第18話 すっごくエモくない!?
月曜日、午前七時半。
休日の過酷なバイト連勤を終え、泥のように眠っていた紬は、目覚まし時計の音で重い体を起こした。
「……んん……」
ぼんやりとした頭で四畳半の部屋を見渡すと、すでに神代が布団を畳み終え、ちゃぶ台の上に完璧な朝食(鮭の塩焼き、ほうれん草のお浸し、豆腐の味噌汁)を並べて待機していた。
「おはようございます、白石さん。本日は月曜日。一週間のスタートを切るにふさわしい、胃に優しくエネルギー効率の良いメニューをご用意しました」
「……おじさん、朝から声デカい」
神代は、紬の中学時代の指定ジャージの上からモモンガちゃんエプロンを纏い、やたらと良い姿勢で直立不動している。
外では黒スーツを着ているらしいが、家の中でのこのふざけた格好を見慣れてしまうと、彼が元エリートだという事実すら霞んでしまう。
だが、朝ご飯を自分で作らなくていい。ただ起きて、温かいご飯を食べるだけ。
それだけで、月曜日の憂鬱さが少しだけマシになっていることに、紬自身も気づき始めていた。
「ごちそうさま。じゃ、行ってくるから」
「はい。あ、白石さん、本日のお弁当です。保冷剤も入れてありますので」
神代が、紬の通学カバンに小さな包みをそっと差し出した。
「……ん。ありがと。毎日悪いね」
「とんでもない。以前のように、スーパーの半額コロッケ等ばかりの偏った食事では、午後の授業のパフォーマンスに悪影響が出ますから。僕の家政婦としてのプライドにかけても、栄養管理は徹底させていただきます」
「……一言多いんだよなぁ、ほんと」
紬は呆れながらも、少しだけ口角を上げて包みを受け取り、アパートを出た。
午後十二時半。県立高校の二年C組。
午前中の授業を終え、昼休みのチャイムが鳴ると同時に、春野 陽菜が自分のお弁当を持って紬の席へとやってきた。
「つーむぎっ! お昼一緒に食べよ!」
「……ん」
紬はカバンから、神代が持たせてくれたお弁当の包みを取り出した。
フタを開けた瞬間、陽菜が「わぁっ!」と目を輝かせた。
「えっ、今日もすっごく美味しそう! 彩りも綺麗だし、お店の和風ランチみたい! 紬、最近お弁当のレベル高すぎない? 女子力カンストしてるよ!」
「……うん。まぁ、ちょっとね。練習してるから」
紬は平静を装いながら、誤魔化すように卵焼きを口に運んだ。
(……ほんとは、三十五歳の無職のおじさんがピンセット使って配置してるなんて、絶対に言えない)
「あ、そうだ! ねぇ聞いてよ紬! 陽菜さ、土曜日にすっごく運命的な出会いしちゃったの!」
陽菜は自分のお弁当を広げながら、興奮気味に身を乗り出してきた。
「運命的な出会い?」
「うん! 土曜の夕方なんだけどね、駅の近くの河川敷で、すっごく訳ありでミステリアスな男の人がいて!」
(土曜の夕方……。アタシはカフェのピークで客のオーダー捌くのに必死だった時間だな)
紬は心の中で相槌を打ちながら、麦茶を飲んだ。
「どんな人かっていうとね……まるで映画の暗殺者みたいなの! 漆黒の特注スーツを着こなしてて、背が高くて、目がすっごく鋭くて……もう、世界を敵に回して戦ってる孤高のダークヒーローって感じ!」
「…………は?」
紬は思わず聞き返した。
(映画の暗殺者? 孤高のダークヒーロー?)
今朝、ツンツルテンのジャージを着て味噌汁をよそっていた神代の姿とは、一億光年くらいかけ離れている。
「それでね、何か巨大な組織から隠れてるみたいで、社会から完全に弾かれちゃったんだって! でもね、聞いて! その理由が『自分を救ってくれた少女を守るため』なの!」
「……少女を守るため?」
「そう!『彼女が帰る場所を守るためなら、自分は家事でもなんだって完璧にこなしてみせる』って。……もう、主君に忠誠を誓う悲劇の騎士みたいで、すっごくエモくない!?」
陽菜は両手を組んで、うっとりとしたため息を吐いた。神代の「仕事が見つからなくて家事しかできない不甲斐なさ」が、陽菜の少女漫画フィルターを通った結果、とんでもない脚色をされてしまっていた。
紬は、完全に死んだ目で親友の顔を見つめた。
「……陽菜」
「ん?」
「アンタ、完全に深夜アニメかラノベの見すぎ。それ、絶対痛い中二病のコスプレイヤーか、そういうコンセプトカフェのキャッチだから」
「ええー!? 違うもん、すっごく切実な顔で缶コーヒー握りしめてたもん!」
「設定に入り込んでるだけでしょ。真っ昼間から黒スーツ着て『少女を守る騎士』とか自称してる成人男性なんて、関わったら絶対にろくなことにならないから。警察呼ばれるレベルの地雷だよ」
紬は呆れ果てて、完璧な形をしたタコさんウインナーを噛み砕いた。
まさか陽菜が絶賛している「孤高の暗殺者(騎士)」と、自分が食べている「この完璧なお弁当の作者」が同一人物だとは、一ミリたりとも思っていない。
「とにかく! 陽菜はすぐ影響されやすいんだから、もし次そのヤバいコスプレイヤーに会っても、絶対に関わっちゃダメ。声かけられても逃げなさい」
「むー。紬の分からず屋! 陽菜、もし次会ったら絶対名前聞くもんねー!」
世話焼きで妄想癖のある親友が、どこぞの痛い不審者に引っかかりそうになっている。
紬は、保護者のような頭痛を感じながら、小さくため息をつくのだった。




