180.わたしの入院生活11
わたしは兄へ向かって言った。
『いやー、わたしがいない間に色々あったみたいだね。
期末試験、料理対決、自動車学校、新居探し……そして、まり姉とのデートかー。』
兄は照れくさそうに笑う。
わたしは少し間を置いて、
『もう今年も終わるね……。
あっ、そういえば〇林さんが来た場合って、何か対策を取った方がいいんだよね?』
と尋ねた。
兄は不思議そうな表情を浮かべ、
『何で対策が必要なの?
普通に会って話せばいいじゃん。』
と首を傾げる。
わたしは不安そうに眉を下げた。
『だって、今のわたしじゃ丸め込まれて、何を契約させられるか分からないよ……。』
兄は苦笑しながら首を横に振った。
『そんな心配はいらないと思うよ。
〇林さんだって、十七歳の亜衣ちゃんに無理やり契約させようなんて考えるような人じゃない。
今回の目的は、将来家督を継ぐ亜衣ちゃんと顔を繋いでおきたい、それだけだと思うよ。』
少し考えてから続ける。
『多分、
「何か困ったことがあれば相談してくださいね。」
そのくらいの話じゃないかな。
じいちゃんだって家督を継いだ直後は何をどう進めればいいか分からなくて、周りに頼りながらやってきたんだし。
亜衣ちゃんも、
“困った時は相談できる相手がいる”
そう思えるだけでも十分価値があると思うよ。』
兄は穏やかな笑みを浮かべた。
『そうやって少しずつ信頼関係を築いていけば、
“この人になら任せてもいい”
そう思える日が来るかもしれない。
銀行もお客さんとの信頼が何より大事だからね。』
わたしは兄の話を頭の中で整理する。
『つまり……
今のわたし自身に価値を見いだしてるというより、
将来へ向けた布石ってことなんだね。』
兄は静かに頷いた。
『そういうこと。』
わたしはさらに疑問をぶつける。
『じゃあ、そのことで〇林さん側のメリットって何?』
兄は少し考えてから答えた。
『例えばだけど、
〇林さんが勤める銀行が紹介する税理士さんや行政書士さんに相続手続きをお願いする可能性は十分あるよ。
銀行としても、
「相続まで無事終わりましたね。」
で終わりじゃなくて、
そこから先も付き合いを続けたいと思うはずだから。』
兄は続ける。
『相続手続きを進める中で資産状況も整理することになる。
その時、
「実は別の銀行にも預金があります。」
って分かったら、
“もし良ければ、こちらでもお預かりできますよ。”
くらいの提案は普通にすると思う。』
わたしは小さく頷く。
『営業としては自然な流れなんだね。』
『うん。
逆に言えば、
今ある預金が他の銀行へ移ってしまうのも避けたいと思うはず。
銀行は預金や取引残高が増えるほどメリットがあるからね。』
わたしはさらに質問する。
『なるほど……。
じゃあ〇林さんが一番避けたいことって?』
兄は少し笑みを浮かべた。
『じいちゃんが付き合ってる別の銀行に先を越されることじゃないかな。』
わたしは首を傾げる。
兄は説明を続けた。
『向こうが先に信頼関係を作ってしまえば、将来、「全部そっちへお願いしたい。」って亜衣ちゃんが判断する可能性もある。
そうなったら、〇林さん達は止められないからね。』
兄は少し悪戯っぽく笑う。
『だからさ。
じいちゃんが付き合ってるもう一つの銀行の担当者にも会ってみて、
偶然鉢合わせするようにしてみる?』
『亜衣ちゃんにとっては悪いことじゃないと思うよ。
同じ仕事をしている人同士だから、お互いの雰囲気も見えるし、
比較材料にもなるから。』
兄は少し残念そうな顔をしながらも、
『まあ、決めるのは亜衣ちゃんだからね。
でも、比較できる相手がいるっていうのは大事なことだと思うよ。
同じ業種でも考え方や提案の仕方は人それぞれだし、一度話を聞いてみるだけでも見えてくるものはあるから。』
と穏やかに話した。
わたしは首を横に振る。
『悪いけど、今のわたしにそんなストレスはいらないです。
今は退院して、高校を卒業することが最優先。
留年したとしても今の高校は卒業したいし、その後は通信制の大学へ進もうと思ってる。
そうなれば今より家にいる時間も長くなるだろうし、そういう話はその時にゆっくり考えるよ。』
兄は安心したように微笑んだ。
『亜衣ちゃんが自分でちゃんと考えて決めてるなら、それで十分だよ。
焦る必要はないし、自分のペースで進めればいい。』
そう言って立ち上がる。
『それじゃ、今日は帰るね。
次に会うのは退院直前か、それとも退院してからかな。』
兄が病室を出ようとした瞬間、
『待って!』
わたしは慌てて兄を呼び止めた。
兄が振り返る。
わたしはニヤリと笑って言った。
『アホ姉……じゃなかった、まり姉の動画。
わたしにも頂戴!』
兄は一瞬きょとんとした後、小さく笑う。
『あれは俺の宝物だから。
無条件ではあげられないな。』
『えぇーー!?』
わたしは思わず声を上げる。
頭の中で交渉材料を必死に探す。
……ない。
何一つない。
ゆりなら写真や黒歴史を山ほど持っていて交渉できた。
でも、わたしには兄を動かせるカードが何もない。
兄はそんなわたしを見て苦笑すると、
『また交渉材料を用意してから来てね。』
とだけ言い、病室を後にした。
閉まるドアを見つめながら、わたしは大きくため息をつく。
『くっそー……。
やっぱり、ゆりって交渉上手なんだなぁ。』
改めて、ゆりの恐ろしさを実感した、そんな一日だった。
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