36.兄が見ている世界 —入社試験②—
次に停まるバス停は駅前。まり姉が降車ボタンを押し、兄を揺すって起こした。
『あっくん、起きて!』
兄は寝ぼけたまま目を開ける。
『あー……まりちゃんだ。あれ? ここどこ? 一緒に暮らし始めたんだっけ?』
まり姉は必死だ。
『寝ぼけてないで起きなさい! 次で降りるんだから!』
兄はふにゃっと笑い、
『おはようのキスは? 昔約束したじゃん。一緒に暮らしたら、朝起きたらキスしてくれるって〜』
まり姉は半ばパニック状態で、
『わかったから! 一緒に暮らしたらしてあげるから! だから早く起きて!!』
『だから、もう暮らしてるんでしょ〜?』
兄が甘えるように言う。
……兄のこんな姿、見たくねえよ。
さっさと起きろよ、バカ兄。まり姉に迷惑かけんな。
『まだ一緒に暮らしてないからね! ほら、起きて!!』
まり姉は完全に必死だった。
まり姉と二人きりになると、IQ30くらい下がるんじゃないだろうか。
IQ差があると会話が成立しなくなるって言うし。
『じゃあ、俺からするよー』
そう言った兄は、まり姉の頬にキスをした。
肩に頭を預けていた体勢から無理に顔を動かしたせいで、そのままバランスを崩す。
ごつっ。
兄の顔面が、まり姉の胸、太ももへと順番にぶつかった。
その衝撃で、兄は一気に目を覚ます。
『まりちゃん、ごめん! 完全に寝てた!!』
まり姉の顔は真っ赤だった。
頬にキスされたと思ったら、胸にも顔が当たったのだ。
完全に頭がパンクしている。
だが兄の、
『あれ? まりちゃん大丈夫?』
という声で我に返ると、真っ赤な顔のまま笑顔を作り、
『あっくん、頑張ってこい!』
そう言って兄を送り出した。
その後、兄は汽車の切符を買い、始発列車へ乗り込む。
発車までまだ時間があり、扉も開いたままだ。
兄は座席に座りながら小さく呟いた。
『いい夢だったなぁ……。実現できるように頑張らないと。もう一回寝たら、夢の続き見れないかなぁ……』
どんだけ眠いんだよ。
そうツッコんだ瞬間、前日の兄の記憶が流れ込んできた。
兄は緊張でほとんど眠れていなかった。
試験当日の朝3時。
ようやく少し眠くなってきたところで、4時のアラーム。
……つまり徹夜である。
あー、はいはい。
だからこんなポンコツになってるわけか。
わたしは残念なものを見るような目で兄を見て、ため息をついた。
すると兄が寝言を漏らす。
『あいちゃん……排水溝詰まるから……』
……は?
次はわたしの夢か?
『そんな一気に剃ったら詰まるって! あー、排水溝掃除するから待ってて。女の子なんだから、浴槽に片足乗せて何してるの?』
兄の寝言は、まるで呆れながらわたしの世話をしているようだった。
だが、わたしの中には怒りが込み上げてくる。
おい、クソ兄。
どんな夢見てやがる。
終点に到着し、兄は駅員に起こされて列車を降りた。
駅を出ると、プリントアウトされた紙を持った女性が声をかけてくる。
『えーっと……その制服は〇〇工業高校だから、大坂君かな?』
『はい。本日はよろしくお願いします』
兄はすぐに頭を下げた。
会社へ到着し、試験開始を待つ兄。
目を閉じ、精神統一をしているように見えるが――実際は仮眠中である。
やがて試験官の人事担当者が口を開いた。
『それでは、これより試験を開始します。問題用紙と解答用紙を配布します』
全員に配られたのを確認すると、
『それでは開始してください』
兄の時間が始まった。
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