112.兄が見ている世界 —自動車学校⑪—
ありさが兄の袖を引いた。
『あっくん! あんな事言って良かったの?
あっくんが目を付けられるよ!』
と心配そうに言うが、兄は、
『いいんじゃない?』
と何でもないように返した。
ありさは、
『もう……』
と言って兄の後ろを付いていく。
陽子は相変わらず兄にべったりだ。
何事もなく、ありさ、陽子、兄の三人は淡々とスタンプを埋めていった。
お昼休憩の時、女子軍団が川田を連れてやってきた。
川田が先頭で、女子軍団は後ろで笑いながら見ている。
『お前か!
あおいに暴言吐いたのは!?』
と川田が怒鳴る。
陽子は川田の威圧に完全に怯え、兄へしがみ付いた。
兄は眉をひそめる。
『うるさい。失せろ。』
声は大きくない。
だが、不思議と周囲へ響く声だった。
川田は兄の顔を見ると、あからさまに嫌そうな表情を浮かべる。
しかし後ろの女子軍団を意識したのか、兄へ掴み掛かろうとした。
次の瞬間。
盛大に転んだ。
後頭部を床へ叩き付け、そのまま気絶する。
わたしには、自分で転んだようには見えなかった。
兄は不機嫌そうな顔をしたまま、ありさと陽子を連れて女子軍団へ近付く。
『言いたい事や、やりたい事があるなら俺の所へ直接来い。』
兄は声を張ることなく告げた。
女子軍団は誰も何も言えない。
兄はそのまま別のスペースへ移動した。
だが陽子は、まだ震えている。
兄はため息を吐きながら陽子の頭を撫でた。
ありさも呆れたような目で兄を見る。
『あっくんの望み通りでいいんだよね?』
兄は即答した。
『俺の望みは、何事もなく無難に過ごすことだよ。』
そう言ってから陽子を見る。
『ありちゃんや陽子ちゃんが攻撃されなかったら、それでいいよー。』
やる気のない声だった。
チャイムが鳴る。
それぞれスタンプを埋めるために動き出した。
そして枠と枠の間の休憩時間。
『ぎゃーーー!!』
女性の悲鳴が響いた。
皆が慌ててロッカー室へ向かう。
そこには、破壊されかけた兄のロッカーと、腕から血を流して座り込む女子生徒がいた。
兄は我関せずといった様子で路上教習へ向かう。
そして教習を終えて戻ると、自動車学校の職員に呼ばれ、ロッカー室へ連れて行かれた。
そこには腕を布で押さえた女子軍団の一人と警察官達がいた。
兄が使用しているロッカーは大きく破損している。
一人の警察官が近付いてきた。
『君が大坂君かな?
少し話を聞かせて欲しい。』
兄は別室へ案内された。
警察官は兄の顔を見るなり深いため息を吐く。
『君のロッカーを壊して荷物を盗ろうとした女の子が怪我をしたんだ。
何か知っていることはあるか?』
兄は即答する。
『何もありません。
監視カメラを確認していただければ分かるのではないでしょうか。』
警察官は頷いた。
『確認した。
ロッカーの中にも不審な物はなかった。』
部屋に沈黙が流れる。
その時だった。
勢いよく扉が開く。
『大坂君はこの部屋かな!?』
別の警察官が飛び込んできた。
先程の警察官は立ち上がる。
『悪い。ちょっと状況が変わった。』
そう言って席を譲った。
新しく来た警察官は疲れ切った顔をしている。
『君のおじいさんが、証拠も無いのにこの件で君を疑うのはおかしいと言って警察署へ来ていてな。
顧問弁護士や地元の有力者まで集まってしまって、署内が大騒ぎなんだ。』
と深いため息をついた。
そして、
『現時点では君に疑わしい点は見当たらない。
必要があれば改めて話を聞くから、今日はもう帰っていい。
こっちはこっちで、この騒ぎを収めないといけなくてな……。』
と言った。
兄は少し考えてから答えた。
『今日は予定の教習を終わらせたら帰宅予定なので、何かあればお声掛け下さい。』
警察官は苦笑しながら、
『ああ、わかった。』
と言った。
兄は軽く頭を下げ、その場を後にした。
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