最終話 『真なる歌は、我が名と共に』 その71
悪神の全ての気配が、この世界から消え去る。地下の奥にあった残骸のよう異界の痕跡さえも、滅びて失われた。黒竜アーレスは、その二つの金色の瞳で、それを確認する。
『……勝ったぞ』
「……はい……っ。よ、良かった……っ。うう、本当に、良かった!守れた!!本当に、良かったよおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!うあ、うああああっ!!お姉さま、おねえ、さま!!おねえさまあああああああああああッッッ!!!」
失った記憶は、その名前も姿も、メリッサ・ロウに与えてくれることはない。だとすれば、全ての竜騎士が還る、このガルーナの空へと叫ぶのみ。
華奢なケットシーの身体を大きく揺さぶって、赤い歌の果てに澄み切った、青い天空を涙があふれた双眸に映す。歪む視界のなかでも、ガルーナの空は美しい。
しばらくのあいだ、泣きじゃくる。
やさしい黒竜も、それに付き合うのだ。竜は、もう泣くことはない。竜の『王』として、竜騎士姫に仕えた最強の竜として、アーレスという名と共に、他の誰よりも長く語り継がれる歌とならねばならいのだから。
弱さとは。
最も遠い力を表現するために、最強の竜は、微笑みと共に、脅威の去った空を旋回し続けた……。
涙も、やがては終わる。悲しみは尽きることがなかったとしても、生きて貫くべき約束がメリッサ・ロウにもあるのだから。
「アーレス。戻りましょう。リアムさまと、カレンさまのところに。私たちは、お姉さまの代わりに、ストラウスとガルーナを守り続けなければなりません。私が、戦場に、いなかったという意味は……他にはないのだから」
主である竜騎士姫からの命令も、記憶にはない。それでも、考えられるのだ。
「お姉さまは、抱きしめて離したくなかったはずのお二人を……生まれたばかりのリアムさまとカレンさまを、私たちに託したのです」
『ああ。戻ろうぜ。あいつらを、守ってやろう。まだまだ、ストラウスと呼ぶには、小さすぎるし、弱すぎる……長く、長く、時間をかけて、育ててやらねばならないだろう?』
「はい。人の成長には、たくさんの時間が必要なのですから。私たちの仕事も、とても長くなりますよ」
『分かっているさ』
「……アーレス。貴方は、誰よりも、長く生きなさい。このガルーナは、貴方が守り続ける限り、絶対に滅びることはないのですから」
『守ろう。人の命が、いくつ、終わりを迎えたとしても……オレは、竜だ。どんな命よりも長く、この空と……この王国を守る。オレが生きる限り、竜騎士姫の歌も続くのだから』
「はい。遠い未来の果てまで、お姉さまの歌を、届けてください」
『ああ。だが……竜は、とても強いのだが』
「……ええ。分かっていますよ」
少女の腕が、戦いで傷ついた竜の長い首の付け根を抱きしめてやる。悪神との激闘のせいで、全身に傷が入り、飛んでいるだけでも激痛が駆け回っているというのに、それでも、その細い腕が抱きしめてくれる場所は、あまりにも温かい。
「空を、ひとりぼっちで飛ぶなんて。さみしすぎますからね」
『……おう』
「ストラウス家は、貴方と共に在るでしょう。いつまでも、一緒に。どこまでも、遠くに。貴方と共に、在るのです。お姉さまの創られた、竜騎士の技巧と知識と……遺された血は、貴方の歌と、一つに融けて……かたわらに」
それならば。
さみしくなんて、ないのだから。
多くの命が、育って。老いて。死んでいく。
歌となって、空に響くのだ。
それでも、竜は生きる。最強の竜、アーレスは……あらゆる竜の『王』として、その血を増やし、ガルーナを支えていくのだ。
途方もなく、長い仕事となるだろう。
竜騎士姫との再会は、ずっと、ずっと、長い任務を成し遂げた果てにしか訪れることはない。
だが、ストラウスの血が、竜と共に在る限り―――。
『―――さみしくなど、ないのだからな』
「……はい」
少女の袖が顔をぬらした涙を拭い去り、『家』を見た。一生を捧げることになる、ストラウスの一族が住む家だ。
「……ただいまです、お姉さま」
長い。
長い。
物語の、始まりの一つがこうして終わる。
竜騎士姫の歌は、アーレスと一つに融けて。
空から戻った竜と少女は、双子と再会する。笑顔を選び、抱きしめた。二人をその腕のなかに抱きしめ、誓うのだ。
全ての竜騎士の力を、二人に伝えると。最強の竜騎士一族、ストラウス家は、永遠に不滅なのだと。未来の果てまで続く力の礎を、メリッサ・ロウは完成させると誓ったのだ。
彼女は、その誓いを守ることになる。
風車で風の速度を測り、他の竜騎士の一族の家をも巡り、竜乗りの技巧を完成させていった。
「少しばかり、違う形となるでしょう。お姉さまは人間族でしたが、私はケットシーですから。それでも、構わない。お姉さまのような本当の天才が現れたとき、私の間違いは補正されるのですから。実に、楽しみなことなんですよ、ジーンさん」
ジーン・ストラウスの墓は、ティファ・ストラウスの墓のそばに作られた。彼が死に間際に叫んだ言葉は、あの戦場にいた者たちにより、伝えられている。
―――『最も幸せな男、ジーン。その最初の妻ティファ・ストラウス。二人目の妻、竜騎士姫。ここに眠る』。
不幸な男は、消えたのだ。愛する妻を二人、愛する子を二人。英雄の歌でさえ消えぬ孤独も不幸も、彼が二度と感じるはずもない。




