#9 全米が泣いた大芝居〜泥水と雑草のフルコースで悪徳商人ドン引き〜
王都の裏市場を席巻し始めた謎の闇商会『影の天秤』。その存在がもたらした巨万の富と利権は、地下帝国の拡張速度をさらに加速させていた。
最新のアーケードゲーム機が整然と並ぶ娯楽エリアでは、カラフルな筐体の電子音が賑やかに響き渡っている。
その一角にある巨大な対戦型格闘ゲームの筐体前で、だるだるのジャージを着たクロエが、凄まじい手つきでレバーとボタンを操作していた。
「そこですわ! 超必殺技・財務制裁拳! はーっはっはっは! リリアさん、甘いですわね!」
「あーっ! またクロエさんに負けた〜! なんでそんなにコマンド入力が早いの!?」
「ふっ、元財務官僚の指先を舐めてもらっては困りますわ。書類の超高速処理で鍛え上げられたこの運指……ゲームの入力精度など造作もないことです!」
勝ち誇るクロエの膝の上では、ポメラニアンサイズに縮んだ幻獣シロが、「きゅ〜ん」と丸くなって気持ちよさそうに眠っている。
二人の手元には、新発売の『焦がしバター醤油味ポテトチップス』と、キンキンに冷えた炭酸ジュース。ここは紛れもなく、地上世界のあらゆる苦難から隔離された至高のパラダイスだった。
その時だった。
『ウー! ウー! 警戒警報、警戒警報』
大ホールに甲高い警告音が響き渡り、天井の照明が赤く点滅した。
「な、なんですの!?」
びっくりしたクロエが跳ね起き、膝から落ちそうになったシロを慌てて抱き止める。
ゲームの画面が切り替わり、アレンが召喚した広域警戒レーダーのメインモニターが浮かび上がった。そこには、村へ向かって急速に接近する複数の馬車と、重装備の兵士たちの光滅反応が表示されている。
「アレン、これって……!」
「ああ」
俺はドリンクカウンターからコーヒーカップを手に取り、画面を冷ややかに見つめた。
「王都からの客だ。前回の徴税官や使者とは毛色が違う。馬車の紋章を見る限り……王都の大商人バアルと、王宮の特別税務視察官ヴォルクだな」
「バアル……! あの強欲で有名な悪徳商人ですの!?」
クロエの表情が一瞬で険しくなった。
「奴は王都の裏市場で猛威を振るう『影の天秤』の物資に目をつけ、その出所を探らせていたはずですわ。まさか、身元を隠すために利用しているこの最果ての貧困村に、直接目を付けて抜き打ち視察に来るなんて……!」
「なるほどな。『まさかあのドブネズミみたいな村が裏商会の隠れ蓑では?』と、念のために疑いを持ったわけだ」
俺はコーヒーを一口すすり、ニヤリと口角を上げた。
「抜き打ちで訪問して、村の中に極上品や隠し倉庫がないか暴き立て、もし何かあれば全部没収して手柄にしようって腹づもりだろう。相変わらず、王都の連中は腐りきってて最高だな」
電子音が脳内で心地よく鳴り響く。
《予期せぬ抜き打ち検分および強奪目的の不法視察を検知しました》
《算出完了――理不尽度数:高(悪意に満ちた言いがかり)》
《獲得予定ポイント:30,000,000 pt(視察完了時に確定)》
「ポイントもうまそうだ。……よし、みんな集まってくれ!」
俺の声に応じて、地下のラウンジやゲームコーナーでくつろいでいた村人たちが、ゾロゾロと集まってきた。すっかり肌のツヤが良くなり、体格もがっしりしてきた村人たちだが、俺の顔を見ると一斉に不敵な笑みを浮かべた。
「アレン様、いよいよ『例のやつ』ですかね?」
村長がウキウキとした様子で尋ねる。
「ああ。王都からの抜き打ち視察だ。相手は悪徳商人と視察官。……全員、配置につけ! 『コード・ポバティ(極貧作戦)』を開始する!」
「「「うおおおおっ!!」」」
村人たちのボルテージが一気に最高潮に達した。
彼らはすぐさま地上への階段へと駆け出し、手慣れた手つきで「変装」を開始した。
地下の全自動メイクルーム(ポイントで設置済み)を通過するたび、健康的だった村人たちの顔に、特殊メイクの「極度の疲労感」「目の下の隈」「カサカサの肌」が瞬時に塗布されていく。
着ている服も、一瞬でボロボロのツギハギ麻袋へと着替えられた。
「クロエさん、君も出番だぞ。悲劇のヒロイン役、頼んだ」
「ふふふ、お任せくださいまし」
クロエは眼鏡を外すと、専用のマイ目薬を目に注入し、髪を無造作にかき乱した。
「元・天才令嬢の私が、この最果ての地でどれほど悲惨な目に遭っているか……王都の豚どもに、トラウマになるレベルで刻み込んで差し上げますわ!」
「ワンッ!(俺も留守番がんばる!)」
シロは地下のふかふかベッドへとダイブし、お留守番の体制を整えた。
* * *
ゴゴゴゴゴ……!
土煙を上げ、激しい馬蹄の音とともに王都の豪華な馬車が村の広場に乗り込んできた。
馬車から降り立ったのは、金糸の刺繍が施された肥満体の服を着た悪徳商人バアルと、冷酷な目つきで鞭を手にした特別税務視察官ヴォルク。そして、彼らを護衛する三十人もの重装兵たちだ。
「おい! 出てこい、ドブネズミども!」
ヴォルク視察官が鞭を空中でパンッ! と鳴らし、威圧的な声を響かせた。
「抜き打ち視察だ! 貴様らが王都の裏市場で噂されている『闇商会』と関わりがないか、この私が直々に家宅捜索を行いに来てやったぞ!」
バアル商人が下劣な笑みを浮かべ、太った顔を歪める。
「ヒヒヒ……隠しても無駄だぞ。もしやこの貧困村の地下にでも、極上の肉や金塊を隠し持っているのではないか? ん?」
彼らは村人の悲鳴やパニックを期待していた。
だが、馬車から降りた彼らの視界に飛び込んできたのは、彼らの想像を遥かに絶する「この世の地獄」だった。
「……あ?」
バアル商人の笑みが、ピタリと凍りついた。
村の中央広場。
そこにあったのは、もはや人間が住む場所とは思えない、凄惨極まる光景だった。
「うへへ……美味い、美味い泥水じゃ……昔の酒の味がするぞい……」
村長だった。
彼はボロボロの雑巾のような布を纏い、濁り切った不気味な泥水の水たまりに這いつくばっていた。ひび割れた土器の盃で泥水をすくい、うっとりとした表情でゴクゴクと飲み干している。その目は完全に焦点を失い、精神が崩壊しているようにしか見えない。
「ひぃぃぃ……っ! お腹すいたよぉぉ、お母さん……っ!」
その横では、少女リリアが枯れ草の山にしゃがみ込み、大粒の涙をボロボロと流しながら、地面に生えた正体不明の雑草をむさぼり喰っていた。
「カビたパンすら……もう三日も食べてないよぉ……! 雑草おいしいよぉ……っ!」
その痛々しい嘘泣き(※実際は地下のクレープが食べたい涙)は、見る者の心を激しく抉る。
さらに、村のあばら家の前では、若者たちが虚無の目をして互いの肘を噛み合おうとしており、老婆は倒壊した壁の木くずを「お煎餅じゃあ」と言ってかじっている。
「な……なんなんだ、この村は……!?」
ヴォルク視察官が、思わず一歩後退った。
そこへ、あばら家の奥から、泥まみれの服を着た一人の少女が飛び出してきた。
銀色の髪は埃とボロ布で乱れ、かつての気品など微塵もない。元・財務官僚のクロエだった。
「いやぁぁぁぁぁぁっ! もう耐えられませんわぁぁぁぁっ!」
クロエは地響きがしそうなほどの絶叫を上げると、バアル商人の靴の前にドサリと倒れ込み、泥まみれの手で彼の高級な靴にしがみついた。
「助けて! 誰か助けてくださいまし! こんな便槽以下のゴミ溜めで、毎日泥水をすすって、虫を食べて生きるなんて絶対に嫌ぁぁぁぁっ!」
「ひっ!? な、なんだこの女は! 放せ!」
バアルが引きつった悲鳴を上げるが、クロエの演技は止まらない。
「私は元・王宮の財務官僚のクロエですわ! 悪逆王に追放されてこの村に来ましたが、ここには何もない! 食べ物も、水も、希望すら何もないのですわぁぁぁ! 昨日なんて……昨日なんて、村長が『美味しいお肉じゃ』と言って、毒キノコを食べて転がり回っていたのですよ!? こんなところでポテトチップスも食べられずに死ぬなんて、嫌ぁぁぁっ!」
ボロボロと流れる大粒の涙。迫真すぎる絶望の表情。
映画館(地下のシアタールーム)で培われた彼女の演技力と、元・エリートというプライドが完全に崩壊したかのような哀れな姿は、アカデミー賞主演女優賞すら霞むほどのリアリティを解き放っていた。
「……し、視察官様……」
ここで、俺の出番だ。
俺はガタガタと膝を震わせ、今にも倒れそうな足取りで視察官ヴォルクの前へ出た。手には、今朝拾ってきた「カビと泥で緑色に変色した謎の物体(ただの紙粘土)」を乗せた割れた皿を持っている。
「お、お願いです……お代官様……。その立派な馬のフンでも構いません……何か、食べるものを恵んでください……。この村には、もう雑草と泥水しか残っていないのです……」
「うわぁぁぁぁっ! 来るな! 触るなドブネズミどもがぁぁぁっ!」
ついに、悪徳商人バアルの精神が限界を迎えた。
彼は自分の高級な服に、クロエの涙と泥が付着したのを見て、狂ったように悲鳴を上げながら靴を振り払った。
「ヴォルク視察官! もう十分だ! 帰りましょう! 一刻も早くこの不潔で呪われた村から離れたい!」
「え、ええい! 見ればわかる! こんな生ける屍どもの村が、王都を騒がせる高級裏商会と繋がっているはずがないだろうが!」
ヴォルク視察官も顔を青ざめさせ、持っていた鞭を投げ捨てるようにして馬車へと逃げ戻った。
「こんなところにいたら、変な病気がうつるわ! おい兵士ども、撤収だ! 二度とこんなゴミ溜めに立ち寄るな!」
「ひぃぃぃ! 馬車を出せ! 急げぇぇぇっ!」
高級馬車は暴走するかのような勢いで方向転換し、猛スピードで大量の土煙を巻き上げながら、逃げるように王都へと走り去っていった。
兵士たちも、汚物でも見るような目で村を一瞥すると、蜘蛛の子を散らすように馬車を追って走り去っていったのだった。
* * *
パカパカパカ……と、馬蹄の音が地平線の彼方へと完全に消え去った。
沈黙が、村の広場を包み込む。
一秒。
二秒。
三秒。
「……ぷっ」
リリアが、忍び笑いを漏らした。
「……くすっ、あははははっ!」
「ひーっ! お腹痛い! バアルって商人、顔を真っ青にして逃げて行ったよ!」
「村長! 泥水飲む演技、味迫りすぎてて最高だったよ!」
「ふぉっふぉっふぉ! なに、昔の貧乏暮らしを思い出せば簡単なことじゃよ! それにしてもクロエお嬢ちゃんの『ポテトチップスも食べられずに死ぬなんて嫌ぁぁ』は、本気がこもりすぎておったな!」
村人たちが一斉に爆笑し、泥だらけの顔を見合わせて腹を抱えた。
「当然ですわ!」
クロエが素早く目薬を拭い、泥をポンポンと払いながら胸を張った。
「もし万が一、ガサ入れが入って地下のポテチ在庫が押収でもされたら、私の命に関わりますからね! 入魂の演技ですわ!」
「お疲れ様、みんな。完璧な『アカデミー賞級』の大芝居だったぞ」
俺が拍手を送ると、頭の中で爽快なファンファーレが鳴り響いた。
《極大の理不尽・抜き打ち疑惑視察の完全攻略を検知しました》
《算出対象:村人を極限まで見下し、恐怖と不潔さで逃げ出した悪徳商人および視察官の滑稽な屈辱》
《獲得ポイント:30,000,000 pt》
《現在のカルマポイント残高:166,700,000 pt》
「よし、ポイントもがっぽり入った!」
俺は高らかに宣言した。
「王都の馬鹿どもは『あの村には何もない』と完全に確信したはずだ。これで当分、地上からの鬱陶しい視察は来ない! 全員、地下のスパで泥を洗い流して、今夜は高級寿司とカラオケ大会だ!」
「「「うおおおおおっ!! アレン様万歳!!」」」
歓声が爆発した。
村人たちは競うように枯れ井戸の隠し階段へと飛び込んでいき、最新のシャワーとスパエリアへとなだれ込んでいった。
「ふぅ……サウナハットを用意しなければ」
クロエも満足げな笑みを浮かべ、地下へと続くドアをくぐっていく。
「あ、アレン! 私、寿司はマグロとサーモンがたくさん食べたいな!」
リリアも嬉しそうに俺の腕を引っ張る。
地上では、王都から恐れられ、哀れまれ、完全に「無価値」と切り捨てられた最果ての貧困村。
だがその地下では、一億六千万ポイントを超える天文学的な資金をバックに、今夜も極上の美食と宴が繰り広げられる。
視察官たちが王都で「あの村はただの地獄だった」と報告している頃、俺たちの裏商会『影の天秤』は、誰にも邪魔されることなく、王国の経済をさらに深く、確実に侵食していくのだった。




