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第17話 ノーダメージなら気にしないから

午前六時半。

つむぎが早朝の品出しバイトへ出かけた後のひだまり荘で、神代くましろは一人、アパートの共用廊下に置かれた洗濯機の前で腕を組んでいた。


彼は今、紬の中学校時代の指定ジャージ――デカデカと『白石』と書かれ、手首と足首が完全にはみ出しているつんつるてんの通称白石ジャージ――を着て、極めて真剣な顔で洗濯カゴを見つめていた。


「……色物の分別や、シワになりやすい素材の選別。そこまでは理解できます。しかし……この極端に布地の少ない衣類。型崩れのリスクを考えると、最適解が見つからない……」


「……朝っぱらから変態姿で下着睨みつけて、何ブツブツ言ってんのさ、神代センセー」


振り返ると、ボサボサ頭にスウェット姿のすめらぎが、欠伸をしながら立っていた。徹夜明けの自称ライターである。


「あ、皇さん。実は、白石さんの家事負担を減らすべく洗濯を行っているのですが、このデリケートな布地のコンプライアンスが……」


「あー、センセー、頭はキレるのにそういう生活の知恵はサッパリだもんね。こういうのはネットに入れて手洗いモードで回すの。……あ、そうだ。教えるついでに、私の分も一緒に回しといてくんない? 締め切り前で、洗濯機回す気力すらないのよ」


皇はそう言うと、持っていた洗濯カゴから、明らかに紬のものとはサイズも装飾も異なる「黒色で大ぶりなレースの下着」をポンと放り込んできた。


「こ、これは……白石さんのものとは構造が根本的に異なりますね。ワイヤーの強度が……」


「細かいことは気にしない! ネットに入れりゃ一緒一緒! さっすが専属主夫、じゃあ干すのもよろしくー」


皇は自分の洗濯物を押し付けると、ひらひらと手を振って部屋へ戻っていった。




数十分後。

洗濯を終えた神代は、アパートの共用廊下にロープを張り、ピンとシワを伸ばしながら手際よく洗濯物を干していた。

もちろん、紬と皇のデリケートな衣類は、外から見えないようタオルの内側に隠すという完璧な防衛陣形(干し方)を構築している。


「完璧です。これで彼女たちの資産は守られ……」


神代が満足げに頷いた、その時だった。

ビュォォォォッ!

春特有の、強い突風がアパートの廊下を吹き抜けた。


「あっ」


風の抵抗をモロに受けた洗濯バサミが、パチン、パチンと二つ弾け飛んだ。

そこから解放されたのは、紬のパステルカラーの可愛らしい下着と、皇のやたらと戦闘力の高い黒レースの下着だった。


「いけないっ! 第1保護対象と第2保護対象が同時にッ!」


神代は反射的に廊下を蹴り出し、宙を舞う二つの下着を追って階段を駆け下りた。

アパートの前の道路へフワフワと飛んでいく布地たち。地面の泥に落ちる直前、神代はアスファルトへダイブするように両手を伸ばし――見事、右手と左手でそれぞれを空中でキャッチした。


「……ふぅ。なんとか、両方の汚損は免れましたね」


神代が安堵の息を吐き、膝の砂を払いながら立ち上がった、その瞬間。


「……ちょっとお兄さん。その格好でその両手、かなり説明が必要だと思うんだけど」


背後から、仕事中の事務的で、しかし確かな警戒を含んだ声がした。

振り返ると、そこには自転車に跨った二人の警察官が、完全に怪訝な目で神代をじっと見つめていた。


「お、お巡りさん。おはようございます。あはは、これはですね……」


「女子中学生用のジャージ。右手には可憐なパステルカラー。左手にはやたらと大人っぽい黒レース。……お兄さん、かなり幅広いポートフォリオ組んでるね。とりあえず身分証見せてもらえるかな」


「違います! これは質量と強度の異なる二つの資産を、落下ダメージから守るための同時並行処理であり、決して私の個人的な嗜好に基づくコレクションでは……!」


神代が「元法務部」としての理路整然とした弁明をしていると、二階の廊下から能天気な声が降ってきた。


「おーいセンセー! 私の高級レース、土に落としてないよねー!?」


「あ、皇さん! 丁度良かった、彼らに僕が不審者ではないと……!」


「うわ、警察? センセー、ついに一線越えちゃった? 犯罪はダメだよー。まぁ私のはノーダメージなら気にしないから、調書取られた後で干しといてねー!」


ガラッ、ピシャリ。

皇は一切の助け舟を出すことなく、面白がって自室へと引っ込んでしまった。


「……なるほど。アパートの住人から手広くやってるわけだね。行くよ、お兄さん」


「誤解です! 彼女は合意の上で私に洗濯の委託を……っ!」


――その時。

早朝の品出しを終えた紬が、重い足取りでアパートの敷地へ帰ってきた。

そして、警察官から厳しい事情聴取を受けている『自分のジャージを着た男』と、その両手にある『自分の下着』と『隣の巨乳ライターの下着』を見て、ゆっくりと足を止めた。


「……………最悪」


「あ、白石さん! おかえりなさい! お願いです、僕が下着泥棒ではないと証言を……!」


「……その格好で、うちの前に立たないで」


紬は、怒鳴ることもなく、ただひどく冷めた目で神代を一瞥した。

そして、他人のフリをして、スタスタとアパートの階段を上っていく。


「白石さん!? なぜ他人のような目を……!」


「知人の方? ちょっと、お嬢ちゃんも話を聞かせて……」


警察官が呼び止めようとするが、紬は階段の途中で一度だけ振り返り、神代の「両手」をジロリと睨んで、ため息混じりに言い放った。


「……あと、その下着。もう一回ちゃんと洗ってから返してね。……それと、私のと皇さんの、一緒に洗わないでよ。なんか、ムカつくから」


「白石さぁぁん!!」


休日の静かな朝。呆れ返る警察官を前に、元エリートサラリーマンの必死の弁明が、ひだまり荘の前に空しく響き渡るのだった。


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