最終話 『真なる歌は、我が名と共に』 その64
消えゆく彼女の名前を、竜騎士姫の竜は己の名に選ぶ。
どちらもが最強にして、最大の歌として語り継がれることを望んだが、それはもはや過去の話であった。どちらでもない。ガルーナの空に君臨する、最強にして最大の存在は、ただ一つ。
黒竜アーレスだ。
『GHAAOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHッッッ!!!』
世界に自らを示すために、アーレスは喉を震わし歌を放つ。
そのころ国境沿いの戦場では、到着した援軍が負傷者たちの治療に当たっていた。竜の姉妹たちと、戦士たちは勝利してみせたのだ。壮絶な戦いの果てに、多くの死傷者を出すことは避けられなかったが……。
死も『歌喰い』の恐怖にも打ち勝った、勇猛果敢な戦士たちが泣いている。
「あああ……ッ。彼女のことを、思い出せない……ッ。私は、メリッサ殿に……何とお詫びしたら良いのか!!」
「……彼女を、戦場に引きずり出してしまった。だが、そのおかげで、被害は最小限だった。償い方は……一つだよ。ガルーナのために、戦い続けることだ」
『は、はい!!……竜騎士……姫……ッ。貴方の犠牲に、報います……ッ』
「竜騎士姫。名前も、顔も、姿も……思い出せないはずなのに……わずかに、私は覚えている。我々、国を捨てた戦士たちの……『母』となってくれると。貴方を、想うと、家族が浮かぶのだ。ならば、私たちは、これからも命の限り……貴方の、剣となりましょう」
アーレスの選択が、『歌喰い』の力をわずかながらに打ち破っていた。己の名前として、竜騎士姫の名前の一部を残すことに成功することで、彼女の行いの全てが、消え失せてなどいない。
彼女自身が結んだ、多くの絆の力でもある。
ガルーナ最強の女竜騎士、竜騎士姫の数多の伝説そのものが、『歌喰い』の力に抗っていた。
「……クインシー。私は、また……失ってしまったようだ。貴方の死を知ったときと同じくらい心が痛い。しかし、この不完全な忘却こそが……奇跡でもあるんだろう。貴方の娘は、やはり、ガルーナの英雄なのです」
少年王エルヴェは、国境へと軍を進める。『ラウドメア』の滅びを、確信して。他国にガルーナが奪われることのないよう、防備を固めるために。王としての、責務を果たす。それこそが、竜騎士姫に報いる行いだと信じた。
空に放った歌が、残響さえも消え去るころ……。
黒竜アーレスは、メリッサ・ロウの接近に気がついた。
泥だらけだ。馬から落ちたのだ。身軽な彼女であっても、この喪失の痛苦は発狂してしまいそうなほどに重く、体の自由さえも奪い取っている。
『……メリッサ』
「うう、うううっ。おもい、おもいだせ……ませんっ!!思い出せないよう、ザード!!私、お姉さまのこと……お名前も、どんなことを、したの、かも……っ!!思い出せないんですうううッッッ!!!」
『ああ。彼女は……『ラウドメア』に……』
「ザード!!ザードおおおおおおおお!!!ううう、うわああ、うわあああああああああああああああああんッッッ!!!」
黒竜に抱き着き、メイドの乙女は泣きじゃくる。涙がボロボロと、竜の硬いうろこに落ちては飛び散った。
二つに戻った瞳を、アーレスはやさしく閉じる。
『……メリッサ』
「うう。うう……どう、して……そ、そんな、話し方なの?い、いつもと、違いますう」
『一人前の、竜の……『王』になるからだ。あいつが、消えたとしても、オレは、あいつと共に、戦い抜くんだ』
「……ザード……?」
『違う。オレの名前は、アーレスだ』
「……ッッッ!!?」
初めて聞いた名前なのに、メリッサ・ロウには感じ取れる。お姉さまと慕った、竜騎士姫の面影が、その名前の響きによって心のなかに呼び起こされる。
「お姉さま……っ」
『名前も、記憶も、奪われたとしても……全てじゃない。オレたちは、全てを、奪われてなど、いないんだ!!』
「……う、うう。ザード…………アーレス……っ。そ、その通り、です。私は、お姉さまにお仕えしていた。ジーンさんとの子を、双子を……リアムさまと、カレンさまを、お守りする……これからも、一生……っ。お姉さまの、代わりとなって!!」
ジーンという『英雄』の力も大きかった。ガルーナの誰もが知っている。『英雄』と竜騎士姫の婚姻と、双子が産まれたことも。その双子の存在こそが、竜騎士姫と世界をわずかにつないでいる。ジーンの作戦もまた奏功していたのだ。
多くの絆が、まだ『歌喰い』に抗い続けている。多くの人々のつながりが、竜騎士姫と生き残った者たちをつないでいる。
大粒の涙を、拭って消し去り。メリッサ・ロウは、アーレスを見る。
「……鱗が、逆立っていますね。まだ、臨戦態勢……敵が、残っているんだ」
『そうだ。決着を、つけてやる。『ラウドメア』は、このアーレスが、仕留める』
「……はい…………」
『……どうした。さっさと、オレの、背に乗れ、メリッサ』
「で、ですが……」
『お前は、あいつの『妹』だろう?』
「……っ!!」
『思い出せるさ。竜騎士の技巧と、知識は……お前たちが、作ったんだ。オレも、それだけしか、覚えてはいないが……お前が、いれば、すぐに思い出せる。オレに……力を、貸してくれ、メリッサ・ロウよ』
十数秒の空白を、待つ。
アーレスは苛立つことはない。
理解しているからだ。目の前にいるケットシーの乙女が、どんな選択をするかなど。長い付き合いだ。竜騎士姫と、同じくらい……共にいてはずで、多くの記憶が、この竜とメイドの間にもある。
彼女は、驚くに値しない選択をした。
うなずき、その身を軽やかに跳躍させて、黒竜アーレスの背に飛び乗ったのだ。
アーレスは、背中に懐かしい感触を得て。
メリッサも、誰かの背中を感じ取る……。
明白な記憶ではないが、構わない。
まったくもって、構わないのだ。
竜と竜騎士らしく。
牙を見せつけるように、三人が同時に笑った。




