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第14話 ちょっと見た目と頭がアレなだけで

午前七時半。


駅前スーパーの搬入口での「事務処理」を完璧に終えた神代くましろは、アパートには戻らず、スーパーに隣接する小さな公園のベンチに腰を下ろしていた。

つむぎのシフトが終わる八時まで、あと三十分。

彼女の仕事の邪魔をする気はないが、帰り道でまた理不尽なトラブルに巻き込まれていないか心配で、少し離れた場所から見守るつもりだった。


「……ふぅ。少し、熱が入りすぎてしまいましたね」


神代は、ベンチで小さく息を吐いた。

休日の早朝とはいえ、公園にはすでに早起きした近所の子供たちが数人集まり、元気にキャッチボールをして遊んでいる。

その無邪気な姿を眺めていると、神代の鋭くこけた頬が、ふわりと柔らかく緩んだ。


コロコロ……。

不意に、子供たちが投げ損ねたゴムボールが、神代の革靴の足元まで転がってきた。


「おや」


神代は立ち上がり、ボールを拾い上げると、遠くで様子を窺っている少年に向かって優しく微笑みかけた。


「ほら、気をつけて遊ぶんだよ」


神代としては、近所の気のいいおじさんとして100点の対応をしたつもりだった。

しかし、客観的な現実は残酷である。

早朝の公園。漆黒の極道スーツ。死神のように痩せこけた男が、ボールを片手に「気をつけて遊ぶんだよ(=怪我したくなかったらな)」と、感情の読めない目で微笑みかけているのだ。


「……っ!」


少年はヒィッと短い悲鳴を上げ、ボールを受け取るなり脱兎のごとく逃げていった。


「……? 随分と元気な子ですね」


神代が不思議そうに首を傾げた、その時である。


「――ちょっとそこのお兄さん。おはようございます。少し、お話いいかな?」


背後から声をかけられ、振り返ると、そこには自転車に乗った二人の警察官が厳しい顔をして立っていた。


「おはようございます。……私に何かご用でしょうか?」


「いやね、朝早くから随分と『気合の入った』格好で公園にいるもんだから。身分証とか、持ってる?」


「身分証、ですか。申し訳ありません、あいにく今は持ち合わせておりませんで。ただ、私がここに滞在することは、何ら違法性を帯びるものでは……」


神代の「法務部」としての癖が、最悪の形で発動した。

一切動揺のない理路整然とした口調。そして、スラスラと出てくる法律用語。警察官たちの表情が「ただの不審者」から「本職のヤバい奴」を見る目へと一段階引き締まる。


「……お兄さん、ちょっとそこの交番までご同行願えるかな。ポケットの中身も確認させてもらいたいんだけど」


「任意同行の要請ですか。理由はなんでしょう。私はただ、知人の仕事が終わるのを待っていただけでして……」


「――何やってんの、おじさん」


神代が論理的に警察官を詰めようとしていたその時、絶対零度の冷たい声が割って入った。

見ると、エプロンを外してリュックを背負った紬が、ゴミを見るような目で神代を睨み下ろしていた。


「あ、白石さん。お疲れ様です」


「……お巡りさん、すみません。その人、うちの親戚の……ただの無職の居候です。ちょっと見た目と頭がアレなだけで、悪い人じゃないんで」


紬は深々と警察官に頭を下げると、神代のスーツの袖をガシッと掴んだ。


「ほら、帰るよ。あんたがこんな格好でウロウロしてたら、近所迷惑でしょ」


「えっ、あ、はい。お巡りさんも、お勤めご苦労様です。では、失礼します」


神代はペコリと綺麗な角度でお辞儀をし、紬にズルズルと引きずられながら公園を後にした。警察官たちは、そのあまりの落差にポカンと口を開けて見送るしかなかった。






「……はぁ。朝から何やってんの。なんで公園で警察に囲まれてるわけ?」


アパートへの帰り道。

紬は前を歩きながら、呆れ果てたようにため息をついた。


「申し訳ありません。子供にボールを返してあげただけなのですが、なにか問題があったんでしょうか」


「全部に決まってるでしょ。朝っぱらからそんな格好で公園にいたら、誰だって通報するわよ。ていうか、なんで家に帰ってないの」


紬がジロリと振り返る。

神代は少し気まずそうに目を伏せ、ポツリと零した。


「……その。白石さんがまた、理不尽なトラブルに巻き込まれたらと思って。帰り道くらい、ご一緒できればと……」


「…………っ」


紬の足が、ピタリと止まった。

わざわざ自分のシフトが終わる八時まで、あの居心地の悪い公園で、警察に怪しまれながらもずっと待っていてくれたというのか。

この、とことん不器用でお人好しな「大人」は。


「……バカじゃないの」


紬はプイッとそっぽを向いたが、その声は先ほどまでの怒りが嘘のように、微かに震えていた。


「私、そんな子供じゃないし。一人で帰れるし」


「ええ、分かっています。ただの、僕の自己満足です」


神代が後ろから申し訳なさそうに歩いてくる。

紬は真っ赤になった耳まで隠すように、早足でアパートへの道を急いだ。


「……ほら、早く歩いて。お腹すいた。もう、おじさんに朝ご飯作ってもらうからね」


「もちろんです、帰ったらすぐ用意しますね」


朝の冷たい空気の中、二人の影が少しだけ近づきながら、ひだまり荘へと伸びていった。




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