104.兄が見ている世界 —自動車学校③—
17時から18時の枠。
ありさの今日一日の成果が、今まさに試されようとしていた。
今日の兄はシートベルトを締めたまま、落ち着いた様子で座っている。
わたしは不思議に思い、兄へ尋ねた。
『昨日はあんなにビビってたのに、今日は何でそんなに落ち着いてるの?』
兄は少し笑いながら答えた。
『ありちゃんの性格だからだよ。
旋盤の時も溶接の時も、最初は「何でこうなる?」って失敗を目一杯する。
その悔しさをバネに目一杯努力するんだ。
気付いたら、手順通りにやることに関しては俺より上達してる。
ただ、突発的な不具合をリカバリーするところまでは、まだ至らないかな。
まあ見てて。』
兄の記憶の続きを見る。
ありさは順調に運転している。
今のところエンストもしていない。
坂道発進もサイドブレーキを使い、問題なくクリアした。
そして二回目の坂道発進。
教官が提案する。
『サイドブレーキ無しで坂道発進してみようか。』
ありさは一気に慌て始めた。
『え? え?』
教官は落ち着いた口調で説明する。
『半クラッチも上達してきたし、大丈夫だと思うよ。
アクセルを少し強めに踏んで、早めに動力を繋げられるようクラッチを調整してみよう。』
そこで兄が口を挟んだ。
『後ろに車がいる状態なので、今回は見送って次回がいいと思います。』
教官は笑う。
『大丈夫、大丈夫。
かなり上達してきてるし、後ろの車も十分に車間距離を取って止まってるから。
荒木さん、安心して落ち着いてやってみよう。』
ありさは覚悟を決めたように、
『はい。』
と返事をした。
兄は兄で覚悟を決め、座席にしがみ付く。
サイドブレーキを使わず坂道発進を試みた瞬間――
車が後ろへ下がった。
教官の補助ブレーキが作動し、車は急停止。
そのままエンストした。
ありさは今にも泣きそうな顔になっている。
兄はというと、
「今、本当は、かなり下がったんじゃないか?」
という顔で後続車を見ていた。
教官は苦笑しながら言う。
『まだ少し早かったかな。
だいぶ上達してきたと思ったんだけどな。
明日は克服できるように頑張ろう!』
そう励ました後、
『あと五分で終わるから、そろそろ駐車スペースに戻ろう。』
と続けた。
ありさは弱々しく、
『はい……』
と返し、再びエンジンを始動させた。
今日の教習が終わり、自動車学校のバスで帰宅する。
バスを降りた後も、ありさは落ち込んだままだ。
兄は軽くため息をついた。
『ありちゃん、今日一日でとっても上達したね。
よく頑張ったね。』
ありさは少し膨れた顔になる。
『私、今日一日頑張ったのになー。』
兄は優しく微笑んだ。
『ありちゃんは本当によく頑張ってたと思うよ。』
ありさは小さく笑った後、
『あっくん、ありがと。
それなのに何でかなー?』
と首を傾げる。
兄は問い返した。
『難しいよね。
ありちゃんは、どうしてだと思う?』
わたしは思った。
この流れは、あれだ。
受け流し。
自分で考えさせて、自分で答えを出させるやつだ。
しばらく話した後、
ありさはスッキリした顔になった。
『そうだね!
明日もお互い頑張ろうね!』
そう言ってニコニコしながら帰っていった。
次の日の朝。
バス停へ向かうと、すでにありさが待っていた。
兄が、
『ありちゃん、おはよー。』
と声を掛ける。
しかし、ありさの表情はまた暗くなっていた。
兄は心配そうに尋ねる。
『ありちゃん、何かあった?』
ありさは少し困った顔で話し始めた。
『昨日ね、お母さんと話した時に、自動車学校は高校在学中いっぱい使ってゆっくり通うって言ったの。
そしたら、
「四月から社会人なんだから、そんなのダメに決まってるでしょ」
って言われちゃった。』
兄は苦笑する。
『アパート探し、家具家電の購入、引っ越し、車を買ったり、住民票を移したり。
やらなきゃいけないこと、いっぱいあるからね。
県外就職組は特にその傾向が強いよね。』
ありさは大きく頷いた。
『そうなの!
私もあっくんも地元就職組だけど、引っ越しとか色々あるもんね。
まりちゃんのこと言ったら、
「学生は夏休みがあるけど、社会人には無いでしょ」
だって。』
兄は、
『確かにね。
社会人になったら春休みも夏休みも冬休みも無いもんねー。』
と軽くため息をついた。
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