、一人の女が一人の男に捧げる、この世で最も荘厳で、格式高き愛の告白であった。
ヴァレリウスは深く息を吸い込み、そして、周囲の貴族たちが見ている前で、堂々と彼女の手を取った。厚い革手袋越しにも伝わるその確かな熱に、エレオノーラは小さく、しかし極上の美しさをもって微笑み返した。
「……私の生涯をかけて、貴女という白百合を、北方の永遠の春において咲き誇らせてみせよう」
ステンドグラスを通した七色の春の光が、固く手を結び合った二人を祝福するように降り注いでいた。
不当なる貶めを受け、灰燼の中から立ち上がった高潔なる令嬢は、自らの気高さと叡智によって見事に自らを救済した。そして今、彼女は王宮の虚飾を打ち捨て、真実の愛と誇りを胸に、新たなる運命を切り拓くべく、愛する北の孤狼と共に輝かしい光の中へと歩み出していくのであった。




