118.兄が見ている世界 —自動車学校⑰—
翌朝、兄は朝のお務めのために目を覚ました。
隣では、ありさが気持ち良さそうに眠っている。
幼稚園の頃はよく一緒に昼寝をしていたが、今こうして見ると、ずいぶん大人っぽくなったなと思う。
兄はありさの髪をそっと撫で、冷えないように布団を掛け直した。
『行ってきます。』
小さく声を残し、兄は朝のお務めへ向かった。
お務めを終えて戻ってくると、今日もありさと陽子が言い争っていた。
どうやら今日は陽子の方がありさへ何か言っているらしい。
兄は苦笑しながら声を掛ける。
『ありちゃん、陽子ちゃん、おはよ。』
すると陽子が待ってましたと言わんばかりに振り向いた。
『ねぇ、あっくん聞いて!
ありありって昨日、私に色々言ったのに、自分は昨晩同じことしてるんだよ!
おかしくない?』
その言葉を聞き、兄は思わず吹き出した。
まき、陽子、ありさ。
三人の寝顔を思い出してしまったのだ。
『ごめん、ごめん。
寝顔思い出してたら、つい。』
そう漏らした瞬間、ありさと陽子が同時に反応する。
『何?』
『何かおかしなことあった?』
兄は慌てて首を振った。
『何でもないよ。
ただ、二人とも綺麗な大人のお姉さんって感じがしただけ。』
その言葉に二人は少し照れたような表情を浮かべる。
兄は続けた。
『まきちゃんは、まだわんぱくな感じが残ってて、あどけなさがあったからね。
二年の差って大きいなって思ったよ。』
陽子は首を傾げる。
『まきちゃん?』
一方、ありさは興味津々だ。
『何なに?
何があったのかな?』
兄は苦笑する。
『まきちゃん本人のスマホに動画が入ってるから、後で見せてもらってよ。』
そう言って話題を切り上げる。
『さあ、朝ごはん食べて出発しよう!』
三人は朝食を食べ始めた。
今日の朝食は、ご飯、味噌汁、目玉焼き、ボイルウインナー。
ありさと陽子は全て二回ずつおかわりし、朝から満足そうだ。
兄だけは、相変わらず小さなおにぎりをゆっくり食べている。
時間になると、呼んでいたタクシーへ三人で乗り込む。
まずはありさの家へ。
続いて陽子の家へ寄った。
その後、三人でバス停へ向かう。
待ち伏せの姿は見当たらない。
兄は辺りを見回した。
『もう待ち伏せしてた場所は過ぎたのかな?』
陽子は首を横に振る。
そして不安そうに兄へしがみ付いた。
やはり相当怖かったのだろう。
兄は優しく頭を撫でる。
しばらく歩いていると、陽子が掴む力が少しずつ強くなっていった。
その時だった。
『よう、陽子!
朝から男に抱き付いてるとか、どんだけ欲求不満なんだよ。』
腕に包帯を巻いた女子生徒が立っていた。
その隣には、あおいと呼ばれていた中心人物。
そしてもう一人。
正直、印象が薄くて覚えていない。
とにかく三人は道を塞ぐように立っていた。
兄は笑顔のまま声を掛ける。
『元々七人くらいいなかった?
残り四人は遅刻?』
返ってきたのは、あおいの舌打ちだけだった。
兄は小さくため息をつく。
そして歩みを止めることなく、そのまま三人の間へ進んでいった。
あおいと、腕を怪我した女子生徒の間を通り抜けようとする。
女子生徒が陽子へ手を伸ばした。
しかし兄は陽子の立ち位置を自然に入れ替える。
結果として、女子生徒が掴んだのは兄の腕だった。
兄は相手を真っ直ぐ見つめる。
その目は、まるでゴミを見るように冷たかった。
『そんなことにしか使わない手なら、無くなればいいのに。』
女子生徒の表情が固まる。
兄は静かに続けた。
『離せよ。』
声は大きくない。
だが、不思議と圧を感じる声だった。
女子生徒の手から力が抜ける。
その瞬間、兄は腕を振り払った。
そして何事もなかったかのように歩き出す。
ありさ、陽子、兄の三人は、そのままバス停へ向かった。
バス停へ着くと、陽子は兄にしがみ付いたまま泣き出した。
よほど怖かったのだろう。
ありさが背中をさすり、
兄が頭を撫でる。
三人はそのまま、静かにバスを待った。
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