224. わたしのお付きの人探し③
家に到着すると、じいちゃんが笑いながら、
『亜衣! 遅かったな。』
と言った。
わたしはじいちゃんを軽く睨むが、じいちゃんは気づいていないのか、そのままの口調で、
『亜衣、身を清めて着物を着てもらいなさい。写経をすると言えば、お母さんにもわかるから。』
と言った。
わたしは、
クタクタなんですけど! 今からお風呂に入って着物を着ろと!?
退院してまだそれほど日も経っておらず、体力は戻っていない。
それでも状況は待ってくれないのだろう。
わたしは大きくため息をつき、離れへ戻ると、お母さんに、
『今から写経をするから、着物を出してほしいんだけど……。大丈夫かな?』
と尋ねた。
お母さんは、
『わかった。すぐ準備するから。歯もしっかり磨いておくのよ。』
と言った。
わたしは心の中で、
朝起きてすぐ磨いたし! わたし、口臭いの?
と心配になり、両手で口を覆って「はぁー」と息を吐いてみる。
……よくわからない。
その様子を見ていた兄は笑いながら、
『自分じゃ、自分の口臭ってわからないって言うよ。』
と言った。
わたしは頬を膨らませ、兄を睨む。
兄は興味なさそうに、
『写経の前は、口臭があるかどうかは関係ないよ。体はもちろん、特に手と口を清めてから行うものなんだ。』
と言う。
わたしは、
『じゃあ、あっくん! わたしの口、臭くないってことだよね?』
と尋ねた。
兄は、
『知らなーい。二度寝するから、おやすみ。』
と言って自室へ戻っていった。
「そんなことないよ。亜衣ちゃんの口臭は大丈夫だよ。」
その一言を言ってくれれば済む話なのに、どうしてそれができないの!?
そう思いながら、母に手伝ってもらって圧迫衣を脱ぎ、お風呂へ入る。
入浴後は歯を磨き、手も丁寧に洗った。
部屋へ戻ると、着物が準備されていた。
落ち着いた色合いの小紋と紬だ。
よかった。振袖で筆を持つなんて、書きにくくて仕方ないからね。
お母さんが、
『小紋か紬でいいと思うけど、亜衣ちゃんはどっちがいい?』
と尋ねる。
わたしは、
『初めてだからわからないけど……写経なら紬かな?』
と答えると、お母さんは着付けの準備を始めた。
まず圧迫衣を着せてもらう。
わたしが、
『着物のときも圧迫衣って必要なの?』
と尋ねると、
『お医者さんから、入浴以外は着けるように言われてるでしょう?』
と返されてしまった。
わたしは渋々納得し、着付けをしてもらった後、
お母さんはわたしの髪を落ち着いた色の髪紐で低い位置で一つに束ね、後れ毛を整える。
『これで大丈夫。筆に髪が当たると書きにくいし、特に写経の時は髪もまとめておいた方が書きやすいからね。』
とわたしに語りかける。
わたしは鏡に映る自分を見て、小さく頷いた後、お母さんにお礼を言う。
母屋へ行くと、じいちゃんも紬に羽織姿だった。
わたしは、
『じいちゃん、お待たせ! よろしくお願いします。』
と言う。
すると祖父は、
『亜衣、準備はできている。口と手を清めてきなさい。』
と言った。
わたしは、
えっ、やっぱり口臭いの!?
さっき手も洗ったんだけど!?
と再び脱力する。
それでも言われた通り、口をすすぎ、手を洗って戻った。
写経が始まる。
じいちゃんは正面に座り、静かにわたしを見守っている。
机の上には、写経に必要な道具だけが並んでいた。
わたしは姿勢を正し、正座をして深呼吸をする。
一礼してから、ゆっくりと筆を運び、一文字一文字に、分家の人たちへの感謝の気持ちを込めて丁寧に書き写していく。
途中、何度も集中が切れそうになった。
それでも最後まで書き上げることができた。
祖父は、
『最後に日付と願い事、それから名前を書きなさい。』
と言う。
兄は五歳の頃から、
「心願成就」
と書いていた。
本当に昔からブレない人だな。
そう思いながら、わたしは
「息災延命」
と書き、手を合わせて一礼した。
こうして、初めての写経は終わった。
立ち上がろうとした瞬間、足が痺れて立てず、その場へ座り込んでしまう。
そんなわたしを見て祖父は、
『亜衣、お疲れ様。』
と穏やかに声を掛けてくれた。
わたしは笑顔で、
『ありがとう。気付いたら一時間半も経ってて、びっくりしたけど思ったよりなんとかなったよ。』
と答える。
祖父は満足そうに頷き、
『それなら良かった。途中、何度も集中が途切れていたからな。集中が切れずに書けるようになるまで、今日から毎日、朝のお務めの後に写経をしなさい。』
と言って、わたしの絶望的な表情とは正反対の笑顔で片付けを始めた。
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