#6 呪われた森の主(もふもふ)〜討伐に行ったら、ただの腹ペコわんこでした〜
「アレン様、この計算書を見てくださいまし。王都の貴族たちが好む嗜好品の流通ルートを偽装し、我々の地下から極上の酒と香辛料を流し込めば、半年後には王国の主要な資金源を完全に掌握できますわ。……ところで、私の頼んでいた新作の『ピザポテト味』はまだでしょうか?」
地下帝国の広大なラウンジ。 完璧な温度に保たれた部屋の中央で、だるだるの特大ジャージを着込んだクロエが、分厚い書類の束を片手に真剣な顔で報告をしてきた。 彼女の銀髪は後ろで無造作にお団子にまとめられ、目元にはブルーライトカット機能付きの黒縁メガネ。口の周りには、先ほどまで貪っていたと思われるポテトチップスの欠片が微かに付着している。
「王国の経済を崩壊させる計画を語る口で、ジャンクフードのおかわりを要求しないでください。はい、これ」
「あっ、ありがとうございますわ! これです、この濃厚なチーズの香りと波型の食感がたまらないのです……!」
俺が空間収納から取り出した新しい袋を渡すと、元・天才財務官僚は書類を放り投げ、狂喜乱舞してポテトチップスの袋を開け始めた。 王の理不尽な命令によってこの村に追放されてからわずか二日。彼女は「サウナ」と「ジャンクフード」という現代インフラの暴力によって完全に陥落し、今やこの地下帝国の最も熱心な住人(兼ニート)となっていた。
「クロエさん、あまり食べすぎるとまたサウナで汗を流すハメになるよ?」 隣のソファでは、リリアがタブレット端末で動画を見ながら呆れたように笑っている。
「かまいませんわ。サウナで極限まで汗を流した後に食べるポテチと炭酸飲料の組み合わせこそ、人類が到達した至高の快楽なのですから。王国で泥水のようなスープを飲まされていた日々を思えば、ここはまさに天国です」 パリパリ、と軽快な音を立てながら、クロエは完全に堕落しきった笑みを浮かべた。
そんな平和すぎる光景を横目に、俺は重い腰を上げた。 「さてと。二人はそのままくつろいでいてくれ。俺はちょっと、お使いに行ってくる」
「お使い? ああ、そういえば例の『森の主』の討伐期限が明日でしたわね」 クロエが指についたチーズパウダーを舐めとりながら、思い出したように言った。
悪逆王カルロス三世が下した、「呪われた森の主を討伐し、毛皮と魔石を三日以内に献上せよ」という理不尽極まりない命令。 村の全滅を前提としたそのふざけた要求のおかげで、俺のカルマポイントは五千万という莫大な数値を叩き出した。おかげでこの地下空間もさらに拡張できているわけだが、要求を無視して地上を焼き討ちされるのは流石に面倒だ。一応、王国の目を欺くための『結果』だけは用意してやる必要がある。
「普通の人間なら、足を踏み入れただけで瘴気に当てられて死ぬと言われている森ですわ。アレン様とはいえ、気をつけてくださいね」
「アレンなら絶対に大丈夫だと思うけど、無理はしないでね!」
すっかり俺のチート能力に慣れきった二人は、悲壮感など微塵もない様子で手を振った。まるで近所のコンビニにアイスを買いに行くのを見送るような軽さだ。
「ああ、夕飯までには帰るよ。今日はすき焼きにする予定だから、腹を空かせておけよ」
俺は二人に背を向け、地下から地上へと続く階段を上っていった。
* * *
村の西側に広がる『呪われた森』。 一歩足を踏み入れた瞬間から、空気がねっとりと重くなるのを感じた。
見渡す限り、捻れ曲がった不気味な枯れ木が天を突き刺すように乱立し、足元の土は毒々しい紫色に変色している。太陽の光は鬱蒼と茂る枝葉に遮られ、真昼だというのに薄暗い。 何より厄介なのは、森全体に薄っすらと立ち込める赤黒い霧だ。これは高濃度の魔力が腐敗して生じた瘴気であり、普通の人間が吸い込めば数分で肺が焼け爛れ、発狂して死に至るという。
「なるほど、確かにこりゃあ村人には絶対無理な環境だな」
俺は周囲を見渡しながら、独りごちた。 もちろん、俺自身には何の影響もない。出発前にポイントを消費して、完璧な対策を講じてあるからだ。
《『環境適応型ステルススーツ(偽装機能付き)』を装備中》 《あらゆる毒素・瘴気・極端な気温変化を完全に無効化します》
俺の身体を包んでいるのは、一見するとただの動きやすい黒の狩猟服だが、実際は宇宙空間でも生存可能なレベルの超高性能スーツだ。周囲の瘴気は俺の肌に触れる数センチ手前で見えない力場に弾かれ、呼吸する空気は自動的に浄化・最適化されている。
「さて、肝心の『主』とやらはどこにいるのかね」
システムウィンドウを展開し、索敵レーダーを起動する。 視界の端に半透明のマップが表示され、無数の小さな赤い光点(低級魔獣)に混じって、森の中心部から一際巨大な魔力反応が放たれているのが見えた。
「ビンゴ。あれがターゲットだな」
俺は空間収納から、今回のお供となる武器を取り出した。 鈍い銀色の光沢を放つ、長さ六十センチほどの金属の棒。
《『対魔獣用超高圧スタンバトン』》 《設定した対象の神経系にのみ作用し、外傷を与えずに確実な気絶状態を引き起こします。出力調整可能》
討伐して毛皮にするよう命じられているが、実際に魔獣を殺す気はなかった。 後で適当な偽造素材を作って王国に送りつければ済む話だ。せっかくの巨大な魔力源を無駄に殺すよりは、生け捕りにして何かに利用できないか確かめてからでも遅くはない。
俺はステルス機能をオンにし、足音ひとつ立てずに森の奥深くへと進んでいった。 道中、巨大な毒グモや狂暴なイノシシの魔獣が何度か現れたが、ステルス状態の俺に気づくことすらなく通り過ぎていく。
やがて、レーダーが示す巨大な魔力反応の源――森の中心にある、すり鉢状に窪んだ巨大なクレーターのような場所へと辿り着いた。
「……ここか」
周囲の木々はなぎ倒され、地面には巨大な爪痕がいくつも刻まれている。 瘴気の濃度も先ほどとは比べ物にならないほど濃く、並の冒険者ならこの場に立つことすらできないだろう。 俺はスタンバトンの出力を最大に設定し、いつでも攻撃できる態勢を整えて、クレーターの底へと視線を落とした。
そこに、奴はいた。
体長は優に三メートルを超える。 四肢は丸太のように太く、鋭い牙は鋼鉄すら噛み砕きそうだ。伝説に聞く氷の幻獣、『フェンリル』の血を引く存在であることは、その体から微かに漏れ出す冷気が証明している。
王国軍の精鋭を幾度となく壊滅させ、近隣の領主たちを恐怖のどん底に陥れてきた、名実ともに『呪われた森の主』。 俺は息を呑み、相手の出方を伺った。
凄まじい咆哮と共に襲いかかってくるか。 それとも、氷の魔法で周囲一帯を凍てつかせるか。 どんな絶望的な攻撃が来るのかと身構えた――その時だった。
「…………きゅぅん」
静まり返った森に、なんとも間抜けで、情けない鳴き声が響いた。 きゅるるるるる……という、盛大な腹の虫の音を伴って。
「……はい?」
俺は思わず構えを解き、目を凝らしてその巨大な獣を観察した。 遠目には恐ろしく見えたが、よくよく見ると異常な状態だった。
三メートルを超える巨体は、肋骨が浮き出るほどにガリガリに痩せ細っている。 本来なら美しい銀色に輝いているはずの毛並みは、泥と枯れ葉にまみれてボロボロの毛玉だらけ。 威厳に満ちたはずの瞳はどんよりと濁り、涙目になりながら前足を弱々しく舐めている。 そして何より、その姿勢。 前足をだらんと伸ばし、地面にぺちゃっと這いつくばる姿は、森の主というより『道端に捨てられて三日経った哀れな子犬』そのものだった。
《システム鑑定:対象【フェンリルベビー(飢餓状態)】》 《状態:極度の栄養失調、魔力枯渇、ホームシック》 《備考:森の瘴気による生態系の崩壊で獲物が激減し、一ヶ月近くまともな食事をとっていません。あと数日で餓死する見込みです》
「……マジかよ」
俺は盛大なため息をついた。 王国が恐れおののき、俺たちに討伐を命じた恐ろしい魔獣の正体は、ただお腹を空かせて限界を迎えている『巨大な腹ペコわんこ』だったのだ。
俺がステルス状態を解除して姿を現すと、フェンリルはビクッと体を震わせた。 警戒して牙を剥くかと思いきや、立ち上がるだけの体力すらないのか、「ひぃん……」と悲しそうな声を上げて尻尾を足の間に巻き込み、丸まってしまった。 どうやら、完全に戦意喪失しているらしい。
「おい、王国軍を全滅させたんだろ? なんでそんなにボロボロなんだよ」
俺が話しかけると、フェンリルは恨めしそうにこちらをチラリと見た。 『軍の連中が勝手に森の罠に引っかかって自滅しただけで、俺は何もしてないのに……お腹すいた……』 そんなテレパシーめいた哀愁が、その瞳からひしひしと伝わってくる。
スタンバトンで気絶させるまでもない。このまま放置すれば勝手に餓死するだろう。 だが……。
「……きゅ〜ん……」
そんな捨て犬のような目で見つめられて、見殺しにするのも寝覚めが悪い。 俺はスタンバトンを空間収納にしまい、代わりに別のアイテムを取り出した。
《『ポータブル万能調理コンロ』および『最高級A5ランク霜降り牛肉』を生成》
地面にコンロを置き、火を入れる。 厚さ五センチ、重さにして三キロはあろうかという、見事なサシが入った極上のステーキ肉を、熱した極厚の鉄板の上に豪快に乗せた。
ジューーーーーッ!!
という暴力的なまでの焼き音が、静寂の森に響き渡る。 瞬く間に、上質な脂が溶け出し、焦げた肉の香ばしい匂いが爆発的に広がった。岩塩と粗挽きのブラックペッパーを振りかければ、もはや森の瘴気など完全に掻き消してしまうほどの『究極の美食の香り』が辺りを支配する。
「っ……!?」
その瞬間。 死に体だったフェンリルの両耳が、ピンッ! と直立した。
どんよりと濁っていた瞳に、ギラギラとした野生の光が宿る。 鼻をヒクヒクと限界まで動かし、鉄板の上で焼けるステーキ肉を、穴が開くほどの勢いで凝視している。その口の端からは、ナイアガラの滝のような勢いで涎が滴り落ちていた。
「ほら、食べるか?」
俺が肉の塊をナイフで切り分け、鉄板ごとフェンリルの前に滑らせてやった。
「ガウッ!!」
フェンリルは一瞬の躊躇もなく肉に飛びついた。 熱々の鉄板など気にする素振りもなく、三キロの極上ステーキを、文字通り『一口』で飲み込んだのだ。 咀嚼すらしていない。ただ、喉の奥へと滑り込ませただけだった。
「……おいおい、味わえよ。火傷するぞ」
しかし、フェンリルの反応は劇的だった。 極上の肉の旨味と、内包された豊かな栄養素が全身に行き渡ったのだろう。 カッと目を見開いたフェンリルの体から、ボロい毛並みを吹き飛ばすような冷気の魔力が一瞬だけ弾けた。
そして次の瞬間。 三メートルの巨体が、ドスゥン! と俺の目の前で仰向けにひっくり返った。 急所である柔らかな白い腹を完全に無防備にさらし、前足を曲げて胸の前にちょこんと添えている。そして、背後に生えた箒のような巨大な尻尾を、ちぎれんばかりの勢いでブンブンと振り回し始めたのだ。
「ワンッ! ワフッ!!(神様! あなたが、俺の神様ですね! もっと! もっとお肉ください! 一生ついていきます!)」
幻獣のプライドなど、微塵もなかった。 そこにいたのは、極上のステーキ一切れで完全に胃袋を掴まれ、服従を誓った巨大な駄犬だった。
「……お前、本当に森の主なんだよな?」 「ワフゥン!(お腹を撫でてください!)」
俺の足元でゴロゴロと喉を鳴らし、必死に媚びを売ってくるフェンリルを見て、俺は再び盛大なため息をついた。 クロエに続き、この魔獣まで。どうやら俺の周りには、食い気と快適さに抗えないチョロい奴ばかりが集まってくるらしい。
「まあいい。お前を殺すのも面倒だし、殺したらこの森の生態系が崩れて瘴気が村に流れてくるかもしれないからな」
俺はフェンリルのモフモフした腹を撫でてやりながら言った。 意外にも毛並みは柔らかく、汚れさえ落とせばかなり上質な手触りになりそうだ。
「よし、お前の名前は今日から『シロ』だ。俺たちの村(地下)に来るか? 毎日、今の肉を腹いっぱい食わせてやるぞ」
『毎日肉が食える』という言葉を理解したのか、シロは弾かれたように跳ね起き、俺の顔を巨大な舌でベロベロと舐め回してきた。
「わかった、わかったから舐めるな! 臭い!」
俺は顔を拭いながら、空間収納を開いた。 さて、生きたまま連れ帰るなら、王国に献上するための『偽装素材』を作らなければならない。 俺は足元に転がっていた手頃な石ころと、そこら辺に生えていた枯れ草を拾い集めた。
《『全自動錬金釜(ポータブル版)』を起動》 《素材:石ころ、枯れ草》 《精製設定:『最上級フェンリルの毛皮(偽装)』および『極大魔石(偽装)』》
チーン、という気の抜けた音と共に、釜の中から、本物よりも遥かに美しく、強大な魔力を放っているように見える(実際にはただのハリボテの)銀色の毛皮と、巨大な魔石が転がり出てきた。
「完璧だな。これで王国のバカ共も騙せるだろう」
俺は偽装素材を袋に詰め、上機嫌で尻尾を振っているシロを振り返った。
「よし、帰るぞシロ。リリアとクロエが待ってる」 「ワフッ!」
こうして、王国の存亡を脅かした『呪われた森の主』の討伐作戦は、たった一枚のステーキ肉によって、極めて平和的に(そして圧倒的な主従関係をもって)幕を閉じたのである。 新たなモフモフのマスコットを引き連れ、俺は夕飯のすき焼きの匂いが待つ地下帝国へと帰路についた。




