103.兄が見ている世界 —自動車学校②—
兄の運転の後は、ありさの番だ。
兄は後部座席へ乗り込み、シートベルトを締めると、どこか掴める場所がないか探し始めた。
教官が、
『荒木さん、さっき大坂君がしたようにやってみようか。まずは車に乗り込むところからだな。』
と声を掛ける。
ありさは、
『はい。』
と元気よく返事をした。
車の周囲をさっと見回した後、車の下も確認する。
そのまま乗り込もうとしたところで、
『流石に今のは見過ぎかな。
ちゃんと確認しないと、この確認の意味がないからね。もう一度しっかり見てみようか。』
と教官に止められた。
ありさは、
『はい。』
と答え、今度は丁寧に確認してから車へ乗り込む。
サイドミラーとルームミラーを調整し、エンジンをかけた。
しかし次の瞬間、
ガタッ
と車が揺れ、そのまま停止した。
わたしは、
「え? 何があった?」
と思った。
ありさは完全にパニックだ。
『え? え? え?
何? 何?』
教官は落ち着いた様子で、
『クラッチペダルをしっかり踏み込んで、もう一回やってみよう。』
と説明する。
ありさは深呼吸をして、再びエンジンを始動した。
今度はサイドブレーキを解除し、車を動かし始める。
兄は自分の座席にしがみ付いた。
大袈裟だな、とわたしは思った。
だが次の瞬間、
ぐわん。
ぐわん。
ぐわん。
急発進と急停止を繰り返し、車は再び停止した。
ありさは、自分で運転しているにもかかわらず恐怖で固まっている。
教官は苦笑しながら、
『半クラッチの感覚が上手く掴めなかったかな?
もう一回やってみようか。』
と促した。
ありさは、
『はい。』
と返事をし、再挑戦する。
だが再びエンスト。
そんなやり取りを何度か繰り返した。
時間になり、兄と交代かと思ったその時だった。
ありさが真剣な表情で、
『私、悔しいからもう一時間やります。』
と宣言する。
兄は車を降りながら、
『それなら俺は学科に――』
と言いかけた。
すると、
『あっくんは私の運転を後ろで見てて!』
と、ありさが少し大きな声で言った。
兄は即座に姿勢を正し、
『はい!』
と返事をした。
わたしは、
「あれ? ありさってこんな感じだったっけ?」
と少し驚いた。
次の時間もありさの運転だった。
少しずつ上達しているように見える。
真っ直ぐ走れている。
……ように見えるのだが、何か違和感がある。
そう。
左の車輪が縁石に乗り上げたまま走っていた。
教官が、
『左の車輪が縁石に乗った状態で走ってるから――』
と言いかけた瞬間、
ありさは勢いよくハンドルを右へ切った。
ガッシャン!
という音が響く。
だが結果的には縁石走行から脱出できた。
わたしは、
「車の運転って難しいんだな。」
と学んだ。
田舎だから大人はみんな運転しているし、難しそうにしているようには見えなかった。
でも、わざわざ自動車学校があるくらいなのだから、きっと難しくて、しっかり練習する必要があるものなんだろう。
兄を見る。
涙目だった。
そんな顔を見たことがない。
何度も腕時計を確認し、早くこの時間が終わることを祈っているように見えた。
ありさの運転時間が終わった頃には18時になっていた。
二人は自動車学校の送迎バスに乗り、帰宅した。
翌日。
ありさと二人で送迎バスを待っていると、
『今日はエンストしないように頑張るから、後ろで見守っててね。』
とありさが兄へ話しかけた。
兄は少し硬直した後、
『学科も進めたいから、ありちゃんが今日運転する最後の時間に乗せてほしいな。』
と引きつった笑顔を浮かべる。
ありさは少し不満そうだったが、
『私も学科を進めないといけないんだけど、あっくんの運転には乗ってたいんだけどいいかな?』
と尋ねた。
兄は笑顔で、
『いいよ。
元々ありちゃんは、まりちゃんを待ちながら通う予定なんだし、俺ほど急いでないでしょ?
学科は実技よりスタンプを集めやすいからね。』
と答えた。
自動車学校へ到着すると、兄とありさは交互に運転を始めた。
兄は、ありさが運転している時間は学科を進める。
一方のありさは、お昼休憩を除き、朝9時から18時まで運転席か後部座席のどちらかに乗り続けていた。
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