10.兄が見ている世界 —進路指導室—
進路指導室へ到着し、兄はノックをしてから扉を開けた。
「機械科三年の大坂です。求人票を閲覧したくて来ました。入室してもよろしいでしょうか?」
中では、おばちゃん先生がテレビを見ながらお茶を飲んでいた。
「あら? 明日が三者面談なのに、求人票見るの少し遅くないかしら?」
「目星を付けている会社の求人票を、コピーさせて頂きたくて来ました」
「あら、じゃあご両親とは、ある程度話し合ってるのかしら」
「はい」
「ちなみに、どこの会社?」
兄は会社名を告げる。
すると、おばちゃん先生が少し驚いた顔をした。
「あら? ○○株式会社?
あなた、結構成績良いのねぇ」
へぇ。
やっぱり成績良かったんだ。
「ただ、大企業の子会社工場だから、福利厚生が良くて倍率高いわよ?
学校推薦でも、成績以外のアピールポイントが弱いと普通に落ちるから気を付けなさいね」
『○○って、どこにあるの?
本社は東京だろうけど』
私が聞いても、兄は答えない。
「コピーは、この一社だけでいいの?」
「○○重工と、○○製作所もお願いします」
どっちも地元じゃ有名な会社だ。
でも、実際どこにあるのかは詳しく知らない。
「どこも倍率高いところばっかりねぇ。
でも、その三社なら実家から通勤はかなりキツいわよ?」
「引っ越して、近くのアパートから通勤出来たらと考えていますので、問題ありません」
『いや、問題あるだろ』
私が言っても無視された。
「はい、どうぞ。
もう一回、科と名前をお願いね」
おばちゃん先生は、誰がどの会社をコピーしたのか名簿へ記入していく。
印刷を終えると、兄へ求人票を手渡した。
「ありがとうございます」
兄は軽く頭を下げ、進路指導室を出た。
「思ったより早く終わったな〜。
あと三十分、何しようかな」
『今こそ質問タイムにすべきでしょ』
「じゃあ何聞きたいの?」
『えーっと……』
「時間切れ。
また時間ある時に答えるから、質問まとめといて」
『ひどい……』
そんなやり取りをしていると、
「あっくん!」
同級生のありさが、小走りで近づいてきた。
…相変わらず立派だな。
というか、揺れるな。
何食べたらああ育つんだろ。
一回くらい触らせてくれないかな。
なんてことを考えていると、ありさが少し頬を膨らませた。
「あっくん、進路指導室行くって言ってたから、私もプリントしたあと行ったのに、もういないって酷くない?」
あらあら。
落ち着いた大人っぽい雰囲気かと思ってたけど、普通に可愛いじゃん。
「あっくんって、どこの会社希望してるの?」
「○○株式会社と、○○重工、それと○○製作所」
「どれも有名なところだね。
私だと学校推薦もらえそうにないや」
「でも、近い会社になったら住む場所も近くなるかもだよ?
休みの日に会うのだって難しくないだろうし」
……は?
私が聞いても答えなかったのに、
ありさには普通に答えるんだ?
やっぱり、おっぱいなのか?
世の中、おっぱいが正義なのか?
私は自分の胸を想像して、少し落ち込んだ。
「そろそろクレペリン検査の練習だっけ?」
「そうだね」
「頑張ってね」
「ありがとう。
三十分くらいで終わると思うから、そのあと、まりちゃんと一緒に帰ろうか」
「うん。まりちゃんにも言っとくね」
ありさは少し寂しそうに笑った。
『おいおい、あっくんよ〜。
ありさ、なんか寂しそうな顔してたじゃねえか〜』
私がからかうと、兄は不思議そうな顔をした。
「え? なんで?」
『……分っかんねぇかな〜』
クレペリン検査の練習が終わったあと、兄はありさと合流した。
まり姉は先に帰ったらしく、ありさは少し気まずそうだった。
「まりちゃん、予定あるから先帰るって」
「そうなんだ。
伝えてくれてありがとう。それじゃ帰ろうか」
「うん……」
帰り道、しばらく二人は無言だった。
やがて、ありさが口を開く。
「クレペリン検査って、どんなことしたの?」
「ひたすら足し算。
合図が鳴ったら次の行へ移るだけ」
「大変だったね」
「難しいわけじゃないけどね」
その後、バス停で待っていると、ありさが少し遠慮がちに聞いた。
「今度、まりちゃんと二人で出掛けるって聞いたんだけど…本当?」
「本当だよ。
お願い聞いてもらった、お礼みたいなものだけど」
「…私も一緒に行っていい?」
「まりちゃんがいいなら、俺は構わないよ」
そう言ったあと、兄はありさの顔を覗き込んだ。
「ありちゃん、体調悪い?」
「え?」
「なんか、いつもより元気ない気がする」
「そんなことないよ」
「…そっか」
兄は空を見上げた。
「バス全然来ないな〜。
時間より早く行っちゃったのかも」
そして、暑そうにため息をつく。
「次の便、二時間後か。
熱中症で倒れるわ」
そのあと、兄は自然な調子で言った。
「ありちゃん、どっか涼みに行く?
行くって言っても、イ○ンくらいしかないけど」
ありさは、一瞬目を丸くしたあと、
嬉しそうに頷いた。




